田口:今回は『冬を怖れた女』と『一ドル銀貨の遺言』の二冊同時です。まずは『冬を怖れた女』からいきましょう。率直な感想を言ってくれていいからね(笑)。読んだ感じはどうだった?
N:正直に言うと、そんなにぐっとこなかったです。
田口:俺もそう思う。二作目っていうのは急いで書かされたりとかするじゃない。たいてい良くない気がするんだよね。面白いんだけど、この殺人の動機があまりにも弱いよね。
Y:そうですね。
田口:設定としてはもっと展開してもよさそうなんだけど、それもないまま終わるというかさ。理屈として辻褄が合ってないわけじゃないけど、盛り上がりに欠けるというか……。時間つぶしだと思って読んだら、まあ、損はしないかもしれないけど、そんな心にも残らないという感じだよな。
Y:二冊続けて読むと、『一ドル銀貨の遺言』のほうが面白いよねという話をしてたんです。
N:話の導入の部分としては、ミステリでよく見る感じなんですけど、興味をひく感じはありました。でも、ぎこちなさっていうのが全体を通してあったかなというか。スカダーの描写にもそういうところがあって、その点でも惜しいなという感じで終わってしまったと思いました。
田口:キャラが立ってないよね。俺ももう、ずいぶん前に訳したんだけど、一冊目はストーリーを覚えてたんだけど、二冊目、三冊目は全然ストーリーを覚えてなくて、犯人も覚えてなくて、普通にすごい楽しく読んじゃったんだよね(笑)。スカダーは一作目よりはもうちょっと飲んでるよな。
N:いきなり酒量がアップしたなという印象があります。そこはキャラクター付けのためなんでしょうか?
田口:そうかもしれないね。ブロックさん自身がこのころアル中だったと思うんですよ。投影されてるのかもしれない。
N:なるほど! 一作目に比べると、二作目はことあるごとに飲んでますよね。
田口:三作目になるともっと飲んでるよな(笑)。段々と行き着く先が見えてきているというか。Yはどうだった?
Y:私も二作目はそんなに楽しめなかったです。事件としては面白いはずじゃないですか。田口さんがおっしゃったように最後の動機の部分もよくわからないし、かといって一作目みたいに捜査を丁寧に書いてあったり、スカダーのことがきちんと語られているというところもないし。
N:『冬を怖れた女』と邦題の通りの性格をもった娼婦のポーシャのキャラクターがすごい立っていました。「冬が怖い」っていうのもすごく印象に残るセリフだったので、そこがちょっともったいなかったかなと思いました。
田口:なるほどね。ポーシャのキャラはもうちょっと肉付けしてもよかったよね。
N:イギリス人で、赤毛の美女っていうだけで「おっ!」っていう感じですし。
田口:原題の In the Midst of Death っていうのはね、”In the Midst of Life”っていうののもじりなんですよ。英国国教会のコモンプレイヤーっていう、いわゆる祈禱書だね。そのなかの一節で、埋葬式に使われる祈祷文が”In the Midst of Life”。そのあとに続くのが”We are in the death”「我ら生のただ中にありて死に望み」がきて、「塵は塵に、灰は灰に、土は土に」とくる。大昔に各務三郎さんがどこかにお書きになって、俺も編集者も知らなくて、そういう意味だったんだ! っていうことが、実はあったんです(笑)。と言いながら、この話もすっかり忘れてて、今回 In the Midst of Death を調べて、「そうだLifeだ!」って思いだしたんだよ。こんなタイトルなのに最初に一人死んだだけで、死のまっただなかっていう感じじゃないじゃんと思ってたら、あとでバタバタっと死んだよな(笑)。
N:前作に引き続いて宗教よりのタイトルですね。
田口:というかね、ブロックさんは割とタイトルに凝ってるんだよ。『一ドル銀貨の遺言』の Time to Murder and Create のほうは、T・S・エリオットの処女詩集のタイトルで、表題作のタイトルの一節なの。「J.アルフレッド・プルーフロックの恋歌」っていうんだけど、読んでみてもなんだかよくわからん詩でさ(笑)。今日のためにブロックさんにメールして、このフレーズを選んだのは意味があるんですか? って聞いてみたら、ただ「気に入ったんで」と返ってきた。『暗闇にひと突き』の A Stab in the Dark は “Shot in the Dark”。「あてずっぽう」みたいな意味になるんだけど、それにちょっとかけてある。『八百万の死にざま』の Eight Million Ways to Die は「裸の街」っていうニューヨークを舞台にした長寿ラジオ番組があって、その冒頭で「このニューヨークには八百万の生きざまがある」っていう台詞を言うんだよね。英語だと「Eight Million Ways to Live」。それにかけてるんだよね。
N:なるほど。面白いですね。
田口:いずれにしても『冬を怖れた女』の評価は低いと(笑)。俺もそれはすごく納得するな。このまんまだと、凡百の凡庸な探偵小説で終わってたよな。
Y:タイトルの凝り方を聞いていると、この内容じゃ物足りないよと思ってしまいますね。
田口:スカダーがダイアナに一目惚れをしちゃうじゃない。あれは若い君らから見るとどうなのかね(笑)?
