何十年か前、小学校の卒業文集に「尊敬する人 リンドグレーン」と書いた。スウェーデンの国民的作家、アストリッド・リンドグレーンのことだ。「長くつ下のピッピ」シリーズや「名探偵カッレくん」シリーズ、そして「やかまし村」シリーズをぐるぐるぐるぐると何度読み返したことか。作品の中に流れる、からりと乾いた透明な空気が好きだった。……なんて、子どものわたしははっきり言葉にして考えたわけではないけれど、漠然とそんなふうに感じていた。たまに日本のお話を読むと、そこにはしっとりと包みこむような空気があり、なじみ深い風景ともあいまって、なぜかからめとられるような息苦しさを感じた。それでまた、からりとした「大平原」(という名の草っぱら)で、カッレくんたちがくりひろげる冒険の話が読みたくなるのだった。

 小学校の同じクラスに、のちに漫画家になる浦沢直樹氏がいた。残念ながら卒業以来一度もお目にかかったことはないけれど、代表作の『20世紀少年』を読んだとき、はからずも自分の行動半径のせまさを思いしらされたことがあった。主人公のケンヂたちが、小学生のころ「ジャリ穴」(砂利採掘跡にできた池)にはまりかけるエピソードが出てくるのだが(1巻 第4章)、「ジャリ穴に子どもだけで行ってはいけません」というのは、ほんとうに、朝礼のたびに校長先生から聞かされる注意事項だったのだ。浦沢少年がじっさいに穴にはまりかけたのかどうかは知らないけれど、子ども同士でのぞきにいくぐらいはしたんだろうな、と思わせるリアリティ。そうかあ。あのころわたしは先生や親の言いつけにそむいて何かをするなんて、考えたこともなかった。同時にそういう「おりこう」な自分がいやでもあったし、かといってそれを逃れるためにとっぴょうしもないことをする勇気もなかった。どうりで息苦しいわけだ。

 そんなわけでわたしの場合、息苦しさをのがれてどこかへ行きたいと思えば、リンドグレーンをはじめとする「外国のお話」の中に飛びこむしかなかった。木の「うろ」の中で開かれるピッピのお茶会や、カッレくんたちの「バラ戦争」の話を読むとき、わたしの心はほんとうにいっしょになって遊んでいたと思う。だから息苦しくはあっても、鬱屈してはいなかった。

 ただ、子ども心にも「なんだかわたし、同じ本ばかり何度も読んでるな」というかすかな引け目のようなものも感じていた。ほんとうはもっと、色々な本を読んだ方がいいんじゃないのか? 幅広く、バランスよく。それにピッピやカッレくんばかり読んでるなんて、なんだか子どもっぽくないだろうか? やがて中学生になって読書の幅が少し広がると(広がった先は早川の「世界SF全集」)、わたしはピッピやカッレくんからすっと離れて、以後一度も読み返したことがなかった。

 そのカッレくんを、この原稿を書くために何十年ぶりかで開いてみた。やっぱりおもしろい! 読み返すにつれ、どの場面でも「ああ、そうそう」と記憶が鮮明によみがえってくる。カッレ、アンデス、エーヴァ・ロッタという仲よし3人組の絶妙な組み合わせ。町はずれに広がる「大平原」や「城跡」で、敵対する(でも本当は仲のいい)「赤バラ軍」を相手にくりひろげる「バラ戦争」(カッレたちは「白バラ軍」)。そんな彼らの前に、あるとき本物の悪党(1巻では宝石泥棒、2巻では殺人犯、3巻では誘拐犯)が現れ、かねてから探偵になりたいと夢見ていたカッレくんが、仲間とともに、でもちゃんと大人の力も借りながら(ここが『名探偵コナン』とはちょっとちがう)事件を解決してゆく。

 読み返してびっくりしたこともあった。一番の驚きはこの一節。

「カッレはエーヴァ・ロッタがたまらなく好きだったのだ。アンデスもそうだった。カッレは、家をもつだけのお金ができたら、すぐにエーヴァ・ロッタをお嫁さんにするのだ、と考えていた。アンデスも同じことを考えていた」(『名探偵カッレくん』岩波少年文庫 p.16)

