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フレンチミステリーに関する座談会や「フランス未訳短編翻訳コンテスト」の受賞作品の掲載、フランスのミステリ賞の受賞作品の紹介など、さまざまな記事がお楽しみいただけます。それでは、最初に注目作家のご紹介から。(高野優)
■1. 注目作家の紹介■
では早速、注目の作家オリヴィエ・ノレックをご紹介しましょう。ノレックは1975年生まれの43歳、パリに隣接するセーヌ=サン=ドゥニ県で長らく警部補を務めていました。元警官による警察小説というとフランスの場合は特にリアルの再現のみに全力を注ぐ作品も多いのですが、ノレックの小説にはリアルとエンタテインメント性の両方が備わっているのがオシポイントといえるでしょう。勤務地だったセーヌ=サン=ドゥニ県は、低所得者向けの団地が並ぶ移民の街であり、近県に比べ凶悪犯罪数がかなり多いことで知られています。ノレックはここで得た経験をもとに、まずは同県の架空都市を舞台にした「コスト警部シリーズ」を書き上げました。
シリーズ第1巻は『コード93』(2013年)。フランス政府はパリを中心とする巨大経済圏の構築に向けて、セーヌ=サン=ドゥニ県の暗部を隠ぺいするための〈コード93〉計画を企てます(※93は同県の県番号)。コスト警部は所轄の殺人事件が次々と他県の犯罪として処理されていくことを不審に思い調査を開始。やがてこの政府主導の計画を知った彼は、ある警察幹部の協力を得て、自分達の事件を自分達で解決するために動きだす、という骨太の物語です。作品には警察組織に対する強烈な批判も込められてはいますが、ノレックが真に描きたかったのは、市民を守るために日々チームで協力しあい頑張っている普通の警官の姿なのでした。
続く第2巻は『テリトリー』(2014年)。管轄内で違法薬物ディーラーのトップ争いが勃発し、市長が抗争に巻きこまれます。抗争の中心は未成年の少年達であり、一人暮らしの老人宅を無理やり薬物の保管場所にするなど、彼らのやり口はあまりに残虐で目をそむけたくなるほどですが、これもまたこの街のリアルなのでしょう。コストは謎の新トップの正体を暴き、逮捕に奔走するのでした。1巻に引き続き、この2巻でも、コストを慕う部下達がともにストーリーを盛り上げます。
最後、第3巻は『過電圧』(2016年)。ある窃盗グループのリーダーが、警察に捕まった弟を釈放させるために、当該事件を含む数件分の証拠品を盗み出します。それをきっかけにして、リーダーの弟とコストの部下が命を落とし、最後はリーダーまでもが口封じのためにコストの目の前で射殺されます。コストは部下を失った責任を取るため、ついに辞職を決意したのでした。
こうして「コスト警部シリーズ」が余韻を残しつつの終了となった翌2017年、移民問題をテーマにした『ふたつの世界のはざまで』が発表されます。フランスの移民キャンプはその劣悪な環境から〈ジャングル〉と呼ばれていて、本作は英仏海峡トンネルがあるカレー市の〈ジャングル〉が舞台となっています(※ここは2016年10月に解体撤去済)。各国から必死の思いでこの〈ジャングル〉にたどり着いた移民達は、イギリスに密入国することを目標に、ディーラーに大金を払い、彼らの助けを借りてまた命がけで走行中の物流トラックに忍び込むのです。本作にはこれを取り締まる現地警官達の苦悩もあわせて描かれているのですが、その職務は過酷としか言いようがありません。特に、職務の重さから自殺を図り、復職後は移民をネタに軽口を叩くことでしか日々をやり過ごせない警官を知った時には身につまされる思いでした。暴徒化する集団を制圧し、車に轢かれた遺体の処理をする……。ニュース映像で見るだけでもそのすさまじさに圧倒されてしまいます。現地取材では元警官のノレックにしか聞きだせない話もあったということですから、おそらくこのあたりにも真実があるのでしょう。『ふたつの世界のはざまで』には、フランス人刑事と〈ジャングル〉で暮らす元シリア人刑事の交流を軸に、過去に拷問で舌を切落された元こども兵士の少年をイギリスに送りたいと願う人々の葛藤が描かれています。映画化も決定しているので、皆さんも機会がありましたらぜひごらんください。
Bon, il sort quand ce fichu bouquin ! Marre d'attendre… 🙂
(sinon c'est le 4 avril… et en avant première pour QDP !!!!). pic.twitter.com/SpyS3QYwFo— Olivier Norek (@OlivierNorek) 2019年3月12日
最後はこの4月刊行の最新作、『表面』について。こちらは8カ国で翻訳中という人気作で、トラウマを負った敏腕警部が難事件の捜査を通してどん底から這いあがっていく物語です。ある時、パリで活躍する女性警部が任務中に銃弾を受け顔に一生残る傷を負います。警部はその醜い顔のせいで恋人に去られ、傷が職務への恐怖心を煽るとして現場復帰も許されず、最終的に、閉鎖を控えた僻地の警察署へ出向を命じられます。それでも彼女はそこで25年前の誘拐事件を解決に導きつつ、職務への情熱と人を愛する気持ちを取り戻すのでした。さて、これは余談となりますが、実は事件解決の鍵を握る死亡者名簿の中に、このあと「フランス語短篇翻訳コンテスト」の記事内で紹介されるジャック・ソセーの名前がさらっと出てくるのです。ふふふ。以上、親しい作家仲間を作品中で亡き者にするオリヴィエ・ノレックについてご紹介いたしました。
