20120628124233_m.gif みなさまこんにちは。ラムネとフェレットをこよなく愛する翻訳ミステリ編集者、東京創元社Sこと佐々木日向子です。
 今回は特別企画といたしまして、文藝春秋翻訳出版部の編集者・永嶋俊一郎氏との「交換書評」を掲載していただくことになりました!!
 
 といいますのも、わたしが編集を担当しました『遭難信号』(キャサリン・ライアン・ハワード/法村里絵訳/6月29日発売)という作品が、いわゆる豪華客船を舞台にしているミステリだからです。いま、豪華客船と聞いてある作品を思い浮かべましたね? そう、文藝春秋さんから3月28日に刊行されたセバスチャン・フィツェックの『乗客ナンバー23の消失』(酒寄進一訳)です! わりと近い時期に現代もののミステリで、同じ豪華客船が舞台になっているのもなにかのご縁かなーと思いまして、それぞれの本を紹介しあう「交換書評」の企画を持ち込ませていただいたのです。「面白いですね!」とご快諾してくださった永嶋さま、ほんとうにありがとうございました!
 
 まずは、永嶋氏による『遭難信号』書評です!

 
ということで東京創元社の佐々木日向子氏から挑戦状を叩きつけられた文藝春秋翻訳出版部の永嶋俊一郎でございます。実は私、かねてより「でっかい船」を舞台にしたエンタメにハズレなし、という説を唱えておりました。
 
ミステリーでいえば泣く子も黙る名作『ナイルに死す』がありますね。80年代のミステリー界で「新たな古典」と称賛されたピーター・ラヴゼイの代表作『偽のデュー警部』も大西洋横断客船が舞台でした。創元推理文庫から新訳が出たばかりの『盲目の理髪師』もそうですし、水面下の「船」ではありますが、同じくジョン・ディクスン・カーの『九人と死で十人だ』も快作。冒険小説にもアリステア・マクリーンの大名作『女王陛下のユリシーズ号』がありました。
 
 これは、「水上を行く船の上」という舞台には強い制約があるせいだろうと思っています。プロットやストーリーを展開させるうえで、安易な手をとることができない。ロジックの材料も行動のリソースも限られた条件で面白い物語を生まねばならないせいで、書き手に負荷がかかり、結果、アウトプットの質があがる──そういうことではないかなと。


 キャサリン・ライアン・ハワード『遭難信号』(法村里絵訳/創元推理文庫/6月29日発売)も、その例に漏れません。本作は、ここ数年の英米ミステリーのトレンドをきっちり押さえたうえで、「客船」というケレンを組み込むことで、エンタメとしてもミステリーのたくらみとしても、ワンクラス上に仕立ててみせた快作なのです。
 
開巻早々、描かれるのは〈セレブレイト号〉なる大きな船からアダムという男が海へと落下する場面。「ぼく」という一人称で語るアダムは、八階建てのビルに匹敵する高さから海に落ち、右肩を脱臼しつつも救助されます。そこで彼はつぶやくのです、「サラを見つけたかっただけなのに。なぜこんなことになってしまったのだろう?」と。このアダムの問いこそが、『遭難信号』の全体をつらぬく最大の謎となります。
 
 面白いのは、この「謎」が二つのレベルで「謎」になっていることです。
 
 ひとつには、主人公アダムにとって。アダムは長い苦労の末にようやく映画脚本がハリウッドに売れ、ついに脚本家としての第一歩を踏み出そうとしているアラサーの男です。ところが、不遇の時代を支えてくれた恋人サラが、バルセロナに出張すると言って家を出たっきり消息を絶ってしまった。携帯に電話をしても出ない。メールも既読にならない。なんとかバルセロナのホテルを探り当てて連絡をとるも、サラは一泊したきりでチェックアウトしてしまったという。アダムはパニックに駆られますが、サラとアダムの共通の友人であるローズが、じつはサラはアダムが脚本家の夢を追ってばかりでいることに負担を感じ、ついに愛想をつかして新たな恋人とともにバカンスに出たのだと告げる。でもこんなふうに失踪するはずじゃなかったと。ローズの言っていることは本当なのだろうか? 思い余ってアダムは警察にかけあうも、成人であるサラが姿を消したとしても、それは自発的な失踪かもしれず、軽々に捜査はできないとあしらわれてしまう……。
 
 と、ここまででおよそ100ページ。「サラの身に何が起きたのか」「サラは嘘をついていたのか」という不安と不信の謎がアダムを捉え、一人称で彼と紐づけられた読者も、この謎に捉われて次々にページをめくらされてしまいます。見事なページターナーです。
 
