フィリパ・ピアスの名をきいてすぐにぴんとこない人でも、『トムは真夜中の庭で』の作者といえば、「ああ」と思い当たるのではないだろうか。1958年に発表された『トム〜』は、主人公が親元を離れて親戚のもとで暮らす設定といい、イギリスの豊かな自然を背景にしている点といい、英国児童文学の伝統を豊かに受け継ぐ物語だ。

 このフィリパ・ピアスに『サティン入江のなぞ』(1983年)という作品がある。『トム〜』に比べるといささか地味で複雑な物語であるせいか、さほど広く読まれているようすはない。しかし色合いは違うものの『トム〜』に少しもひけをとらない傑作で、埋もれさせてしまうにはまったく惜しい作品なのだ。邦題で「なぞ」とうたっているように(原題は The Way to Sattin Shore)ミステリー風味も強く、大人が読んでこそ深く味わえる部分もたくさんあるので、今日はこの作品をご紹介しよう。

 主人公は10歳の少女、ケート。兄ふたりと母、そして母方の祖母であるランダルおばあちゃんとともに暮らしている。父はいない。ケートが生まれたその日に海でおぼれて死んだ、とケートはきかされている。より正確には、溺死事故の知らせをきいた母が産気づいて、月足らずのケートを産み落としたらしい。でも母も祖母も、父のことをくわしく語ろうとはしない。

 実は、近所の教会の墓地に父の墓があることをケートは知っていた。1年ほど前にたまたま見つけたもので、ケートの生年月日と同じ死亡年月日、そして「アルフレッド・ロバート・トランター」という名前がきざまれている。父の墓のありかを知っていることは、なぜか母にも祖母にも話していないケートだけの秘密。なにかいやなことがあったとき、ここを訪れて心を静めるのがケートは好きだった。ところがある日いつものように墓地を訪れてみると、なんと父の墓石がなくなっているではないか! うろたえたケートは、長兄のランに相談するが、父の名前はケートが見たという「アルフレッド・ロバート・トランター」ではなく「フレデリック・トランター」だから、そんな墓石などはじめからなかったにちがいないとつっぱねられる——。

 わくわく感に満ちた『トムは真夜中の庭で』とくらべると、『サティン入江のなぞ』には、不穏な空気がただよっている。なにしろ第1章の章題が「暗闇からの視線」だ。それは同居している母方の祖母、「ランダルおばあちゃん」の視線。おばあちゃんは玄関ホールの左側の部屋に終日こもってドアを半開きにし、たえず人の出入りを見はっている。孫娘のケートが学校から帰ってきても声もかけずに、ただ目を光らせるだけ。いったいおばあちゃんはなにを見はっているのか。なにをおそれているのか。作者は小さなエピソードをつみかさねて、この一家の秘密を少しずつ明るみに出してゆく。

 たとえばケートが墓石の問題に遭遇する前に、こんな場面がある。ふたりの兄、ランとレニーが、ささいなことからけんかになり、本気で取っ組み合いをはじめると、おばあちゃんがいう。

「けんかと取っ組みあい——親ゆずりなんだよ……」

 さらにだめを押すようにもう一度。「わるい血を受けついだんだよ……」(高杉一郎訳 以下同様)

 ケートの母親は、これに対してひとことも言いかえさない。

 ケートの父母、あるいは父とランダルおばあちゃんのあいだになにかがあったのだな、と読者には(少なくとも大人の読者には)察しがつく。母とランダルおばあちゃんという実の母子のあいだに流れる緊張感も読み取れる。娘婿に複雑な感情をいだいていたおばあちゃん。夫の肩を持てなかったケートの母。作者は、子どもの読者に遠慮することなく、大人のかかえる問題をしっかりと描き込んでゆく。だからといって、わかりやすくだれかを悪人に仕立てることもない。母は、いつも目のはしにケートをとらえて、なんとか助け船を出そうとする愛情深い母親だし、終始難攻不落に思えるおばあちゃんも、自分なりの仕方で家族を愛している。大人になってからこの作品に出会ったわたしは、登場する大人たちの複雑さに心をつかまれた。

 同時に作者は、子どもの読者に対しても誠実に物語を進める。10歳のケートの視点から見て、わからないことにむりやり解説を加えはしない。先ほどの兄たちのけんかの場面でも、ケートは、「おばあちゃんは、なにを言おうとしたのだろう?」といぶかるだけ。幼いころからこの環境で育ってきた彼女にとって、おばあちゃんがなにかに神経をとがらせているのも、母が父について語ろうとしないのも、ひいては父がいないのも、いつもどおりのこと。疑問や悲しみの対象になりはしなかった。

 ところが父の名前入りの墓石が消えたのをきっかけに、ケートの「いつもどおりの世界」がゆらぎだす。それがこの作品を推し進める力だ。といっても、ケートが探偵役となって謎を解き明かすのとはまた少し違う。あくまでも思春期の入口に立つ10歳の少女として、やむにやまれぬ思いから自分の世界を広げていくうち、これまで母と祖母の意図したとおりにしまい込まれていた秘密が、おのずと白日の下にさらされていくのだ。冬から夏へと季節がめぐり、ケートが半年間の成長を積み重ねるのと歩調を合わせるようにして。

 それを象徴するのが、”The Way to Sattin Shore” という原題にもとりこまれている場面。ケートは長兄のランから、かつて溺死事故があったのが自分の知らない「サティン入り江」という場所だったことや、父には「ボブ伯父さん」という兄がいたことを初めてきいて、とある重大なことがらに思いあたる。いても立ってもいられなくなったケートは、翌日学校をさぼって、まだ見ぬサティン入江へと自転車を走らせる。はっきりしたもくろみがあっての行動ではないし、じっさい、なにも手がかりが得られるわけではない。でも、母にも祖母にもだまって思いきった行動をとることが、物語のさらなる展開につながるのだ。陽光と冒険心にあふれた、すがすがしいシーンだ。

 謎の多くは当事者である家族の口から語られるので、いわゆる「謎解き」を期待すると若干の肩すかしを食うかもしれない。それでも読み進めるにつれてぐいぐいひきこまれずにはいられない。つぎつぎと明かされる家族の過去にときには打ちのめされながらも、現実を正面から受けとめていくケート。しかし最後の最後、とても10歳の少女には抱えきれないほど重い秘密が明かされたとき、それを救ったのも大人たちのひとりだった。……なんて深く、強い心……いや、そもそもそんなことが可能なのか?……でもやっぱり……。再読以来、こんな自問自答が頭のなかをぐるぐるめぐっている。既読の方、どうかわたしの話し相手になってください。

 子ども向けのハードカバーしかなくて、ちょっと入手しにくいのが難点だけれど、大人にもぜひ読んでほしい傑作。願わくは岩波少年文庫版か、YA向けあるいは大人向けの普及版が出ないかなとひそかに願っている。

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ないとう ふみこ

(内藤文子)。東京都府中市出身。上智大学卒業。訳書に、ボーム『完訳 オズのかかし』、ステッド『きみに出会うとき』など。現在はオズシリーズ第12巻『完訳 オズのブリキのきこり』に取り組み中。やまねこ翻訳クラブ会員。埼玉県在住。