田口 今回は書評家の杉江松恋さんにもゲストで来てもらっています。残念ながらYさんは風邪でお休み。さてさて、四作目の『暗闇にひと突き』はどうだった?

N 登場人物は多いんですけど、あまり計算された感じがしないというか、スカダーが捜査のために関係者を訪ねていく様子がすごく自然ですよね。そのあたりは構成が良いのかなと思って、一番印象的でした。

田口 ここでこういう人間が出てこないと話が成り立たないみたいな、キャラクターの配置に計算された感じがないよね。作品のアイディアとしてはどうだった?

杉江 これ、発表当時はけっこうすごいアイデアだったと思うんです。中期以降のスカダー・シリーズは計画殺人とは程遠い街場の殺人を扱うようになっていきます。この作品が一つの転機になったのではないかと思うんです。

田口 ちょっと動機が弱いかなというふうに序盤で読ませておいて、あのオチっていうのはうまいよね。転機というと、この『暗闇にひと突き』からシリーズとしての深みが増してきたように思うんだよなぁ。

N だんだんうまくなってきているなというのは思ったんですが、今作で大きく変わったという感じはしなかったです。でも、前作よりスカダーが悪酔いしてますよね。

田口 そうそう。スカダーって”アル中探偵”って言われるけど、前の三作だとただの酒の好きという程度で、そこまでアルコールが問題にはなってなかったよな。でも、この『暗闇にひと突き』に入ってちょっとヤバい酔いかたをしてくる。酒のおかげで深みが増してきたというわけじゃなくて、ここからアルコール依存症だということが作品の中で意味を持ち始めた気がするんだよね。

杉江 僕の念頭にあった”アル中探偵”ってカート・キャノン・シリーズだったですよね。なので、自然と比較しながらこの作品を10代のころに読んだんですが、探偵が飲んで酔ったときの、自分では酔っぱらってないぞと思いつつもどんどん思考が明晰になっていくみたいな描写が当時はよく分からなかったんです。だけど、あとから読み返してみるとこれは相当ヤバい領域に入ってるぞと(笑)。でもこの作品って、酒をうまく書き分けていますよね。スコッチだから悪酔いしなかったとか、ブランデーだったから気分が悪いみたいな言い訳をしながらスカダーはどんどん飲むんだけど、そういう酒飲みの気分と、酒のせいにしていて自分に嘘をつくみたいなところの描き方がすごくうまい。

田口 そうそう! この酒飲みの心情は、作者の肉体に裏打ちされたリアリティだと思うんだよ(笑)。スカダー・シリーズって、実在するアルコール依存症学会で取り上げられているんだって。学会の報告書みたいなものが送られてきたことがあるんだけど、読んでみるとちゃんと引用されていて、「スカダー氏はアルコールによってこうなってしまって……」みたいな説明が書かれてるの。だから、アルコール依存の描写としてはきっとかなりリアルなんだろうね。ブロックさん自身もアルコール依存だった時期があったんだよね。池上冬樹が解説でスカダーを飲まないキャラにしちゃったらだめだって書いていたと思うんだけど、酒とスカダーの関係という点についてはどう?

N 前作を読んだときにも思ったんですけど、予想していたよりひどくなかったんですよね。

田口 読んでいてそんなに意識はしない感じ?

N ストーリー上のアクセントという感じかなと。

杉江 アル中ってもっと迷惑なものですよね(笑)。でも、酔ったスカダーが火を借りにきただけの男を殴って金をとってしまうというシーンがありますよね。スカダーが暴力を振るう側になってしまうというのがかなり衝撃的で、酒の問題というより探偵がそっちの方向にいってしまったという点がシリーズにおいて重要なのかなと思いました。ネオ・ハードボイルドという外見だけではくくりきれない部分がスカダーにはありますよね。

田口 『八百万の死にざま』でも同じようなシーンが出てくるんだよね。今作からそういう暴力的な部分が強くなっているなってきているという感じがするよな。それにしてもスカダーってのは、ネオ・ハードボイルドのなかではわりと普通の人だよね。

N 訳に関して今作から何か変わったなということはありましたか?

田口 今も昔もある訳すときの心構えとして、ハードボイルドもの探偵はやっぱりかっこよくみせなくちゃと思うんだよね。だからスカダーもかっこよくしなきゃと思って、ですます調をなるべく使わないようにしたんだよ。そうするとスカダーは初対面のやつに対してもぶっきらぼうにしゃべるわけなんだけど、そこに違和感を感じたという人もいたね。でも、そうしないとどうもやわな感じになっちゃうんだよな。そのあたり、どうだった?

N 普通に読んだらちょっと偉そうなやつだなと思いました(笑)。所々、ちょっとナルシスティックで語り過ぎかなとも。

田口 この作品から、スカダーのニヒルなところが文章に表れてくるよね。新聞を読んで社会に対する皮肉をちらっと述べるみたいな。このあたりの描写も『八百万の死にざま』に繋がってくるんだよな。

杉江 スカダーがかっこいいかどうかって、ジャン・キーンとすぐにベッドインしてしまうところをどう思うかで分かれると思うんですよ。

N 前回も話しましたけど、スカダーはやっぱりモテ過ぎですよね(笑)。

杉江 スカダー・シリーズって、ずっとペーパーバックだったのがこの作品からハードカバーになったんですよね?

田口 そうそう。これがシリーズ4作目で、これを訳したあとに前3作を読んだんだけど、ちょっと書き方が違っていた気がするんだよね。今はわからないけど、当時はやっぱりペーパーバック作家からみんなはじめて、人気が出てくるとハードカバーで出版されるようになるというのは作家としての一つのステータスだったと思うんだよ。

杉江 そのあたりのペーパーバックとハードカバーの差が女性キャラクターの造形の変化につながっているのかなと思ったんですよね。ボンドガール的な女性と、プロットに深くかかわっている女性の違いというか。

田口 ああ、そうだね! 以前の作品に出てくる女性はちょっと軽いだけな感じがするよね。ニューヨークに住んでるやつって、すぐ女と寝ちゃうのかなと思っちゃったよ(笑)。ニューヨークとロサンゼルスで舞台は違うけど、スカダーとマーロウの捜査って似てるよね。携帯もないから、足を使って捜査するという。マーロウの場合はどうしても車になるけど。

杉江 捜査のために会いたい人になかなかコンタクトがとれないとかって、携帯文化が普及してしまった今では考えられないですよね。このシリーズに登場する部分を地図で見てみるとわかるんですけど、スカダーって実はニューヨークのほんの一部しか歩いてないんですよ。

N 確かに!

田口 そうそう(笑)。ここに出てくるアルファベットシティって、その名の通りAから始まる地区なんだけど、20年前に雨沢泰と一緒に初めて行ったんだよ。そしたらいかにも危なそうなやつがたむろしてるからもうびびっちゃって、Aまでしか進めなかった(笑)。90年代半ばから開発がすすんで治安もよくなってくるんだけど、スカダーが歩いてたころなんかはもっとそういう危ない雰囲気みたいなものが町そのものにあったんだろうなぁ。

(次回に続く)

編集部よりお知らせ:当連載の次回『八百万の死にざま』の巻は、一般参加可の形で公開収録いたします。4月14日に行われる第3回翻訳ミステリー大賞受賞式の記念コンベンション第2部がその場となります。当日は田口俊樹がホストを務める読書会形式ですので、コンベンションにいらっしゃる方はぜひご参加ください。マット・スカダーについてはあまり知識がない、という方でも『八百万の死にざま』を読んでいれば問題ありません。

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