 そうだったのか! この3人、案外微妙なバランスをとりあっていたのね。カッレくんたちが1巻の段階で13歳なのだということも、今回読み返して初めて知った。あのころは自分が小学生だったからカッレくんたちもそうだとばかり思っていたけれど、実は思春期にさしかかる年齢だったんだ。どうやら当時のわたしはこんな大事なことに何の興味もなく(笑)、さくっと飛ばして読んでいたようだ。

 もうひとつの驚きは、岩波少年文庫版の巻末に添えられた「カッレくん」ファンの大人たちによる解説だった。子どものときはハードカバーの単行本で読んだので、解説を読むのは今回が初めて。そのなかで映画監督の山田洋次氏は、「寅さんシリーズ」で、寅さんの実家のダンゴ屋と裏の印刷工場をへだてる板塀の一部が破れており、登場人物がそこを通りぬけていったりきたりするのは、「カッレくん」からいただいたアイディアだと告白しているし、小・中学生に人気のミステリー「パスワードシリーズ」(講談社 青い鳥文庫)の作者、松原秀行氏は、中学1年生のときエーヴァ・ロッタに心をうばわれ、「パスワードシリーズ」の登場人物、林葉みずきを「ぼく自身のエーヴァ・ロッタ」として造形したと告白している。そういえば、ミステリ作家の大沢在昌氏も自身のエッセイの中で、カッレくんの大ファンだったことを明かしていたっけ。「カッレくんと出会わなければ、小説を書く私は、いない」(『かくカク遊ブ、書く遊ぶ』p.26。)

 なんだか励まされる。やっぱり、のめり込む読書にはすごい力があるんだな。子どもの読書に「かくあるべし」という規範なんてない。偏愛、溺愛、おおいにけっこう。もちろん逆に多読、乱読もけっこうだ。べつに論文を書くわけじゃないし、出版社にレジュメを提出するわけでもない(!)。バランスなんて気にせずに、好きな本を好きなように好きなだけ読む。それが子どもの読書の特権なのだ。

 最後に、わたしの訳した本も紹介させてください。

『きみに出会うとき』——この本のなかにも1冊の本をボロボロになるまで読みつくす少女が出てくる。主人公のミランダは、ニューヨーク育ちの小学校6年生。『五次元世界のぼうけん』という本が大好きで、暗記するほど読みこんでいるのに、学校へでもどこへでも持ち歩いて、読書の時間にもこの本しか読まない。担任の先生もそこらへんをよく見ていて、休み時間のあいだにミランダの机の上にべつの本をのせておくのだけれど、ミランダはそれをわきへどけて、やっぱり自分の本を読みはじめる。

 といっても本の話がメインなわけではなくて、物語の中ではミランダの学校生活や家族との関係、そしてその中にしのびこんで、じょじょに存在感を増してくる、とある謎にまつわる話が描かれている。それでも『五次元世界のぼうけん』は、この謎を解き明かすうえで大きな役割を果たすし、またミランダが新しい友だちを作って世界を広げていく上でも、大きな力を発揮する。しかもここまでの説明では想像もつかないだろうけど、このお話、じつはタイムトラベル物のSFなのだ。「えー、何が何だかさっぱりわからない!」と思った方は、ぜひご一読を。2010年に、アメリカで最もすぐれた児童書に贈られるニューベリー賞を獲得した作品だ。

 そうそう、だいじなことを書き忘れていた。今回の「秋の読書探偵」作文コンクールで、わたしは選考委員に加わることになった。どんな作品に出会えるだろうかと、今からわくわくしている。小・中学生、高校生のみなさん、どうぞむずかしく考えず、好きな翻訳書を好きなように読んでみてください。そして、そこからあふれてくる愛を、作文や、詩や、絵入りの手紙や、その他わたしたちの思いつかないようないろいろな形で分かちあってくれたらうれしいです。ご応募お待ちしています!

ないとうふみこ(内藤文子)。東京都府中市出身。上智大学卒業。訳書に、ステッド『きみに出会うとき』、フレイマン=ウェア『涙のタトゥー』、ガイ『ネズミ父さん大ピンチ』など。やまねこ翻訳クラブ会員。

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