「子どものころに読んで印象に残っている本は?」

 先日、とあるアンケートでこう尋ねられました。好きだった本、くりかえし読んだ本はいろいろあるけれど……わたしはちょっと考えて、『ポールとビルジニ』と答えました。わたしはこの本を小学校のたぶん4年生ごろ、ある土曜日にお昼のコロッケをぱくつきながら、同時に涙でぐしょぐしょになりながら、一気に読んだのです。

 それは移動図書館で借りた本でした。ひとりっ子で、外遊びの苦手なわたしにとって、本を読むことは大きな楽しみでしたが、そんなにたくさんの本を持っているわけではありませんでした。学校の図書室では1度に1冊ずつしか借りられないし、当時の行動半径はとてもせまくて、市の図書館は行きかたさえわからない。そんなわけで、いつのころからか、市役所の支所にやってくる移動図書館を心待ちにするようになりました。

 支所はうちの目の前といってもいいほどのところにありました。移動図書館の車はそこに月に2回、土曜のお昼に来るのです。そのころの小学校は土曜が午前授業だったので、移動図書館の来る日は、うちに帰るとお昼を食べるより先に本を借りにいきます。移動図書館車はささやかなもので、運んでくる本の数もさほど多くはなく、しかもそのほとんどは大人向け。子どもの本はいつもほんの数冊で、選択の余地もあまりないのですが、ともかく1冊借りたら急いで帰ってお昼を食べながら読むというのが常でした。うちは食堂をやっていたので、食事時は忙しく、昼も夜もたいていは2階の部屋でひとりで食べるのです。だから、おぎょうぎが悪いと注意されることもありません。その日も近所のお店で買ったプラスチックパック入りのコロッケを渡されて、それをつまみながらさっそく読みはじめました。

 物語の舞台は南の島でした。そこはフランスの植民地で、事情があって本国から渡ってきたふたりの婦人が、それぞれ子を産み、身を寄せあうようにしてひっそりと暮らしています。子どもは男の子と女の子で、それがポールとビルジニでした。豊かな自然の中で清らかな心のままに育ったふたりはやがて恋に落ちますが、ビルジニはフランスの親戚のもとへむりやりに連れていかれます。別れ別れのつらい月日ののち、ビルジニはやっと懐かしい島へもどってきたものの、彼女を乗せた船は折からの強風で港に入れず、ついには座礁してしまいます。浜は目の前で、ひとの顔も見分けられるほどの距離にありました。けれど、荒波がそのわずかな距離をへだてているのです。

 死を覚悟し、凛として船上に立つビルジニと、波にもまれながら恋人の名を呼び、懸命に船にたどりつこうとするポール。胸に突きささるこの悲しい場面は、涙とコロッケの味とともに心に焼きつきました。おかげで、物語を思いだすたび、条件反射的に涙がこみあげてくるのといっしょに「コロッケおいしかったな」というぜんぜんロマンチックじゃない記憶までよみがえってきます。その後、返却日が来るまで何度か読みかえしたのか、その一度きりの感動を抱えて過ごしたのかはまったく覚えていませんが、本との別れの悲しさは記憶の隅にありました。移動図書館の本は、返してしまえば、車に乗って行ってしまいます。わたしの手の届かないところへ去ってしまい、二度と会えなくなるという感覚でした。そして事実、それきりその本と再会することはなかったのです。ポールとビルジニの物語を読んだというひととも出会いませんでした。でも、先日のアンケートに答えたあと、ふと思いたってインターネットで検索してみると——いました、この本を読んで大泣きしたという仲間が。しかも、何人ものひとがわたしと同じように、あの話をもう一度読みたいと願っていました。

 物語の作者はジャック=アンリ・ベルナルダン・ド・サン=ピエールというひとでした。『ポールとヴィルジニー』などのタイトルで多数の翻訳が出ていたこともわかりました。ウィキペディアに出ているだけで12の邦訳があります。そのうちいちばん古いのは生田春月訳『海の嘆き』で、今から100年近くも前の1917年に新潮社から刊行されています。原作はといえば、100年どころか200年以上前の1787年の作品でした。

 わたしが読んだのは『ポールとビルジニ』という表記だったと記憶していますが、ウィキペディアの12冊にそれは含まれていません。調べてみると、偕成社の「世界少女名作全集」の1冊で1961年に刊行されたものがそれらしいのです。同じものを読み返してみたいと思いましたが、とっくに絶版で、近隣の図書館にもありませんでした。ほかの翻訳もみんな絶版のようですが、新潮文庫の『ポールとヴィルジニー』と岩崎書店の『世界少女名作全集25 愛と悲しみ』、それに筑摩書房の「世界の文学エテルナ」に収められているものの3冊が図書館の蔵書にあるとわかって、さっそく借りてみました。筑摩書房のものは新潮文庫と同じ田辺貞之助訳で、文章もほとんど同じです。岩崎書店のものは子ども向けに少し話を省いて易しくしてありますが、わたしが読んだのはさらにもう少し易しかったような気がします。