■2.「フランス語短編翻訳コンテスト」受賞作品の紹介■
それでは、高野優フランス語翻訳教室の修了生対象に行なっている「フランス語短篇翻訳コンテスト」の第5回の上位作品についてご紹介いたします。
第5回フランス語短篇翻訳コンテスト
2014年度に開始したこの企画も、5年で200篇を越える作品訳が集まり、このうち5篇を『ミステリマガジン』誌さんでご紹介させていただきました。またみなさまへお披露目できる機会があることを願いつつ、昨年度の結果報告をさせていただきます。
1位「鋏で四百回」ティエリー・ジョンケ 白瀬コウ訳
2位「スクープ」ジャック・ソセー 青木智美訳
3位「動かない頭」ジョルジュ・シムノン 廣部薫訳
4位「最後の週末」 ルイ・C・トーマ 澤田理恵訳
5位「映画が終わる前に」フランク・ティリエ 中島由貴子訳
高野優推奨作品「赤、ピンク、フーシャ」トニーノ・ベナキスタ 小島幸江訳
高野優推奨作品「ボールペンで書かれた数字の謎」ローマン・プエルトラ 湯山明子訳
今年優勝したのは、夫殺しを企てた妻とその顛末を描いたティエリー・ジョンケの短篇でした。ジョンケは代表的なノワール作家のひとりで、翻訳されたものでは、『私が生きる肌』(早川書房 平岡敦訳『蜘蛛の微笑』をのちに改題)があります。「鋏で四百回」は、夫によってアル中に仕立てあげられた妻が、復讐と自由を求めて犯行を決意するところから物語は始まるのですが、登場人物への無慈悲ともいえる仕打ちや作品に漂う閉塞感など、まるでフィルム・ノワールのシナリオのような作品でした。
このジョンケを始め、ジョルジュ・シムノンやルイ・C・トーマといった日本でも翻訳実績のある作家のなか、ジャック・ソセーという作家はフランスミステリを原書で読まれている方でも、聞き慣れない名前かと思います。『シンドローム』『GATACA』(いずれも早川文庫、平岡敦訳)の作家フランク・ティリエが、「現代のフレンチノワール界の鬼才」と言葉を寄せているように、これからも活躍が期待出来る作家ですので、今回の機会に少しご紹介いたします。
ジャック・ソセー(Jacque Saussey)(1961~)フランス生まれ。
アーチェリーの元全仏チャンピオンという経歴の持ち主。現役中の27歳の頃から執筆を開始しますが、この頃はあくまで趣味の範囲だったとか。引退後の2002年、投稿した短篇「Quelques petites taches de sang」がいきなり賞を授賞。5年後にも別の短篇で賞をもらい、ソセーは自信を得ます。翌年書きあげた初の長篇小説 La mante sauvage(のちに Colere Noireに改題)は、パリ10区の警察官、ダニエル・マグネ警部と署に赴任してきた若いリサ・ヘスリン巡査を主人公にしたスリラー小説でした。ところが期待に反しまったく出版社に見向きもされず、投稿しても落選。それでもめげずにこの《ダニエルとリサ》コンビの2作目を書いたところ、こちらは出版が即決定。その後は順調に執筆が進み、現在までに7冊が刊行されているシリーズとなっています(最初の1作目も、3作目のあとに無事刊行されました)。
ちなみにこの《ダニエルとリサ》、ソセーが『ミスティック・リバー』(早川書房、加賀山卓朗訳)の原作者デニス・ルヘインの作品を愛読していたことから、ルヘインが生みだした私立探偵《パトリック&アンジー》(いずれも角川書店、鎌田三平訳で邦訳あり)から主に着想を得ているとか。
ソセーは究極のノワール作家、といえるかもしれません。描写や物語は正直、残酷です。ただその文章や文体はとても美しく、辛い物語のなかに必ずといっていいほど心に響く、暖かいものも感じとれるのです。
さて、いかがでしたでしょうか。今回は、オリヴィエ・ノレックとジャック・ソセーを中心にご紹介いたしました。今後も引き続き魅力あふれるフランス人ミステリー作家を紹介してまいりますので、皆さまどうぞご期待ください。
(執筆協力:青木智美、伊禮規与美、森田有美子、廣部薫)
伊藤直子(いとう なおこ) |
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こよなく猫を愛する翻訳者。 今はただTHE YELLOW MONKEY19年ぶりのオリジナルアルバムが世に出るその日を待っている。 訳書にクリスチャン・ジャック『スフィンクスの秘儀』(竹書房)など。 |
竹若理衣(たけわか りえ) |
訳書にガストン・ルルー 『黄色い部屋の秘密』(高野優監訳)、イングリッド・デジュール『死を告げられた女』。 行動範囲の狭さを改善しなければと思いつつ、空想の世界では古代から異世界まで旅をしているからいいかと自己満足している。ファンタジーミステリの翻訳をいつか手がけるのが夢。 |
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