前回の繰り返しのようだが、編集者駆け出しの頃はもちろんワープロはなかった。すべて手書きの原稿である。

 原稿用紙の主流はペラ(200字詰め)。小学生の頃から400字詰めに作文を書かされていた身としては、新鮮な印象があった。都筑道夫氏ご愛用のオリジナル原稿用紙(確か満寿屋製だった)など、見るも眩しかった。それまで使ったことがなかったので、入社試験のときに和文英訳か何かの解答を、迷った末にペラに横書きして、面接試験で当時編集長だったフランス語翻訳者の長島良三さんに常識がないと叱られた覚えがある。

 毎日手書きの原稿を読み続け、編集の経験を積んでいくと、手書きの原稿にはある「効用」が存在することに気づく。フロイトの深層心理を持ち出すまでもなく、書いている人の思いが無意識に筆遣いに現われる場合があるためだ。それまできれいに書かれていたのに、突然ぞんざいな書き方になったり、インクの色が妙に薄かったりする箇所が見つかる。そんなときはかなりの確率で、その部分の翻訳にいまひとつ自信がないと思っていい。それが見つかると、おもむろに原書を出して当該箇所を調べる。編集者が誤訳や勘違いをチェックするのに、効率のいい指標となってくれるわけである。

 もっとも、そうした指標をまったく利用させてくれない翻訳者もいる。例えば、このシンジケートの発起人でもある深町眞理子さん。とても几帳面なので、原稿をお書きになっている最中に電話がかかったり、客が来たりして中断させられると、仕事を再開したときは乾いたインクと色が変わってしまうのを嫌い、必ず新しい原稿用紙に最初から書き直すと、直接伺ったのか、あるいは又聞きか忘れたが、聞いたことがある。当然、いただいた原稿は一枚目から最終行まで水茎の跡もうるわしく、間然するところがない。ご自分でも、「私の場合は前の晩に、明日やるという箇所を下調べしながら徹底的に読み込みます。書かないということだけで、全部端から端まで分からない所がなくなるまでにしておくんです。で、一晩置いて翌朝原稿用紙に初めて書きます」(「翻訳の世界」1981年1月号)とおっしゃっているから、編集者の下種のかんぐりなどきっぱり拒絶する、完成された美しい原稿ができあがるのも不思議はない。

 その一方で、「悪筆」と言ってはいかにも失礼だが、編集者泣かせの読みにくい字を書かれる最右翼は、字幕翻訳家でもある清水俊二氏だった。なにしろ「個性的」だ。ダ・ヴィンチばりの鏡文字もどきも含め、読まれることを嫌がっているのではないかと邪推したくなるほどの原稿だった。当然のことながら、解読には時間、経験、忍耐力が要求される。幸いというか、不幸にもというか、長い伝記の連載をしていただいていたので、何ヵ月かするとようやく目が慣れてきたが、最初に見せられたときには出るのはため息ばかり、読むのに必死で、書き間違いや誤訳など見つけようという気も起こらなかった。

 ところが驚いたことに、よく仕事を頼んでいた印刷所に、清水さんの原稿を苦もなく読むことのできる職人さんがいると聞いた。つまり、どうしても読めなかったらその人にすがればなんとかなるということだ。さすが、プロである。

 当時はDTPなどまだ影も形もなく活版印刷だけだったから、組版も、ゲラの赤字を直す手間もいまの数百倍、数千倍かかったと言っても過言でない。原稿を片手に、鉛の活字を一本一本文選箱に組み込んでいく。一行すんだら、行間インテルを入れて次の行へ。一ページ組み終わったら、枠を締めて次の文選箱へ。ゲラで一字でも赤字が挿入されれば、枠を外して一字ずつ行を送っていかなければならない。それが何ページにもまたがるとなると……考えるだけで茫然としてしまいそうな手間仕事だ。自然、組版には神経を使う。職人さんには熟練した技術が要求されるし、作業の時間もかかる。印刷所は訂正の少ない「完全原稿」が欲しがり、ゲラにあまり赤字が多いと、熟練工の手間賃として出版社に組み直し料を請求してくることもあった。

 原稿を書く側にしても、深町さんほど徹底せずとも、あまり修正の多い汚い原稿は提出したくないのが人情である。編集者の、ゲラの赤字はできるだけ少なくと懇願する声にも応えたい。よく新聞のチラシの裏側に下書きをしたうえで原稿用紙に書き写すという話も聞いたが、いずれにしろ原稿用紙に向かってペンを下ろすときにはそれなりの覚悟がいったはずである。活版印刷も原稿用紙もすでに消滅しかけている昨今だが、書いたあとの手直しに制約のあった時代と、そうした制約がほとんどないいまとでは、翻訳の文体にもなんらかの違いが出てくるのではないかとふと思うことがある。そのあたりを老後の研究テーマにしてみたい気もする。まあ、いま以上に頭がぼけていなければの話ではあるが。

*誠に曖昧な記憶で書いていますので、間違いは多々あると思います。お気づきになられた方がいらしたら、ぜひご教示ください。次回以降で訂正させて頂きます。

染田屋茂(そめたやしげる)編集者・翻訳者。早川書房(1974〜86)、翻訳専業(1986〜96)、朝日新聞社出版本部(1996〜2007)、武田ランダムハウスジャパン(2007〜)。訳書はスティーヴン・ハンター『極大射程』(新潮文庫、佐藤和彦名義)など30冊ほどあるが、ほぼすべて絶版。

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