——ル・カレからの嬉しい贈り物
ル・カレの『寒い国から帰ってきたスパイ』には特別な思い出があります。
今から四十年近く前のことですが、この小説に引き込まれて夜を徹し、読み終えると外は白々と明けていました。清澄な朝の空気の中、茫然としていたのですが、顔は火照っていたのをよく覚えています。
当時は、デタント(緊張緩和)があったとはいえ、依然として東西冷戦は続いていました。ソ連とその傘下の東欧は、米英をはじめとする西側(日本も含まれる)の敵で、ベルリンの壁は厳然とそびえていました。ですから、ベルリンの壁を挟んで繰り広げられる英国と東ドイツの諜報戦は、その作風と相まってとても現実味があったのです。しかも、驚くべきどんでん返しのあとに、衝撃的な結末が訪れるのですから、読後そのような状態になったのも当然でした。
こうした思いがあったので、ル・カレが『寒い国』の続篇ともいうべき『スパイたちの遺産』を書いたことを知ったときには胸が高鳴りました。しかし、その一方で不安にもなりました。失望感を味わうことにならないかと思ったのです。しかし、それは喜ばしいことに杞憂に終わりました。
『スパイたちの遺産』の主人公は、ピーター・ギラムが務めています。ギラムといえば、ジョージ・スマイリーの愛弟子で、『寒い国』やスマイリー三部作(『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』『スクールボーイ閣下』『スマイリーと仲間たち』)で活躍する人物。『ティンカー、テイラー』の映画では、ベネディクト・カンバーバッチが好演していました。
そのギラムもいまや老齢となり、フランスの片田舎で引退生活を送っています。ある日、彼は英国情報部から呼び出され、驚くべきことを知らされます。冷戦期に東ドイツによって射殺された英国情報部員アレックス・リーマスとその恋人エリザベス。そのリーマスの息子とエリザベスの娘が、親の死亡した原因は英国情報部にあるとして訴訟を起こそうとしているというのです。ギラムとスマイリーの責任も問う構えだといいます。
現情報部は、リーマスが帯びていた任務の背景にあるウィンドフォール作戦を探るため、ギラムを厳しく追及、彼はやむなく隠した資料を引き渡します。こうして、その作戦の全貌が明らかになるのですが、同時に作戦が生まれるに至る感動的なドラマも描かれていきます。
こうしたことから『スパイたちの遺産』は、『寒い国』の続篇といえるのですが、「訳者あとがき」から引用すれば、「本書は、ギラムを通して見た『寒い国』の一連の出来事と、そこに至るまでの前日譚、そして『ティンカー、テイラー』を含む後日譚からなる。約十年の時を隔てて書かれたふたつの作品を、人間関係や出来事を維持しながら見事につないだうえで、さらに構想をふくらませた力作」なのです。これは読まずにはいられないでしょう。
本書は『寒い国』や『ティンカー、テイラー』を読んでいなくても楽しめるものになっています。しかしながら、両作品のネタばれも含まれているので、できれば、それらを先に読むことをおすすめします。
【編集担当者T・M】