昨年、わたしは学習塾で英語の講師をしていたのだが、中1に代名詞を教えているとき、ちょっとショックなできごとがあった。Jane という名前を he に置きかえた子がいたので、「女性を表す代名詞は she だよ」と指摘したら、「えーっ、ジェーンって女?」「うっそー、ぜったい男だよ」「男っぽい名前!」と口々に反応が返ってきたのだ。そ、そこにひっかかってたんかい? きみたち、「ジェーン」って名前、きいたことがなかったのね……。
今は公立の小・中学校にもネイティブの英語指導助手がいるし、もちろんインターネットもあるし、わたしが子どものころにくらべたら外国文化に接する機会や手段ははるかにたくさんある。でもそれに比例して海外への関心や理解が深まっているかというと、そうともいえない気がする。その理由を分析することはこのエッセイの目的ではないので深く立ち入りはしないけれど、もっともっとほかの国のことに関心をもとうよ、と訴えたい気持ちはある。名前のひびきも、言葉も文化も違う人たちが暮らす国々。わたしがかつてリンドグレーンの描く世界にあこがれたように、違う世界を知るのは楽しいし、違う世界に住む人たちが同じようなことを考えているんだなと知るのも楽しい。
そういう意味で、まずはすぐれた指南書を1冊ご紹介。
『多文化に出会うブックガイド』
多文化交流の現場にたずさわる人たちのエッセイやレポートに加えて、世界各国の絵本や児童書がカラーの表紙写真入りでたっぷり紹介されている。すごいのは、本が国別に分類されているところ。当代一流の読み手たちがたずさわっているので、選書も抜群だ。
この本を見ていても思うのは、児童書、とりわけ絵本は、いろいろな世界のありようを肌で感じさせてくれる、すぐれたメディアだということ。とはいえ、絵本を読むのに理屈はいらない。まずはなんといっても楽しむのがいちばん。この「秋の読書探偵」作文コンクールでは、翻訳絵本を読んで書いた作文も大歓迎なので、今日はわたしの好きな絵本を何冊かご紹介しよう。
まずは偏愛するアンソニー・ブラウンが絵を描いたこの作品から。
『ナイトシミー 元気になる魔法』
だれとも口をきかず、まわりの子たちから「だんまりおばけ」なんてよばれているエリック。でも「ナイトシミー」というひみつの友だちがいるから、しゃべる必要もなかった。そのエリックの前に、ある日マーシャという女の子があらわれる……。
アンソニー・ブラウンは、しばしば「シュールレアリスム」とも評される画風で、独自の世界を描き出すイギリスの絵本作家。2000年には、児童書のノーベル賞といわれる国際アンデルセン賞の画家賞を受賞している。この『ナイトシミー』は、ことばと絵が響きあって、心のふしぎをあざやかに描いた1冊だ。わたしは息子たちが小学生のころ、学校の読み聞かせ活動に参加していたのだが、教室でこの本を読むと、子どもたちがすーっと絵本のなかに入りこむのを感じた。ひきこもりやいじめという、現代の子どもがかかえる悩みにまっすぐ語りかける文章と、ちょっとした影や小道具にも意味を持たせるブラウンの画風が、子どもたちのハートをつかむのだろうか。
つづいてブラウン作品をもう1冊。こちらは絵も文もアンソニー・ブラウン。
『こうえんで…4つのお話』
ストーリーはいたって単純で、犬をつれたふた組の親子が公園で出会うという、ただそれだけのお話。それを芥川龍之介の『藪の中』のように、各人の視点から見るとどうなるか。ブラウンの集大成といってもいいほど画面のすみずみにまで工夫がこらされ、登場人物それぞれの語り口に合わせて活字の種類まで変えられているので、一度さっと読んだだけではおもしろさを味わいきれない。絵も文も繰り返し読んでながめて、じっくり楽しんでほしい。ちなみに今「登場人物」と書いたけど、これが人間じゃなくてぜんぶおサルさんなんですね。しかも親はゴリラなのに、子どもはどう見てもチンパンジー。ブラウンはサルが大好きで、「ウィリー」というチンパンジーの男の子を主人公にしたシリーズもある。『ボールのまじゅつしウィリー』なんかも、サッカー好きの子にはおすすめ。いろいろとさがしてみてほしい。
