映画監督マイケル・マンがメグ・ガーディナーと組んで書いた『ヒート 2』という文庫本を書店で発見したとき、なんという偶然の一致か! と思ったのでした。なぜならちょうど一週間後、クエンティン・タランティーノによる初の小説『その昔、ハリウッドで』が刊行される予定だったからです。

どちらも著者が独自のスタイルを持つ映画監督であり、彼らが語る物語の多くはクライム・ストーリーであり、どちらの本もいわゆる「ノベライズ」とは一線を画した小説であるらしい。それが、わずか十日かそこらのうちに立てつづけに刊行される。これは何かのご縁であろうと確信して、『ヒート 2』の担当編集者であるハーパーBOOKSの新田磨梨さんに、お互いの作品について感想を書く交換書評をお願いできませんか、とおうかがいのメールをお送りしました。新田さんはカリン・スローターなども担当なさっています。

2018年に、このサイトで東京創元社の佐々木日向子さんの発案で、「客船ミステリ」の交換書評をしたことがありました。その5年ぶりの続編です。お忙しいなか、ご快諾いただいた新田さんには大感謝です。

ではまず、新田さんによる『その昔、ハリウッドで』書評です!

(文藝春秋・永嶋俊一郎) 

 
 


こんにちは。ハーパーコリンズ一般書籍編集部の新田です。今回は素敵な企画にお声掛けくださりありがとうございます。

最初にお話をうかがったときは、文藝春秋の永嶋さんとご一緒するなんて恐れ多すぎて腰が引けましたが、マイケル・マンとメグ・ガーディナーによる小説『ヒート2』が、本当にあの伝説の映画『ヒート』に勝るとも劣らない傑作のため、皆さまに知っていただくいい機会と思い、引き受けさせていただきました。

そして『その昔、ハリウッドで』を読み終えた今断言できますが、2作あわせてお読みいただくのは本当におすすめです!

では、映画マニアではない読者(私)目線で『その昔、ハリウッドで』を紹介させていただきます。
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さて、2019年8月に日本で公開された映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』はご覧になりましたか? レオナルド・ディカプリオとブラッド・ピットの豪華共演、クエンティン・タランティーノ監督により激動の1969年ハリウッドを描くというストーリー、そして“衝撃のラスト13分”という煽り文句で話題をさらいました(私は弊社刊のノンフィクション『マンソン・ファミリー』〔ダイアン・レイク、デボラ・ハーマン共著、山北めぐみ訳〕を担当後に映画を鑑賞してぶっ飛びました)。

物語の主要登場人物は3名。映画スターへの転身を図るもうまくいかない落ち目のTV俳優リック・ダルトン(レオナルド・ディカプリオ。情けなくて弱いところが最高)。リックのスタントマンで運転手、友人でもあるクリフ・ブース(ブラッド・ピット。アカデミー賞助演男優賞受賞の名演)。そして、注目の映画監督である夫とともにリックの隣家に越してきた若手女優シャロン・テート(マーゴット・ロビー。“セクシーなわたし”の権化)。時代が変わりゆくなか、取り残されつつあるリックは、イタリアのマカロニ・ウエスタン映画に出演する話が進むも乗り気ではなく、不安でいっぱい。クリフは情緒不安定なリックをサポートするも、スタントマンの仕事は干され気味で収入は減るいっぽう。そんななか、太陽が降り注ぎヒッピー文化が咲き誇るカリフォルニアで、1969年8月のある日、三人の運命が交錯します。

タランティーノは、実在の俳優や監督、映画、TVドラマの隙間に架空の人物と作品を入れ込み、虚実を巧みに織り交ぜながらおとぎ話を紡ぎ出しました。

タランティーノの小説デビュー作『その昔、ハリウッドで(原題:Once Upon a Time in Hollywood)』はこの映画を“もとにした”小説です。しかし、本書の帯にあるように、「本書はノベライズではない」のです。映画とは別の「同じ種子から誕生したもうひとつの物語、堂々たる一編の長編小説」になっています。読み終わったあとにこのコピーを見返して、激しく納得しました。小説は映画を超えて羽ばたき、読後感は驚きに満ちていました。それは著者がタランティーノだったからこそでした。

ひとつは、映画のために用意された、タランティーノが作り上げた世界の広さと緻密さ。

リックはどういう人間か。どういう映画に出てきて、どういうキャリアを歩んで、演技についてどう考えているのか。クリフはどういう生まれ育ちで、戦争で何を見てきて、どうやって金を稼いできて、どういう映画を観るのか。リックが出演しているウエスタンTVドラマのストーリー。ウエスタンドラマの歴史におけるその作品の位置づけ。40~70年代の映画の趨勢。ハリウッド俳優たちの繁栄と凋落――。