 さて先ほど私は、冒頭の謎が二つのレベルで「謎」になっている、と書きました。もうひとつのレベルとは、「なんでアダムは船に乗って、海に落ちることになるのだろう?」というものです。何せアダムはなかなか船に乗らない。サラを探すために〈セレブレイト号〉に乗ることはわかっていても、彼の孤独な調査がどうやって客船にたどりつくのかがわからない。この「謎」は、アダム自身は自覚しておらず、プロローグを読んでいる読者だけが感じる「謎」になっています。
 
 じつは本書には、もう一層上の「謎」も仕掛けられています。アダムの物語のあちこちに、1989年からはじまる「ロマン」というフランス人少年のエピソードと、セレブレイト号の客室係である「コリーン」という女性のエピソードが挿入されているのです。母親にネグレクトされ、心に仄暗い病理を抱えているらしいロマンと、セレブレイト号内で何やら調べているらしい初老のコリーン。果たしてこの2つの断章はアダムの物語にどんなふうに合流するのだろう──これもアダムが感じていない「謎」。この三層構造の謎をあやつって読者を離さない著者キャサリン・ライアン・ハワードの腕は新人離れしています。
 
 ギリアン・フリンの『ゴーン・ガール』と、それ以上の大ベストセラーとなったポーラ・ホーキンズの『ガール・オン・ザ・トレイン』の大成功を受けて、ここ数年、とくにイギリスのミステリー界では、「女性の『信頼できない語り』をカギにした仕掛けを施し、男女関係の軋轢に主眼をおいたドメスティックなサスペンスby女性作家」が、一大トレンドになっていました。本書『遭難信号』も、サラの言動についての不信をかなめとして深い謎をはらんだ状況に主人公=読者を巻き込む、という「ガールものサスペンス」のトレンドを押さえています。しかし、日本ではこうしたタイプのミステリーが以前から書かれ、人気を博してきましたから、いかに質が高くとも、それだけでは日本のマーケットで頭ひとつ抜けるのはむずかしい。そもそもトレンドの中心であるイギリスでも、いまやこうした作品は飽和状態になりつつあります。
 
 しかし本書の著者ハワードは、物語が中ほどにさしかかったあたりで「ある人物」と「ある事実」を登場させてプロットを急カーブさせ、アダムと読者を、2000人の乗客と奇怪な謎がひしめくクルーズ船〈セレブレイト号〉に乗り込ませるのです──ハリウッドにいるアダムの代理人がいみじくも言うように、本書の後半部分は、

「船上を舞台にした《96時間》プラス《ゴーン・ガール》」

みたいな趣をみせるのです! この代理人のセリフは、著者ハワード自身が「これはありふれた『ガールもの』じゃないのよ!」と宣言しているかのようで、こちらがワクワクするケレンに満ちています。こういう野心、私は大好きです。
 
 これ以上は内容の詳細に立ち入らないほうがいいですね。ひとつだけ言いますと、サラの行方の探索から、ある事実の判明によって「謎=事件」が急激にスケールアップしてセレブレイト号に至る流れに、私はマイクル・コナリーの大傑作『ザ・ポエット』『わが心臓の痛み』を思い出しました。さきほど「アダムが自覚している謎と自覚していない謎」について触れましたが、このことが──「船」という舞台の特異性を活用して──ミステリーとしての全体の仕組みにつながってもいて、この皮肉さはコアなミステリー通のみなさんも感心させるのでは。本書最大の謎の答えにつながる手がかりが、とてもさりげなく提示されているあたりも神経が行き届いています。
 
 これは逸品です。近頃食傷気味だった「ガールものサスペンス」を「クルーズ船」に組み込むことで、中盤のサスペンスも真相のサプライズも増幅してみせた真の意味で野心的な一作。やはり「でっかい船の小説」にハズレはないのです。
 
 ところで、本書と『乗客ナンバー23の消失』を併せ読むのはなかなか楽しいことでした。というのは、この2つの作品、あちらこちらで不思議な相似をみせるからです。並行して海をゆく2隻の船が、ときどき航路を接近させてそっと接触し、ふたたびそれぞれの航路に戻り、またふたたび接近する──そんな海上のダンスみたいな動きを私は思い浮かべました。「クルーズ船」「乗客の消失」というお題を受けたドイツのベテランとイギリスの新鋭が、ときどき視線を交わしながら見せる華麗な謎の舞踏。
 
 どちらも傑作だと思います。2冊並べてお楽しみください。

(文藝春秋・永嶋俊一郎) 

 
 

20120628124233_m.gifうわー! な、永嶋さんにものすごくすてきな書評を書いていただけた……。うれしいです!! ありがとうございました。読者のみなさま、『遭難信号』をどうぞよろしくお願いいたします!
 
