きょうも引きつづき、いよいよ刊行があすに迫った『ロスト・シンボル』について書かせていただきます。まずはきのうのクイズの正解から。
[1] 『天使と悪魔』は小説として書かれる前、別の形で発表されました。それは何?
(1) 戯曲 (2) 音楽 (3) 絵画 (4) 彫刻
正解は (2) の音楽。1995年、当時シンガーソングライターだったダン・ブラウンがリリースしたCDのタイトルが「天使と悪魔」でした。歌詞を読むと、のちの同題の小説の原点ではないかと思えるような個所も少しあります。しかし、東部の保守的な名門校で育った内省的なダン・ブラウンには、エンターテインメントの都ハリウッドの水があまり合わなかったらしく、徐々に生活の基盤を著述業へ移していくことになります。
[2] ダン・ブラウンと妻ブライズの年齢差は?
(1) 妻ブライズが12歳下
(2) 妻ブライズが6歳下
(3) 妻ブライズが6歳上
(4) 妻ブライズが12歳上
正解は(4) の「妻ブライズが12歳上」。1991年、一流のミュージシャンになることを夢見つつ、デモ盤を持ってロサンゼルスに乗りこんだ若きダンが最初に所属したのが全米ソングライター協会という団体で、ブライズはその芸術開発部門の責任者でした。ブライズはその後、事実上のマネージャーとしてダンの音楽活動全般を支援していきます。ダンに小説を書くように勧めたのも、著作のための綿密な調査の半分を手がけたのもブライズですから、この姉さん女房なしには、けっしてラングドン・シリーズは生まれなかったでしょう。
[3] 小説を執筆する前、ダン・ブラウンが書いたと言われるノウハウ本のタイトルは?(日本で未刊行)
(1) 最高のパートナーを得るための187か条
(2) 近づいてはいけない187人の男
(3) 187ドルあればだれでも幸福になれる
(4) あなたの本質を知る187の問い
正解は (2) の「近づいてはいけない187人の男」(原題は “187 men to avoid”)。「恋に恵まれない女性のためのサバイバル・ガイド」という副題がついています。タイトルから想像できるように、「近づいてはいけない男」の例をたくさん並べたものです。たとえば「電気鼻毛カッターを持っている男」、「猫より小さい犬を飼っている男」……そして最後が「女性向けの本(たとえばこれ)を読む男」。当然、著者が男性では変なので、表向きは「ダニエル・ブラウン」という女性が書いたことになっています。その後、ブライズ・ブラウンの名義で書かれた “The Bald Book”という本(訳題は……うーん……「毛髪の少ない男性をハゲます本」とか?)も実はダンの手になると言われていますが、小説第1作の前に書かれたこの2冊のことは、ダン・ブラウンもあまり積極的には知られたくないらしく、公式サイトなどにはまったく情報が載っていません(もっとも、書いたことを否定しているわけではありませんが)。
さて、トリヴィアはこのぐらいにして、きょうのテーマは秘密結社。
『天使と悪魔』のイルミナティ、『ダ・ヴィンチ・コード』のシオン修道会、そして『ロスト・シンボル』のフリーメイソン。ダン・ブラウンは秘密結社を作中に登場させるのが大好きなようです。また、それを言うなら、『デセプション・ポイント』のNRO(国家偵察局)や『パズル・パレス』のNSA(国家安全保障局)も、一般国民から見てどんな活動をしているかが非常にわかりにくいという意味では、ある種の秘密結社だと言えるでしょう。
ダン・ブラウン自身は、秘密結社に興味を持ったのはニューイングランドで育ったからだとインタビューで語っています。アイビーリーグの大学の秘密クラブや、建国の父である政治家たちが所属していたフリーメイソンの支部などに囲まれていたため、自然に関心が芽生えたというのです。そういうこともあってか、ラングドン・シリーズでは、秘密結社の姿をことさらに突飛なものとして描こうとはしていないという印象を受けます。たとえば『ダ・ヴィンチ・コード』では、祖父が属していたシオン修道会に対して反感を持つソフィーに対し、ラングドンは偏見を捨てるよう粘り強く説得します。その点は『ロスト・シンボル』でもまったく同じで、フリーメイソンの等身大の姿に迫ろうとしているように見受けられます。唯一今回ちがう点があるとすれば、イルミナティやシオン修道会が、少なくとも小説のなかで描写されたような形で実在した可能性は低く、純粋にフィクションとして楽しむべきだったのに対し、今回のフリーメイソンはまぎれもなく実在する組織であるため、読んでいていっそう緊迫感があるということでしょう。
『ロスト・シンボル』では、ラングドンの恩師かつ親友であるフリーメイソン最高幹部のピーター・ソロモンが誘拐されます。拉致犯である全身刺青の男マラーク(ヘブライ語で「天使」の意)は、ピーターを救いたければ、古来フリーメイソンに伝わる究極の知恵——”古の神秘”——へ至る門を解き放て、とラングドンに命じます。ラングドンはピーターの妹キャサリンとともに、例によってさまざまな暗号を解きながら、一方で当局からあらぬ疑いをかけられて追われながら、”古の神秘”の正体を明かすべくワシントンDC一帯を駆けまわり、最後に行き着いたのは——というのが今回のあらすじです。