映画では描ききれなかった物語が小説のなかにひしめいています。それは、例えるなら映画では時間の都合で3部屋しか案内できなかった大豪邸の残りの100部屋を見せてもらったような感覚でした。それも100部屋全てが精巧に細部まで作り込まれているのです。

しかも驚異的なのは、未公開の部屋をつなげて幾通りもの物語が作れる、という事実でした。実際に本書は、小説で初めて描かれた部分が5割以上を占めるほど新たな物語となっています。

ふたつ目は、虚実を混ぜる巧みさ。先述のように、本書には膨大な数の実在の人物と映像作品が登場し、史実があり、そのなかに絶妙に“架空の人物”と“架空の出来事”が入り込んでいます。それにより、読み手は次第に映画を観るクリフのように「何が現実で何が映画なのかわからない」状態になります。

シャロン・テート、ロマン・ポランスキー、スティーヴ・マックイーン、ジェームズ・ステイシーは実在の人物。リック・ダルトンとクリフ・ブースは架空の人物。『大脱走』『ガンスモーク』は実在の作品。『賞金稼ぎの掟』は架空のドラマ。しかし、読み進むにつれて、(映画に詳しいわけではない私のような読者だとなおさら)、虚実の境目がなくなり、リックとクリフを架空の人物だと考えることは難しくなっていきます。リックの情緒不安定さが心配になり、クリフのタフガイぶりににやりとし、読み終わるころにはネットで検索してリックの主演映画を観なくては、と思うのです。

そして最後は、作家としてのタランティーノの圧倒的、かつ特殊な才能だと思いますが、物語を映像として伝える力。

いい小説を読んでいると、その情景が目の前に浮かんで「まるで映画みたい」と思うことがありますが、タランティーノが紡ぎだす文は映画そのもの。恐らく、あらゆるものを映画的な目線で見つめているのではないでしょうか。本書のなかでロマン・ポランスキー監督がある場面のカメラの角度をほんの少し変えることでいかに観客の反応が変わるかをシャロン・テートに披露して感嘆させる場面があります。タランティーノの文も、あらゆる場面をカメラマンの目で、最も効果的なカットで捉えているような、寄りと引き、角度が感じられます。それは彼が頭のなかで観ている映画を観ているような体験でした。

いずれも著者がタランティーノだからこその読み応えです。そしてこの作品を通じてタランティーノは何を伝えたかったのか。本作のなかで、読者はそれを知ることになります。もしかしたら映画よりも小説のほうが、本当にタランティーノが描きたかったことに近いのかもしれません。

いずれにしても、映画監督を著者に迎えた力作2作。映画ファンもそうでない方も満足すること間違いなし。『その昔、ハリウッドで』『ヒート2』、どうかあわせて手に取ってみてください。

(ハーパーコリンズ一般書籍編集部・新田磨梨) 

 
 

新田さん、『マンソン・ファミリー』のご担当だったのですか! それはもううってつけと申しましょうか、『その昔、ハリウッドで』を読むのはもはや運命だったのではないでしょうか。「映画では時間の都合で3部屋しか案内できなかった大豪邸の残りの100部屋を見せてもらったような感覚でした。それも100部屋全てが精巧に細部まで作り込まれている」なんて、まさにこの作品と映画の関係を見事に言葉にしていただいて大変うれしいです。

では僕のターンです。負けないようにしないと。

(文藝春秋・永嶋俊一郎) 


僕は銃撃戦が大好きなんですね。以前にアマゾンでどなたかが、「銃撃戦小説傑作選」みたいなリストを作っておられて、そこに自分の担当した本が何冊も選ばれているのを見て、そうじゃろうそうじゃろうと思ったこともありました。ちなみに担当本で最高の銃撃戦はボストン・テランの『死者を侮るなかれ』のクライマックスだと思います。

そんな銃撃戦愛好者にとって、避けて通ることが許されないのがマイケル・マン監督の映画『ヒート』(1995)です。見どころには事欠きませんが、まずは何より中盤の大銃撃戦。高層ビルが林立するLAのダウンタウン地区で、デ・ニーロ率いる強盗団とパチーノ率いる市警が銃弾で殴り合う。俳優たちの挙動は本職の軍関係者も感心するレベルで、このシーンを研修に使うこともあるとか。とにかく圧巻。映画史上に残る銃撃戦でしょう。

さて、そんな名作から30年弱。『ヒート 2』と題する小説が登場しました。『ヒート』の脚本も手がけたマイケル・マンと、ベストセラー・スリラー作家メグ・ガーディナーの連名による小説作品――題名どおり『ヒート』の続編で、プロローグで『ヒート』のあらすじをぎゅっと凝縮してみせてから、本編に突入します。