さてつぎは、大好きなウルフ・スタルクの絵本を。
『地獄の悪魔アスモデウス』
ウルフ・スタルクは、ユーモアあふれる語り口で子ども心を描き出すスウェーデンの人気作家。「シェーク vs. バナナ・スプリット」という短編が中学1年の国語の教科書(『中学校国語』 学校図書)に掲載されているので、名前を見たことがある人も多いかもしれない。
アスモデウスは落ちこぼれの悪魔の子。「地獄の支配者」であるパパは、おとなしいアスモデウスにがっかりしている。「おまえときたら、あばれたこともなければ、だれかをいじめたこともない。意地悪や、おこりんぼうって、ほめられたこともないだろ?」
そこでアスモデウスは修行のため、おそろしい地上に出て、魂をひとつとってくるよういいつかる。地上に出たアスモデウスの珍道中はなかなか痛快だ。「いばりくさっている人間はだましやすい」というパパの教えを思いだし、牧師さんにむかってこんなことをいう。「おじさんのほしいものをなんでもあげるよ。お金? 名誉? はだかの女の人は? おじさんは、ほんとにいばりくさってて、えらそうにしてるね」
書き写してるだけでもフフフと笑いが出る。巧まずして大人の欺瞞をあばいてしまう子どもを描くのは、スタルクの得意技だ。で、このあとアスモデウスは、とある少女とめぐりあい……。父と子の物語であり、愛の物語でもある『地獄の悪魔アスモデウス』。あとはぜひ手にとってごらんください。このほかにもスタルクの絵本(というか、絵入り物語)はたくさんあって、どれも傑作ぞろい。とくに『ちいさくなったパパ』は、子どもだけでなく、お父さんたちにもぜひ読んでもらいたい作品だ。これについては以前、やまねこ翻訳クラブでレビューを書いたことがあるのでそちらも参照してほしい。
最後に、絵本ではないけれど、「本を読む」ことが印象的に描かれたこちらの作品を紹介しよう。
『ジェミーと走る夏』
キャスは12歳の少女。となりに黒人の一家が越してきたとき、黒人ぎらいの父さんが、隣家とのあいだに高い板塀を築いてしまう。けれど節穴からのぞくうち、キャスは越してきた一家にジェミーという同い年ぐらいの少女がいることを知る。家族の目を気にしながらことばを交わすうち、キャスとジェミーは互いに走るのが大好きであることを知って、ひそかに学校のグラウンドでいっしょにトレーニングをするようになる。
そんなふたりが見つけたもうひとつの楽しみが、塀ごしに『ジェーン・エア』を朗読しあうことだった。キャスが、以前仲よくしていた老婦人からもらった『ジェーン・エア』。ひとりで読もうとしても、難しいことばが多くて歯が立たなかったけれど、ふたりで交互に読み合ううち、「たいくつでむずかしいむかしの小説」は、たちまち胸躍る物語へと変貌する。やがて秘密の交流が黒人ぎらいのキャスの父さんに露見して、ふたりは自由な行き来を禁じられてしまうが、『ジェーン・エア』の続きを読みたい、少女から大人になって波瀾万丈の人生を送るジェーンのその後を知りたいという一心で、ふたりは真夜中に思いきった行動に出る……。
ジェミーとキャスが『ジェーン・エア』を読み合う場面の、なんと甘美なこと。「走る」というアクティブな行為で結びついたふたりの友情に、この読書が深みを与えている。ふたりにとって『ジェーン・エア』は、何よりもまずわくわくする物語なのだけれど、結果的には大人の偏見によって築かれた壁に風穴をあけ、隣の家という別世界へいざなってくれる扉ともなった。と同時に、この作品を読む読者も『ジェーン・エア』という作品のおもしろさを感じて、読みたい気持ちをそそられるのだ。
子どもの本には本を読む子どもがよく登場する。それは本が新しい世界に通じる扉だからなのだと、この作品を読んであたらめて思う。作中の人物にとっても、作品を読む読者にとっても。そして中1のきみたちよ……ね、だから、「ジェーン」って、女の人の名前なんだってば!
◇ないとうふみこ(内藤文子)。東京都府中市出身。上智大学卒業。訳書に、ステッド『きみに出会うとき』、フレイマン=ウェア『涙のタトゥー』、ガイ『ネズミ父さん大ピンチ』など。やまねこ翻訳クラブ会員。 |