「SFは好きですか?」
そうきかれると、答えに躊躇する。べつに嫌いではないと思うが、「好きです」と堂々と言う自信はない。「SFが好き」と言うにはその手のものをかなり読みこんで、一家言もっているくらいでないといけないんじゃないか——というような敷居の高さがあって、SFと聞くとついつい敬遠してしまう。
この苦手意識を「食わず嫌い」と言ったら、「違うでしょう」という声があちこちから飛んできた。「だって、読んでるじゃない」と。
言われてみれば、たしかに苦手と言いながらも、案外いろいろSFっぽいものを読んでいた。しかもそれが結構お気に入り作品だったりする。『ザ・ギバー 記憶を伝える者』とか『500年のトンネル』とか『かようびのよる』とか。そっか。「読めないし、読んでない」と思いこんでいたけど、そうでもないらしい。さらにさかのぼって記憶をたどれば、中学高校時代には濫読の中に自然とSFも入っていた気がする。学校の図書室にはささやかなSFコーナーがあって、『時をかける少女』や『なぞの転校生』、『黒の放射線』といった日本の作家の作品がならんでいたが、それも端から読んでいったように思う。なるほど、ぜんぜん「食わず嫌い」じゃなかった。
このかなり間のぬけた発見のおかげで、だいぶ気持ちが楽になった。というのも、今年はあるSFのシリーズに注目しているのだ。それも、ひとつでなく、ふたつ。苦手分野だと思いこんでいたときにはなかなか言いづらかったが、今はちょっと声を大きくして言える。「注目しています」
まずひとつは、パトリック・ネスの3部作「混沌(カオス)の叫び」。パトリック・ネスの名前には、シヴォーン・ダウド原案『怪物はささやく』の作者としてピンときた方もあるだろう。「混沌(カオス)の叫び」はカーネギー賞、ガーディアン賞をはじめ、いくつもの賞に輝いたディストピア小説。ずっと前に原書第1巻のあらすじを読んだときには、いかにもSFという気がして、「あ、これは苦手な分野だな」と尻ごみした。しかし、このシリーズが名だたる賞を総なめにしていくのを見ていると、なんだかもう気になってしょうがない。そのうちには「早く邦訳出ないかな」と思いはじめたりして。そして、ついにというかやっとというか、先月末、待ちに待った日本語版第1部『心のナイフ』上下巻が刊行された。
作品の舞台は、「新世界(ニュー・ワールド)」と呼ばれる宇宙植民地。入植者たちは質素で素朴な生活を求め、20年あまり前にこの星にたどりついた。しかし、この星の先住民スパクルが戦争をしかけてきて、せっかく築いた町々はプレンティスタウンひとつを残して破壊された。人間たちはスパクルを全滅させたが、この戦争でスパクルがまいた〈ノイズ菌〉のおかげで、女は死に絶え、残された男たちも奇妙な後遺症に悩まされることになった——。それが、プレンティスタウン最後の子ども、トッドの教えられたこの星と町の歴史だ。ノイズ菌の影響で、人々の頭の中の考えはひとつ残らず、声や映像の「ノイズ」となって漏れだしてしまう。人間だけでなく、生物すべてがここではのべつ膨大なノイズをまきちらしているのだ。日夜、大人たちの暴力的なノイズにさらされ、いっぽうでは必死に自分の心の声を抑えこまないと、プライバシーを守ることも難しい。そんな環境でトッドは育ってきた。
あとひと月で13歳になり、大人の仲間入りをしようというある日、トッドは町はずれの沼地で「静寂」を発見する。そして、わけもわからぬままいきなり、「静寂」の正体である少女ヴァイオラとのすさまじい逃避行に追いこまれてしまうのだ。町を出たトッドは、これまで信じてきたもののほとんどすべてが偽りであることに気づいていく。けれど、それを知っても謎は深まるばかりだ。なぜ追われるのか、逃げた先に何が待っているのか、何もわからないまま、ふたりは走りつづける。危機に襲われるたび、トッドは町を出るときに育ての親に渡されたナイフを握りしめ、刺すか刺さないか、生かすか殺すかの選択に苦しむ。