 次は、わたくし東京創元社・佐々木による『乗客ナンバー23の消失』のご紹介です。もちろん、ネタバレなしですので安心してお読みください!


 この作品、刊行されてすぐさま話題になりましたよね。その後翻訳ミステリー大賞シンジケートの「書評七福神の三月度ベスト!」でも絶賛されており、すでに読まれた方はたくさんいらっしゃるのではないかと思います。めっっちゃ面白いですよね、これ!!

 乗客の失踪が相次ぐ大西洋横断中の豪華クルーズ船〈海のスルタン〉号。何千人もが乗った巨大な船で、5年前に捜査官マルティンの妻子は姿を消しました。そしていま、また別の母娘が行方不明となり、なんと8週間後に少女だけが船内で見つかります。彼女はいままでどこにいたのでしょうか? さらに、その少女は、なぜかマルティンの息子が大切にしていたテディベアを手にしていました。閉ざされた空間で、いったい何が起きていた——?
 
 ほんとうに一気読み間違いなしの、上質なサスペンスです! 数ページごとに章が変わり、視点人物が切り替わっていく手法で最後の最後まで読者を飽きさせず、さらに事件が解決した、と思ってからの〈意外な真相のつるべ打ち〉がすごい! 本の帯に〈事件解決——? そう思ってからが本番。〉という「なにこれ面白そう!」というすばらしい惹句があったのでワクワクしながら読みはじめましたが、その期待をまったく裏切らない、まさに衝撃の結末にあぜんとさせられました。しかも、騙されないぞー! と身構えて読んでいたのに、それを忘れてのめりこんでしまってたんですよね……。さすがドイツ屈指のベストセラー作家さまや……。
 
 圧倒的なリーダビリティの高さや衝撃の結末の見事さはもちろん、わたしがこの作品で心から「すごい!」と思ったのは「情報の出し方」でした。ある場面や会話を記述して、それを読んだ人間に物語の土台をつくらせる。あらたな情報を出し、それを補強させる。そしてさらに別の情報を出して、それを思いっきりひっくり返す! 読者の頭のなかに作られた土台がしっかりしていればいるほど、読んだ人間は驚かされるのです。
 
たとえば、本書の主人公と言える捜査官のマルティン・シュヴァルツに関しての描写です。彼は囮捜査官で、物語の冒頭で命がけの潜入捜査の模様が語られます。これがまあ、とにかくおぞましいというか読んでて辛くなるほどの大事件なんですが、この部分のエピソードがあることで、マルティンの人物像がきっちりと把握できるんですね。被害者を救出し、犯罪を撲滅させるためなら、自分の命はかえりみない。まさに、死と隣り合わせに生きているような人物。いくら犯罪者をとらえるためとはいえ、「ここまでやるか!?」と感じてしまうようなマルティンですが、その分、「この人は信用できるな」と思えるのも確かです。そしてその彼がどうしてここまで心を病んでしまったのだろう? という点が、がぜん気になりはじめます。そして「5年前に妻子の身に何があったのか」という謎につなげ、読者の興味を一気に現在の事件に引きつけるのです。
 
 それでもって、ここからがさらにすごい。「信用できるな」と思ったマルティンなのに、他の登場人物たちとの会話を使った新たな情報により、「もしかして彼にはなにかある?」という疑惑が植えつけられるのです。囮捜査官ということは変装にも長けているし、偽造パスポートも用意できるだろう。ほんとうは5年前に船に乗り込み、妻子を消したのはマルティンだったのでは——? このように、さまざまな情報をうまく織り込んで、揺さぶりをかけてくるのです。特に、ある重要な人物の証言が明かされたときが、かなり衝撃でした!!
 
 このマルティンについては、ひとつの例でしかありません。あらゆる人物が怪しく見えるんですが、そういうふうに著者に誘導されてしまっているのです。
 
 著者は、わたしたちが本文に書かれている情報によって何を考えるのかということをすごく意識しながら執筆しているのだと思います。「こいつはいいやつ」「こいつは怪しい」といった読者がつくりあげた人物造形から、「〇〇なんだから〇〇しないだろう」というような先入観まで、すべてを利用してミステリとしての面白さを生み出しているのです。ある事実を知ってから読み直すと、がらりと世界が変わる。そういう再読の面白さもあります。
 
 本を閉じるまで、まったく油断できない!!! ミステリを読む醍醐味を存分に味わえます。凄みを感じるほどの「技巧派」ぶりを、ぜひ感じてみてください!

(東京創元社・佐々木日向子) 

 
 

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