『悪霊の島』上下/DUMA KEY

スティーヴン・キング(Stephen King)/白石朗・訳

文藝春秋 四六判並製/定価各2100円(税込)/発売中/

(上巻)/
(下巻)

 この島には何かがいる。夜ごと不吉にささやく何かが——

 《恐怖の帝王》、堂々の帰還。覚悟せよ、底なしの恐怖を。

 不慮の事故で片腕を失い、ひとりフロリダの孤島デュマ・キーに移り住んだエドガー。波と貝殻の囁きを聴きながら静かに暮らすうち、彼は絵を描く衝動にとりつかれるようになった。彼の意思と関わりなく手が描き出した少女と船の絵——これはいったい何なのか? じわりじわりと迫る怪異。島の南端にうずくまる黒い廃屋。封じられた島の歴史。溺れ死んだ双子。そしてついに、じっと時を待っていた恐怖と死の嵐が巻き起こる——。

 これぞモダン・ホラー、これぞスティーヴン・キング。本書を読み終えたときにまず頭に浮かんだのは、そんな言葉でした。

 思い返せば長いあいだ、キングはストレートなホラー小説から遠ざかっていました。長篇で言えば1998年の『骨の袋』(新潮文庫/上下)以来、じつに10年ぶり(『セル』[新潮文庫/上下]は、モンスターを媒介としたポスト・アポカリプス小説だと思っています)。前作の『リーシーの物語』(文藝春秋/上下二巻)が、反復や伏線を神経組織のように張りめぐらせ、キングが持てる技巧のかぎりを尽くした野心作だったのと対照的に、本作は一人称でまっすぐに進む仕立てになっています。

 例えば『シャイニング』(文春文庫/上下)がそうだったように、平穏な日々に少しずつ混じりこむ不可解事を積み上げてゆき、それが臨界に達したときに一挙に恐怖と邪悪が沸騰する。本書におけるそんなダイナミズムは、まさしくジェットコースターのそれです。おそるべき未来を匂わせながら、じわじわと高みをめざす上巻、それが頂点を越えて落下の軌道を突進しはじめる下巻。前半で積み上げられた「思い」や「絆」があるからこそ、それが死と破滅にさらされる後半の焦燥と恐怖が圧倒的なものとなります。

 そして最後に訪れる、比類なく美しい、悲しみの一場。本書を読んだある評論家は、本書にキングの成熟を見たと言います。それはたぶん、本書後半とラストとに満ちる、情愛をよく知るがゆえの深い痛みと悲しみのことを指しているのではと思います。

(文藝春秋翻訳出版部:永嶋俊一郎)