おそらく誰もが抱く疑問が、「これはノベライズなの?」ということかと思います。小説好きは「ノベライズ」に相対すると、どうもちょっと軽く見てしまうところがあります。脚本の行間をちょこちょこっと埋めたような薄味のものなのではないか、とか。この『ヒート 2』も、器用なベストセラー作家がマイケル・マンの脚本を案配よく書き伸ばしただけなのではないのか、とか。

でもその心配は無用でした。

執筆の経緯は不明ながら、マイケル・マンが基本的なプロット等を書き、それをメグ・ガーディナーが小説化したのだろうと想像するのですが、とにかくメグ・ガーディナーの書きぶりに一切の妥協が感じられないのです。本気の濃密。第一章の段階で、「これはたいへんなものだ」と思わされました。もはやそこからの700ページは、ノベライズとかそういう出自は頭から消えて、新刊で超大作で傑作であるクライム・スリラーを大いに楽しんだのです。

真っ先に連想したのは、ドン・ウィンズロウの『犬の力』『ザ・ボーダー』、そして佐藤究『テスカトリポカ』。現代クライム・スリラーのなかでもとりわけ熱く、苛烈で、圧倒的な作品たち。『ヒート 2』はそこに肩を並べます。そこらへんのノベライズどころか、そこらへんのクライム・ノヴェルでもない。異様な熱気をまき散らしながら、あらゆる障害物を正面突破してゆく装甲車のような小説なのです。

そもそもこの作品が長いのは、単にマン=ガーディナーの筆致が濃密であるからだけではなく、犯罪小説3冊分のネタが詰まっているからです。デ・ニーロとヴァル・キルマーらのプロの強盗が企むクライム・スリラー3冊に加えて、それを追うハナ警部(映画ではアル・パチーノ)の物語もあるので、警察小説も2冊分くらい。材料をケチっていないんですね。僕はこういう小説のことを「原価率の高い小説」と呼んでいるんですが、『ヒート 2』はめちゃめちゃ原価率が高い。中身ギッチギチです。

物語のうちのひとつは『ヒート』の前日譚。デ・ニーロが演じたニールがシカゴを拠点に企む強奪計画に、やはりシカゴ市警にいたハナ刑事が関わり、さらにもう一組、とんでもなく酷薄な強盗グループが登場します。さらに『ヒート』を超えるスケールのメキシコ国境付近での大強盗計画があって、ここで生まれた因縁が、最後のクライマックスを呼び込むのです。これら過去の物語と並行して、『ヒート』での戦いを生き延びたクリス(ヴァル・キルマー)がパラグアイに逃れ、中国系犯罪ファミリーとともに大仕事の準備を進めるさまが描かれてゆきます。マイケル・マンは『ブラック・ハット』(2015)でハッカーの世界と、アジアの犯罪組織をとりあげましたが、そこで得た知識が、このクリス編に活かされたのでしょう。

これらの3つのプロの犯罪者の物語に、事件を追うハナのパートが挟み込まれ、敵対する悪党の物語も挿入される。そして、これらすべてがクライマックスで集結するのです。全キャラと全因縁が交錯する地点で起こるのは、もちろん銃撃戦。これが『ヒート』とは異なったロケーション、大道具、風景、構図の中で展開するあたり、マイケル・マン先生はわかっています。しかも執筆のパートナーが女性のメグ・ガーディナーであるせいか、女性キャラが都合のいい添え物でないのもいい。主要な女性キャラが4名いて、彼女たち全員が理不尽や運命にあらがって反撃の牙をむくのです。

実は『ヒート』は、音の効果が凄い映画でもありました。『ヒート』の銃声は反響するんです。例の大銃撃戦では林立する高層ビルに銃声が反響し、冒頭の装甲輸送車襲撃シーンでは閑散とした地区の空に銃声が轟きわたる。これが素晴らしかった。つまり「映画」というメディアで銃撃(戦)を迫真的に描くにはどうしたらいいか、マイケル・マンはわかっていたのでしょう。ではマイケル・マン的な物語――アクションとガンファイトのみならず――を映像ではなく活字でいかに表現するか。そこについても本書はきちんと考えられていると思います。アクションそれ自体を描写するのではなく、そこに至るまでの感情と、そこに込められた感情を描写すること。激烈なアクションに見合う強い感情を生み出し、それをしっかる描くこと。活劇小説を成立させるものは何か――そういう小説としての水準を見事にクリアした傑作です。北上次郎さんならどう読んだだろう、と、ちょっと考えてしまったほどです。

とにかく熱い。「ヒート 熱気」という言葉が題名にあるのは伊達ではありません。ひょっとするとこっちのほうが映画よりも熱いかもしれない。本年度の体感温度最高記録はまちがいないであろう大作です。逆に飄々とした『その昔、ハリウッドで』と合わせてどうぞ。

(文藝春秋・永嶋俊一郎) 

 

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