舞台がワシントンDCで、フリーメイソンを扱っているとなると、かならず扱われそうな題材や建造物があるのはたしかです。DCの街路図の随所に、フリーメイソンのシンボルであるコンパスや定規の模様が配されていること。CIA本部の敷地内にある謎の彫刻クリプトス。そして、1ドル紙幣の絵柄にまつわる謎。それらについては、本書よりはるかに前に出版された”The Solomon Key”の数々のガイドブックでも採りあげられてきました。『ロスト・シンボル』では、作者はそれらの題材のすべてにふれつつも、だれも予想しなかったであろう方向へと話を展開させていきます。そして、フリーメイソンにかぎらず、古来人類が思索をつづけてきた究極の質問——神とは何か、人間とは何か——に真っ向から挑むことになります。『ロスト・シンボル』はページターナーの側面を持ちつつも、これまで以上に深遠な境地を作者がめざした意欲作だと言えるでしょう。その意味で、これまでのダン・ブラウンの作品とはちがった味わいを感じとることができるはずです。
ところで、秘密結社の登場する翻訳ミステリーはこれまでにも多くありました。みなさんは何を思いつくでしょうか。まずはロバート・ラドラム。いや、『フリッカー、あるいは映画の魔』だというかたもいるでしょう。映画だと〈フロム・ヘル〉、〈王になろうとした男〉、〈ゴッドファーザーPART3〉……。それぞれにお気に入りの作品がありそうですね。
わたしの場合、自分の読書体験のなかで最初に秘密結社が強烈な印象を残したのは、中学生のときに読んだ、シャーロック・ホームズものの長編『恐怖の谷』でした。『恐怖の谷』の第2部に、マクマードという男が田舎町で、ある結社の支部の参入儀礼に臨む場面があります。目隠しをした両目の先に棒のようなものが押しあてられているのですが、そこでマクマードは一歩前へ出るよう命じられます。目がつぶれるのではないかという恐怖を感じつつ、思いきって前へ出ると、棒の先がすっと引っこみ、周囲から賞賛の声があがるのです。マクマードは勇気のある男と認められ、支部員としてその後尊敬を集めることになります。
この描写の恐ろしさと、相手を信頼することによってメンバーとして認められるというしきたりのおもしろさが相まって、この作品はその後も長く自分の心に残りつづけました。もちろん、そのあとのどんでん返しにみごとにやられたのも一因です。その結社の名前が「自由民団」だったこともあり(「自由民連盟」「大自由人団」という訳もあるようです)、その後長年にわたってわたしはこれがフリーメイソンのことだと思いこんでいました。『恐怖の谷』の「自由民団」はかなり悪辣な組織として描かれているので、フリーメイソンもその手のものだろう、となんとなく決めつけていたのですが、翻訳の仕事をはじめるようになってから、実は原語が “Order of Freemen” だと知り、誤解を恥じたものです。でも、『恐怖の谷』の作者コナン・ドイルはまちがいなくフリーメイソンだったのですから、まぎらわしいですね。
『恐怖の谷』に登場するピンカートン探偵社にダシール・ハメットが勤務していたことがあることも、この「自由民団」のモデルとなった組織が『ポップ1280』にも登場するということも、知ったのはずっとあとのことです。
話がそれてしまってすみません。要は、おもしろい翻訳ミステリーは連鎖反応のように別の作品をつぎつぎ思い起こさせてくれる、ということを言いたかったのです。
ところで、”Order of Freemen” の “Order” に「結社」という意味があることを知っていた人はあまり多くないでしょう。実は『ロスト・シンボル』でも、この “Order” という単語が非常に重要な意味を持ちます。刊行前なので、ヒントはここまで。
さて、きょうも最後にクイズを3問。
[1] ラングドンという名前は、ある人物にちなんでつけられたものです。その人物のダン・ブラウンとの関係は?
(1) 高校時代の恩師
(2) 大学時代の親友
(3) 『パズル・パレス』でIT関係の知識を提供してくれた人物
(4) 『天使と悪魔』のアンビグラムの作者
[2] ダン・ブラウンは仕事の合間にある健康器具を使っているそうです。それは何?
(1) エキスパンダー
(2) ブルワーカー
(3) ぶらさがり健康器
(4) 足つぼ健康器
[3] ダン・ブラウンの出身大学はアマースト大学ですが、ロバート・ラングドンの出身大学は?
(1) イェール大学
(2) ハーヴァード大学
(3) プリンストン大学
(4) スタンフォード大学
最後の問題はあまりにも簡単だと思った人は——おそらくまちがっていますよ。実はこれがいちばんの難問です。
次回は『ロスト・シンボル』刊行後の3月9日。クイズの正解や、詳細はまだ明かせませんが、フリーメイソンの実像に迫るレポートなどを掲載する予定です。では、また1週間後にお会いしましょう。
越前敏弥