 物語は、フランス島という絶海の孤島を訪れた旅人が荒れ果てた2軒の小屋の跡を見つけ、土地の老人にそこにはどんなひとが暮らしていたのかと尋ねるところから始まります。その老人から旅人にふたつの家族の悲しい思い出が語られるのです。

 あらためて読んでみて驚いたのは、自然描写の美しさでした。風景のひとつひとつ、草木のひとつひとつがこまやかに、ていねいに描かれています。これは、わたしにとって、とてもうれしいことでした。というのも、実はわたしはこの島を訪れたことがあるのです。海外には社員旅行で香港に行った以外は新婚旅行しか経験がないのですが、その新婚旅行の行き先がこの島でした。フランス島は統治国がイギリスに変わってモーリシャス島と名を変え、今はモーリシャス共和国になっています。マダガスカルの東に位置する小さな火山島で、その美しさから「インド洋の貴婦人」の呼び名があります。みんなが行かないところにしよう——ただそれだけで選んだ行き先でした。『不思議の国のアリス』に登場するドードー鳥が生息していた場所ということは知っていましたが、そこはポールとビルジニの島でもあったのです。旅行代理店からもらった観光案内の小さな冊子にそのことを発見したときには、思わぬ偶然に声を上げました。

 モーリシャスはヨーロッパをはじめ世界各国のひとびとがのんびりと休暇を過ごす人気のリゾート地です。快適な設備が整っているいっぽうで、海や山はもちろん、町の中にさえ自然や昔ながらの暮らしぶりが残っていました。小説の細部などすっかり忘れていたのに、ここがそうだ、たしかにあの物語の島だ、と懐かしく感じられたのは、本を読んだときにそれだけ鮮明な情景が頭に浮かんでいたからかもしれません。今読み返せば逆に、ここに書かれているのはあの景色、この景色と、実際に見た眺めが思いだされて、たしかにこの島へ行ったのだという思いが胸を喜ばせますが、濃密で清浄な空気まで匂いたつように感じさせるのは、やはり記憶より言葉の力なのです。

 作者の自然描写は実に念が入っていて、しかもそのすべてが抒情的でした。サン=ピエールは植物学者でもあるそうなので、地形や動植物の観察には長けていたのでしょうが、それをどんな言葉で表すかはまた別の才能です。たとえば、ポールが農場のまわりを飾った木や花は「シャンデリアのガラスかざりのような長い白いふさをつけるアガティス、あま色の花ふさをまっすぐにつき立てるペルシアのリラ、いちじくに似た葉を広げ幹のまわりに緑色の実をいっぱいつけるパパイヤ」(足沢良子訳 岩崎書店版)。延々と続くこうした描写にすっかり酔わされて、一幅の絵画を見ているというより、実際にその風景の中に立っているような錯覚にとらわれます。そしてその風景は、ポール、あるいはビルジニそのものでもありました。

 新潮文庫のほうには物語に先立つ「前言」が収められおり、サン=ピエールはそこで「わたしは熱帯地方の自然の美と、ある小さな社会の精神的な美とを、融合させようとした」と書いています。その目論見はみごとに成功していて、ふたつの美はひとつになり、その相乗効果で物語はひときわ美しさを増しているように思われます。どんなときも、風景は人を象徴し、繊細な情感をたたえています。それに導かれ、作品の情緒に身を浸して読むからこそ、誠実な愛と無垢な信頼の物語が輝きを得、恋人たちの哀れな最期に尋常でなく心が揺さぶられたのだろうと思います(たとえコロッケをかじりながらでも!)。

 島を訪れたとき、1冊の本がこんなにも遠くまでわたしの心を運んでいたのかという感慨をもちましたが、物語の島は実際の距離よりずっと遠くにあった気がします。日常とかけはなれた極端な心情も抵抗なく受け入れられたのは、それが自分とは縁もゆかりもない遠い遠い世界の遠い昔の話だからでもありました。最初のところで、老人は旅人に「インドがよいの航路にぽっつり浮かぶこんな島の、名もない人たちの運命など、どうしてヨーロッパ人から興味をもってもらえるでしょう」(岩崎書店版)と話します。でも、むしろそんな場所にこそ心惹かれるものではないでしょうか。子どものころに読んだ外国文学の楽しみのひとつは、見知らぬ遠い世界をありありと体験し、日常にない感動を味わえるところにありました。その点において『ポールとビルジニ』はきわだっていたのです。時代の変わった今、そんな感動を求めようとすると、「異国」ではなく「異世界」にまで行かなければならないのかもしれません。それにしても、200年あまりの時を経てわたしの心に深い印象を刻んだ作品が、その後数十年のあいだに絶版という別の意味で遠い世界に行ってしまったのは、さびしいことです。

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杉本詠美

(すぎもと えみ)。広島県出身。広島大学卒業。訳書に、クレア「シャドウハンター」シリーズ、ヴィンチェンティ「ガラスのうし モリーのおはなし」シリーズ、レイナー『オーガスタスのたび』など。やまねこ翻訳クラブ会員。