N:二人でも話してたんですけど、スカダーはちょっとモテすぎではないかと(笑)。
田口:そうだよね。ええ、そんなことってあるかって思わない? まあ、おじさんにもそういうこと、ないわけじゃないけど。
Y:いや、ないですね(笑)。
田口:(苦笑)ダイアナの後でもそういう女が出てくるじゃない。こういうときにこそ女はそんな気になる、なんて言ってさ。
N:秘書の話ですね。
田口:そうそう。この手の話は他の小説でもよく出てくる。それをどうなのって年端のいかない君たちに聞くのもなんだけど(笑)。
N:年端もいかないと言ってくれるのは田口さんだけです(笑)。どうなんでしょうね。
田口:俺はあるのかなって思うけど、女の人がそういう極限状況においてむらむらしちゃうみたいなのは、想像はできるかなっていう感じ?
N:想像はできなくはないんですけど、この作品のなかのスカダーにそれほどのことをさせる魅力があるかって聞かれると、いまいちですね。
田口:二階に子供がいたりするところでだしなあ。
Y:信じられない感じですよね(笑)。こういうシーンが入ってくるのは、ハードボイルドの小説だとよくあることだとは思うんですけど。
田口:そうなんだよな。マーロウも簡単にそういう関係になるし。その辺どうなんだろう、男のかっこよさみたいなところとつながるんだろうか。『一ドル銀貨の遺言』ではスカダーはお金には汚くないっていうのが分かって、そこは毅然としたものを感じるよね。でもあまりにストイックだと嘘っぽくなるし。その辺のさじ加減っていうのはもちろんあると思うんだけど、女に関しては『冬を怖れた女』でわりと簡単にそうなっちゃうし、『一ドル銀貨の遺言』でもいい女とうまくいっちゃってるし。
Y:あれが納得いかないと、二人で話をしました。
田口:そうだよなあ、あれはやっぱり納得いかないよなあ。
N:断わってほしかったですね。
Y:アームストロングの店のお姉さんと夜一緒に寝て、くらいで終わらせてほしかった。
田口:その店は実際にニューヨークに存在する店で、94年に翻訳家の雨沢泰と行ったことがあるんだよ。ジミー・アームストロングさんっていう小さなおじいさんがやってて。そこで「ブロックのスカダーって知ってますか?」って聞いたら「もちろん知ってるよ」とね。しばらく店にいたら俺たちのテーブルの横に、ウェイターがTシャツのMとSの二種類を置いたわけ。お土産に買ってくれってことなのかと思って、当然買おうと思ったら値札がついてなかったの。勘定するときに値段を聞いたらさ、「これはジミーさんからプレゼントです」って言うわけ。すごい感動したんだよね。もうジミーさんは亡くなってしまったんだけど、いい店だったなあ。今でもTシャツは持ってる。
N:今のところ、一冊ごとにスカダーの相手の女性が変わってるんですよね。エレインだけは登場しますけど。
田口:エレインとはまだ絡みがあるから見どころの一つかな。『冬を怖れた女』をまとめてみると、そんなに印象に残る作品じゃなくて、むしろ、ちょっとこれでいいのか、という感じだね。スカダーの女に対する感覚みたいなものが見えると。一目惚れして、真面目に一緒になろうかともしたけど、あの成りゆきは男としてなんにもかっこよくないかな。面白い設定は思いついたけど、ふくらませきれなかった失敗作ということでいいか(笑)。
N:失敗作とまでは言いませんが、惜しいです。
田口:嫌味がないから途中で投げ出すほどじゃないけど、読んだあとに何か残るかと言われたら残らないと。ペイパーバックとしては及第かもしれないけど、それを超えるものではないかな。
(以下次回へつづく)