久々に今年の5月、あちらではマットー・スカダー・シリーズの最新作 A Drop of the Hard Stuff が出ました。

 で、私もスカダーさんとのつきあいは足かけ30年、これまでをふと振り返ってみたくなりました。邦訳の刊行順は原著のそれとちがっているので、私自身、シリーズを第1作から通して読んだことがなく、順に読むと——ブロックさんの強弁に従えば、38歳で登場し、今年73歳のスカダーの半生を追うと——何か思いがけない発見があったりするかもしれない。なんて、そんな企みもありまして。

 ただ、そういうことをひとりでやっていても、私、根性がないんで、きっと途中で絶対飽きちまうだろうと思い、ハードボイルド大好きおじさんのおそらくは対極にいそうな20代の女性NさんとYさん(H書房の編集者)を強引に巻き込み、3人読書会を開いて、ふたりの感想を聞きつつ回想を交える、みたいな形にしてみました。

 とりあえず、そのスタイルで第1作『過去からの弔鐘』からさきに挙げた最新作までやれれば、と思っています。

 いささか場あたり的ではありますが、できればひと月に1度ぐらいの頻度で登場したいと思っておりますので、しばらくおつきあい願えれば幸いです。

 では。

 田口俊樹

それでは、シリーズ第1作『過去からの弔鐘』の巻のはじまりです。

田口:本になってからは基本的に自分の訳書を読むことはないんで、これを読むのはほぼ4分の1世紀ぶりだね。二人はスカダー・シリーズを読んだことはあったの?

Y:二人とも、『八百万の死にざま』だけです、恥ずかしながら。

田口:で、『過去からの弔鐘』はどうだった?

N:今からみると、とても静かな物語だなと思います。捜査も派手なことがあるわけではなく、丁寧に進んでいきますし。田口さんがスカダー・シリーズを訳しているときは、どんなミステリがはやっていたんですか?

田口:小鷹信光さんが命名したネオ・ハードボイルドだね。ベトナム帰りとか、ガン・ノイローゼとか、ゲイ探偵とか、特色づけした探偵が出てきた。そのなかでスカダーは“アル中探偵”として登場するんだけど、この『過去からの弔鐘』はそれほどでもないよね? キャラクターも薄い。

Y:酔いどれ探偵をイメージして読むと印象が違いました。

N:一番違ったのは、そこまで飲んでないってことですよね(笑)。

田口:そうそう! 俺も本当にすごく意外だった、って訳しといて言うのもなんだけど。やっぱり『八百万〜』のイメージが強いんだろうな。

N:酒の飲み方はここから悪化していくんですね。

田口:順番に読んでみるとたぶんおもしろいんじゃないかな。スカダーはブロックと同い年の設定で(あくまで著者ブロックさんの弁だけど)現実の年と同じように年をとっていっているはずだから*1

N:ということは『過去からの〜』では38歳ですか。訳したとき、田口さんはおいくつだったんでしょう。

田口:37歳だね。ちょうどスカダーと同じくらい。でも、スカダーはちょっと年上に見えたね。そのときでも。今の30代はもっと軽いよね。これじゃあ渋すぎるね。

Y:翻訳の順番はどうだったんですか。

田口:スカダー・シリーズの最初は『八百万の死にざま』*2。ブロックの作品としてはバーニイ・シリーズが先なんだよね。これが日本でそこそこ人気が出たから、他のシリーズも、と。『八百万〜』がMWA賞をとるかとらないかくらいのときに編集部から話がきたんだよ。『八百万〜』と『暗闇にひと突き』を読んでみて、日本で出すのにどっちがインパクトが強いかと考えたら、やっぱり『八百万〜』のほうだった。当時は翻訳業界もけっこう余裕があったからシリーズものは第1作から出すことが多かったんだけど、それでも最初が売れないとね。異論もあるかもしれないけど、結果的にはそれでよかったと思うよ。

N:読者にはどんなふうに受け入れられたんでしょう。

田口:どうだったかなあ……こんなにのんびりした小説がうけてたっていうのは、本当にいい時代だったんだなとは今、思うけど(笑)。

N:当時はのんびりしているとは受け取られなかったんですか?