なんというか、胸もとをぎゅっとつかまれたままトッドたちと一緒に走らされているような感覚だった。緊張と不安にぞわぞわとまといつかれて、「逃げなきゃ」とページを繰るような。
恐怖ととまどい、怒り、悲しみ、胸に突き刺さる痛みをかかえながら、トッドとヴァイオラは進みつづけ、やっと目的地にたどりついたとき——というところで第1部は終わっている。うーん、続きが読みたい。
もうひとつのシリーズというのも、やはり少年と少女の物語。すでにあちこちで紹介されているのでご存じの方は多いだろうが、スコット・ウエスターフェルドのスチームパンク(蒸気機関を高度に発達させた架空の過去世界を舞台にした物語)3部作「リヴァイアサン」だ。昨年の暮れ、その開幕篇『リヴァイアサン——クジラと蒸気機関』が〈新☆ハヤカワ・SF・シリーズ〉第1回配本作品として刊行されている。
こちらの作品は、機械文明を発達させた〈クランカー〉と、遺伝子工学によって驚異的な力を得た〈ダーウィニスト〉というふたつの勢力に二分された世界を舞台にしている。この勢力図を表した巻頭のイラスト地図がなんとも圧巻。ドイツ、オーストリア=ハンガリー帝国といったクランカー諸国は武骨でものものしい鉄の武器と機械で表現され、そこに異形の怪物に姿を変えたイギリス、フランス、ロシアらダーウィニスト諸国が目をむき、牙をむいて食らいつこうとしている。ちょっとレトロな感じの装丁からして、見た瞬間に「おーっ」と声を上げてしまったのだが、この地図でまた「おーっ」。かっこいいおもちゃでも手にしたような、懐かしい興奮。冒険SFというのもふだん積極的に手をのばすジャンルではないのだが、この見た目の楽しさが読みたいという気持ちを後押ししてくれたかもしれない。
物語は1914年のサラエヴォ事件から始まる。現実の世界で第1次世界大戦の契機となったこの事件によって、作中の世界も一大戦争に向けて動きはじめる。主人公は、事件で暗殺されたオーストリア=ハンガリー帝国大公夫妻のひとり息子アレックと、英国海軍航空隊の新兵ディラン。ディランと名乗ってはいるが、じつは性別を偽って入隊した女の子で、ほんとうの名前はデリンという。アレックは両親の殺害された夜、わずかな家臣に守られて城を脱出する(乗り物は二脚歩行マシン!)。そして、逃亡のとちゅうで敵国の巨大水素呼吸獣リヴァイアサン(なんという迫力!)に乗ったデリンと出会うのだ。純粋でまっすぐなアレックと、男まさりでべらんめえ口調のデリンは、じつにいい取り合わせ。背景の世界情勢が緊張を高めていく中、活きのいいふたりの動きに心が躍る。
とにかく、わくわくする。こんな単純な言葉では申しわけないが、そう言うのがいちばん似合っている気がする。子ども時代にもどったような懐かしくて新鮮な「わくわく」を感じる冒険物語なのだ。電車の中で読んでいて、つい口もとがゆるむのを抑えるのがたいへんだったが、そのうちそれも忘れて夢中になり、ふた駅も乗りすごしてしまった。
ディストピアとスチームパンク、まったく趣の違うふたつのシリーズだが、久しぶりにSFというジャンルに目を向けてみて思ったのは、あたりまえだけれど、やっぱりおもしろいということ。「好きですか?」ときかれたら、「最近こんなの読んでて……」と話したい気分になっている。「ねえねえ、こんなのどう?」と誰かにすすめたい。それで、この場をお借りしたというしだいだ。
「リヴァイアサン」シリーズ第2巻の『ベヒモス——クラーケンと潜水艦』は今月刊行になったところ。「混沌(カオス)の叫び」の第2部は11月刊行予定とか。どちらも早く読みたくてうずうずしている。
◇杉本詠美(すぎもと えみ)。広島県出身。広島大学卒業。訳書に、クレア「シャドウハンター」シリーズ、ヴィンチェンティ「ガラスのうし モリーのおはなし」シリーズ、レイナー『オーガスタスのたび』など。やまねこ翻訳クラブ会員。 |