年末を迎えて、毎度想うこと
社によって違うでしょうが、早川書房は28日までが通常営業。29日午前中は、建前上は業務ですが、午後からの大掃除に備えての「臨戦態勢」に入ります。
入社以来ン十年になりますが、私がもっとも嫌なのが、この大掃除というやつ。どんなに仕事がきつくても(それも嫌だけど)大掃除よりは、楽!
整理整頓が苦手なのは生まれつきなのか、子ども時代から親に「片づけなさい」と言われ続けて半世紀、いまだにそういうことが苦手。会社の総務からは「汚すぎる」「管理がなってない」と叱責されるのがほぼ日常となっているのは、やはり同病のわが息子(小学生)には、内緒だ。
もっとも、この業界に同病の御仁は多いようで……先に、東京創元社の「い」さんも書かれていますが、編集者のデスクなんて、おおむねは魔窟か腐海か(先日若い編集者に「腐海」という単語を理解してもらえず年齢を感じたのは、また別の話)。直前まで使っていたはずのペン、さっき読んでいたゲラ、一瞬前まで肘をついていた原書が、今はもう消失している、なんてクレイトン・ロースンも真っ青の大トリックも、出版社編集部では日常茶飯事でしょう。
ここ数カ月、私のこの傾向に拍車をかけているのが、この7月から刊行を始めた「現代短篇の名手たち」というシリーズ。全10巻、毎月刊行という壮大なプランでスタートし、12月刊行のローレンス・ブロック『やさしい小さな手』で7巻に到達、あと一息の追い込みにかかっていますが……こうした短篇集やアンソロジーの仕事をしていると、悩まされるのがゲラの多さと煩雑さです。
短篇集の何がいいって、翻訳の発注から刊行までの時間を極端に短縮できることですね。通常長篇小説だと、どう考えても3、4カ月は翻訳にかかり、それから3カ月くらいは編集、校正などに要するわけで、ふつうは半年近くが刊行までに必要な期間ということになります。ところが、ここにある「必殺技」を使うと、あら不思議。いままでの記録だと翻訳の発注から最短2カ月くらいで刊行したことがあります(そこにはもちろん、ほんのちょっぴりの企業秘密はありますがね)。
私はこの必殺技を「同時進行」と呼んでいますが、要するにいっぺんに大勢の翻訳者さんに1作ずつ翻訳をお願いし、締切もほぼ同時にする。短篇1作ならば3週間以内で出来ますよね? 翻訳期間が3週間。で、上がってきた訳稿を一気に整理し、次々に組版担当、校正者に渡していく。翻訳者のゲラ校正も、自分で読む校正も、すべて同時期に一気に済ませてしまう。これに3週間ほど。で、印刷製本で1週間。ほら、2カ月以内でしょ。そのかわり、一冊の短篇集で翻訳者が10人以上なんてことも、ざらにあるわけです。こちらの自己記録は20人だったかな?
で、それをもう6カ月以上連続でやっているわけですので、デスクの上には少なくとも数十種のゲラが乱舞している状態なのです。おまけに冒頭に書いたように、整理整頓が苦手なので、もう刊行して5カ月もたつ第1巻『コーパスへの道』(デニス・ルヘイン)のゲラと来たる1月刊行の第8巻『夜の冒険』(エドワード・D・ホック)のゲラが交錯することもしばしば。他にも長篇作品を手がけるので、その分厚いゲラもドンと腰を据えていたりするし、そこに原書のコピーやら、書評記事などの資料やら、郵便やFAX、メールのプリントアウトやら……自分のまわりの紙の山を見ていると、「貴重な森林資源」「ペーパーレス」「エコ」「地球温暖化防止」なんてキーワードが浮かびはするのですが、浮かぶだけで消えてゆきますね。
このへんは経験者にしかわからないかなあ。まあスケジュール設定の甘さなど、おのれの性格に起因することなので、自業自得といえばそうなのですが。
そんな状態なので、毎年大掃除のときには、適当に誤魔化して、デスクの下(ここも超魔窟。自分の足も突っ込めない)に押し込んだりしていたのですが、先日総務からお達しが。
なんと、新年早々にフロアのレイアウト変更を行なうとか。つまり、席替えですね。今の席に座ってもう10年近くになるのですが、ここ数年もっとも恐れていた事態が、これ。あああ、いよいよ待ったなしで片づけなければならない。
覚悟は決めました。止むを得ません。片付けます。そんなわけで、私は来週、ほとんど仕事になりません。
そう決心しつつも、心のどこかで、来週までに大地震がくることを期待しているのですが……。