田口:“ネクラ探偵”だね。

Y:(笑)。今読んだ印象とそんなに変わらないんですね。

田口:ネオ・ハードボイルドの探偵の中でも特色をつけるために、それが売りだったんだと思う。それでも俺がスカダーを好きなのは、孤独なところだね。知り合いはいても友達ひとりもいないじゃん。ただ、女とすぐうまくいっちゃうのはどうかと思うけど(笑)。私怨です、はい。

N:たしかに、バーに勤めてる人くらいしか会話はしていませんし、元同僚ともあまり仲がよさそうじゃありませんでしたよね。

田口:そこがいいなあと思うんだよ。ハードボイルドは主人公がかっこよくないとどうしようもない。だから訳すときは話し言葉に気をつけた。できるだけ「です・ます」では話させたくなかったんだよ。あんまりへりくだってもカッコ悪いじゃん……とずっと思ってた。でも、読み直してみるとけっこう話してるよね、です・ますって(笑)。でも、「である」を使いすぎると威張ってるようで、それもなんだかね。そのへんの兼ね合いがスカダーの台詞では一番気を使ったところです。

N:最終的に、淡々とした印象になってますよね。

田口:それがカッコいいと思ったんだよ、当時37歳の私は。

N:一人称が「私」ですよね。ハードボイルドの私立探偵なら「俺」とかにしてもいいのに、丁寧に感じられました。

田口:『八百万〜』を先に訳したからかな。『過去からの弔鐘』が先だったら、「俺」だったかもしれない。ハードボイルドの主人公の一人称はよく話題になるけど、チャンドラーでも『大いなる眠り』はどう考えても「俺」なんだよ。でも、シリーズの後の展開を知ってると「俺」にはしづらい。そんなのかまわないのかもしれないけど、シリーズで1作だけ「俺」っていうのもね。

N:確かにスカダーは内省的な感じですよね。

田口:他の登場人物は「俺」なのに、なぜスカダーだけ「私」なのかって訊かれたことがあるよ。でも、読み直して気づいたことだけど、スカダーってほんとしゃべってないんだよね。カメラ・アイのようになって話が進むから、スカダー自身がどんな人間かも間接的にしかわからない。饒舌でないというのは、ある意味ではハードボイルドっぽいということになるのかもしれないけど。でも、その一方で、探偵の軽口を愉しむっていうのもある。そのあたり微妙だよね。ただ、昔は洒落て聞こえた軽口が今ではただのおやじギャグなんて例もけっこうあるだろうなあ。

Y:寡黙といえば、真相がわかっても話さなかったりしましたよね。

田口:アメリカでは、スカダー・シリーズの最初の3作、『過去への弔鐘』『冬を怖れた女』『1ドル銀貨の遺言』まではペイパーバックで出てた。でも、あんまり売れなかったみたいで、ブロックは筆を折ろうとしたんだけど、同時に書いたバーニイ・シリーズの『泥棒は選べない』が当たった。それで気を取り直して、スカダー・シリーズを再開したんだよね。

Y:そういう事情があったんですか。

田口:シリーズ4作目の『暗闇にひと突き』からはハードカバーで出て、『八百万〜』でブレイク。でも、ハードカバーになってからとペイパーバックと、書き方がちょっと違ってるような気がする。読者が違うせいかな。ペイパーバックのほうは暇つぶしに気楽に読めるようになっていて、文章もわかりやすいんだけど、それがハードカバーではスカダーという人物の肉付けがどんどん進んでいってる。そんな『八百万〜』を先に訳しちゃったから、日本の読者のスカダー・シリーズのイメージは重厚という感じになっちゃってさ。だから『過去からの〜』を訳したときは、前作と齟齬をきたさないように、意識的に抑えて重たくしようとしたんだよね。それって翻訳者の分限を超えてることかもしれないんだけど。君たちはスカダーをカッコいいと思った?

N:すごくカッコいいわけではないですけど、カッコ悪くもないというか。ずいぶん内省的な面はありますけれど、むしろ親しみやすいかなと思います。

田口:なるほど(笑)。ある意味普通の人だよね。

Y:『過去からの〜』を読むだけでは、カッコいい!と熱狂的になる感じはないかなと思います。フィリップ・マーロウのようにどんな行動もカッコよく見せているわけじゃないし、決め台詞のようなものがあるわけでもないし。

N:事件の性格からして、自分から華々しい行動をする話ではなかったからかもしれません。

(以下次回に続く)

*1:のちのちになってくると、他の登場人物は年をとらないまま、スカダーだけ年をとっているという描写があることも。

*2:スカダー・シリーズで最初に訳したのは、中篇「バッグ・レディの死」(ミステリマガジン1979年12月号掲載)。