2012年6月6日、レイ・ブラッドベリが亡くなった。訃報をはじめてTwitterで見たとき、夏の草原を白いスニーカーでどこまでも走っていく少年が、脳裏にうかんだ。

 草の匂い。まぶしい太陽。

 ふだんはあまり感傷的ではない自分が、ぐらりとゆらいだ。

 91歳という年齢だけを見ると、訃報も驚くには当たらないのかもしれないが、晩年もわりあいコンスタントに新作やインタビュー集などが発表され、いくつかは映画化の話も出ていた様子に(全部を追いはしないものの)、なんとなく永遠にそれが続くような気がしていたのだ。

 このSFの巨匠については、じゅうぶんに言い尽くされている。ファンタジーと郷愁の大家、幻想と恐怖の魔術師、抒情詩人、文明批判や人間疎外の問題を独特の暗喩で描く唯一無二の作家、などなど。邦訳のすばらしさも周知のとおり。そこに今さら、一介のファンにすぎないわたしがつけくわえることなど何もない。でも、彼の死を知って急速に時間が巻き戻され、どうしても語らずにいられず、〈自分語りモード〉になってしまった読者はたくさんいるにちがいない。

 ブラッドベリの作品とはじめて出あったのは、中学生のとき。近所の書店で、たまたま手に取ったのが、『何かが道をやってくる』だった。

「ある年の万聖節前夜、ジムとウィルの二人は13歳だった。そして彼らが一夜のうちに大人になり、もはや永久に子供でなくなってしまったのは、その10月のある週のことだった……。」

『何かが道をやってくる』コピーより)

 この惹句に心をひかれない中学生がいるだろうか。日本でのハロウィーンが今のようなお祭り騒ぎとなるずっと以前の時代である。この長編を理解できたとはいえないが、幻想的で怪しげな雰囲気はいたく気に入り、この作家の本をもっと読みたい、と願った。当時の中学生に、出版情報を入手することはなかなか容易ではなかったが、偶然の出あいという楽しみはあった。

 その後、『十月はたそがれの国』『ウは宇宙船のウ』『スは宇宙(スペース)のス』と順調に短篇集を入手し、すっかりとりこになったわたしの前に現れたのは、萩尾望都がマンガ化した『ウは宇宙船のウ』だった。当時、『トーマの心臓』をはじめとする萩尾作品の大ファンでもあったわたしには、望外のプレゼントだ。主人公を少年から少女に変えるなど、大胆な変更を加えながらも、キモとなるセリフは落とさない。清冽な絵柄に、寂しげなブラッドベリの世界はよく似合っていた(ちなみに、萩尾望都がマンガ化したSFの傑作には、光瀬龍原作の『百億の昼と千億の夜』もある。なお、萩尾望都がブラッドベリについて語った言葉は、『コトバのあなた マンガのわたし』という、80年代の対談を収めた書籍で読める。翻訳者の小笠原豊樹・SF作家の川又千秋との鼎談という貴重な文献だ)。

 名作、『火星年代記』にめぐりあい、ノックアウトされたのは、さらに数年あとのこと。そのころ、自室の本棚の一角に、お気に入りの本を集めて「マイ・ベスト10」コーナーをつくっていた。そのラインナップは折々にマイナーチェンジされたのだが、『火星年代記』は、一度も姿を消したことはなく、ベスト1をキープしつづけた。そんなコーナーをつくらなくなった今も、心の中の本棚では、最上の位置を占めている。短篇を集めた長篇というスタイルがそもそも好みな上、その短篇のバリエーション、緩急のつけかたが絶妙。全体に漂うものがなしさ、はかなさのうしろで通奏低音のように流れる、希望を語る声。すべてが完ぺきだった。

 今回、ブラッドベリを悼んでいくつかの著作を読み返してみた。十代の自分の気持ちが、遠くから、しかしはっきりと響いてくる。そこに、今の自分の思いがさらに重なりあった。「ウは宇宙船の略号さ」(『ウは宇宙船のウ』所収)を読んだときには、故郷をあとにして夢に旅立つ息子の晴れがましさや寂しさと同時に、送り出す母親の複雑な気持ちにも、はじめて共感することができた。

 ところで、子どものころの読書のいいところは、作者についても作品についても、よけいな情報や先入観にまどわされずにすむことだ(といっても、情報のあふれる昨今はそうでもないのかもしれないが……)。想像(妄想?)のなかで作者像を好きなように描くことができるし、作品の一般的な評価に左右されることもない。たとえ理解できなくても、理解できないこと自体が記憶に刻まれる。たとえば「霜と炎」(『ウは宇宙船のウ』所収)を読んだときには、あまりの突飛な設定についていけなかった。けれども、なぜかこの短篇は、折りふしに思い出されるものとなり、やがて、人生の秀逸な比喩と感じられるようになっていった。

 というわけで、ブラッドベリのSFとファンタジーをせっせと読んでいた十代のわたしだが、この作家の作品の重要なファクターとして、〈少年性〉というものがあることにはもちろん気づいていた(萩尾望都ファンならあたりまえ)。なのに、どういうめぐりあわせか、12歳の少年を主人公にした、自伝的要素を含んだファンタジー、『たんぽぽのお酒』を手にとったのは、ずいぶんとあとになってのことだった。この本を、十代に読んでいたらどうだったろう……?と、あとで若干の悔いを感じたものだ。基本的に、ブラッドベリの作品はどれも、十代に読むべきものだろう。

 とはいえ、その続編である『さよなら僕の夏』(なんと前作の50年以上後、80代になったブラッドベリが上梓した作品!)を、ごく最近読んだとき、これは一見少年向けだけど、大人向けでもあると感じた。正確にいえば、むかし子どもだった大人向けの作品だ。少年にとっての老い、老人にとっての若さ……ブラッドベリ自身が、老年に達しても、いつまでもその内面の少年らしさ(良くも悪くも)を失わなかった人なのだろう。彼の描く少年は、リアルな息づかいをもちながら、思い出の中に永遠の命を保っている。

『火星年代記』と並んで、おそらくブラッドベリの最も有名な作品のひとつ、『華氏451度』を読んだのも、比較的遅かった。もうほとんど大人に足をふみいれていたわたしは、この本にはさほどのめりこめなかった記憶がある。焚書というワン・テーマにこだわりすぎているように思え、その他の描写が物足りなく感じた。『1984年』と比較したりして、なにかと批判的に読んでしまう自分が悲しかった。

 ほかにも、ブラッドベリに対する批判といえば、「人物」が描けていないこと、科学的な正確さに乏しいことなどがよくあげられる。「人物」については……彼が紡いでいるのは「お話」なのだから、と思える。おとぎ話に人間描写を求める人はいないだろう。そしてまあ、宇宙船から大きなカップを出して太陽から熱を汲みだす話などは、SFというより神話といったほうがふさわしかろう。文系SF少女(そんな言葉があるかどうかはよくわからないが)だったわたしは、細かい理論をトウトウと語るSF(それもまたお気に入りではあったが)だけがSFじゃないとして、ブラッドベリの作品を深く愛していた。

 そう、愛。ブラッドベリが口癖のように語るのは、愛。すべては愛の名のもとに語られ、許される。

 ブラッドベリはSF作家ではあるが、決してガチガチの科学信奉者ではない。科学の夢は肯定する(彼が作中で予見した発明品は数多い)が、人間を疎外するようなガジェットには激しい拒絶反応を示す。テレビもインターネットもパソコンも電子書籍も嫌いだし、飛行機にも長い間乗らなかったという。電子化をもちかけたヤフーに対し、罵声を浴びせたことはニュースとなった。

 そんなブラッドベリが、『華氏451度』の電子化をついに許可したのは、昨秋のこと。そして彼が亡くなった今年6月には、200篇におよぶ自薦短篇集も、『たんぽぽのお酒』もその続編も電子化された(いずれも原書。生前の許可があったのかどうかは、よく知らない)。わたしは、それらの作品群をkindleにダウンロードして、新たな出あいにやっぱり喜びをおぼえつつ、ブラッドベリに対する申し訳なさを多少感じる。電子化によって、焚書は非現実的なものとなったわけだが……はたして、書籍の魅力はきちんと伝わっていくのだろうか……。

 読書のすばらしさ、図書館の魅力(カレッジには通わず、図書館に通ってすべてを学んだと彼は繰り返し語っている)を喧伝してきたブラッドベリ。

 おおらかで陽気なアメリカ人であり、同時に頑固で人間くさいところも多分に持ち合わせていたブラッドベリ。

 あなたの作品を読んだとき、その物語に、わたし自身の人生のひとコマが刻印された。それを読めば、あのころの自分が再生されると同時に、今の自分が重ねて刻印される……。

 あなたのなかにいた小さな少年は、新品のスニーカーをはいて、永遠めがけて走っているところ。今はとりあえずさよなら。でも、繰り返し、繰り返し、あなたの物語とは出あいつづけます。そしていろんな時代の自分自身とも。

菊池 由美(きくち ゆみ) 大阪府出身。京都大学卒業。訳書に、アドリントン『ペリー・Dの日記』(ポプラ社)、マッカーシー『エッシャー—ポップアップで味わう不思議な世界』(大日本絵画)など。やまねこ翻訳クラブ会員。

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