前回はアリス・キンバリーを採り上げたので、今回のお題はクレオ・コイルである。ともに、マーク・セラシーニとアリス・アルフォンシの夫婦合作ペンネームだ。クレオ・コイル名義で発表しているのは〈コクと深みの名探偵〉シリーズという。〈ミステリ書店〉は、ロードアイランド州の田舎町が舞台だったが、こちらはニューヨークの老舗コーヒーハウス、ビレッジブレンドを中心とした物語である。ビレッジブレンドは単なるコーヒー屋ではない。第一作『名探偵のコーヒーの入れ方』から、お店を紹介する文章を引用しよう。

 一八九五年に開店したその日から、ビレッジブレンドの看板と呼べるものは、唯一、あの真鍮製の銘板だけだった。黒い文字で、『焙煎したてのコーヒーを毎日お出しします』とだけ書かれている。「こうあるべきなのよ」というのがマダムの口癖だった。照明も、日よけも、やたらに大きくて下品なネオンもいらない。古びた銘板だけ。さりげなくて趣味がいい。エレガントで洗練されていて、自己主張の片鱗も見せず、貴婦人のような凛としたたたずまいで自然に人を惹きつければいい、そして香りで惹きつければいいのだと。

 店を取り囲む歴史ある街路には、かつてトマス・ペイン、マーク・トウェイン、E・E・カミングス、ウィラ・キャザー、セオドア・ドライサー、エドワード・アルビー、ジャクソン・ポラック、そして無数の音楽家、詩人、画家、政治家などいずれもアメリカと世界の文化に影響を与えた人々の靴音が響いた。

 ビレッジブレンド自体が、古き良きニューヨークの象徴なのである。すべての優れた都会小説がそうであるように、本シリーズを通して読むと、ニューヨークの過去と現在が鮮やかに立ち上ってくる。その風景を想像するのが実に楽しい。

 第二の特長は、ロマンス小説としてもおもしろいことだ。主人公のクレア・コージーはビレッジブレンドの出戻りマネジャーだ。出戻り、になったのは訳がある。彼女はもともと、オーナーの女性(通称マダム)の一人息子、マテオと結婚していた。しかしコーヒーに対する嗅覚には天性の才能があるものの、手のつけられないジゴロでもあるマテオの不品行に嫌気がさし、離婚して娘のジョイを連れ、田舎に引きこもっていた。そこをマダムに呼び戻されたのである。クレアに代わるマネジャーはいないという判断と、マテオと復縁してもらいたいという母親としての願いゆえの頼みだった。

 マダムはクレアに、住居としてビレッジブレンドの二階を提供するというありがたいオプションを提示してきた。ニューヨークの一角に住まうという誘惑に負け、申し出を受けたクレアだったが、そこには一つの陥穽が待っていた。なんと、別れた夫のマテオが二階を共有することになっていたのである!

 なんだこの『翔んだカップル』設定は、と思うでしょう。マテオとクレアの関係が、物語を通じて一つの軸となる。つかず離れず、お互いに心から相手を嫌っているわけではないという二人なのだ。シリーズが進むにつれて、クレアにもマテオにも、他のつきあう相手が出てくる。元の伴侶の新しい恋人に対して、嫉妬半分の思いが生まれてくるのだ。特にマテオの相手に対するクレアの感情は複雑だ。マテオを追いかけまわしているのは、ファッション雑誌編集長の派手女(いわゆるアデージョ?)ブリアン・ソマー。第三作『秋のカフェ・ラテ事件』で初登場したブリアンは、独占欲が強く、攻撃的な性格であるため、ことごとくクレアと対立する。一時は共に天を抱かずといった関係にさえなるのだが、驚くべきことに、第七作『エスプレッソと不機嫌な花嫁』において、二人は決定的な和解をするのだ。シリーズ中でもっとも長いこの作品は、マテオとクレアを巡る恋愛模様に一つの決着がつく、第一部の完結編といってもいい作品だ(本国では続編が発表されているので、これでおしまいというわけではないようだが、続きがどうなるのか非常に気になる)。登場人物たちは、過去のしがらみをあるがままに受け入れ、その上でさらに新しく生きる道を見つけていく。その強さ、明るさに清々しい感動を覚えた。コージー・ミステリの一つの頂点というべき傑作が『エスプレッソと不機嫌な花嫁』なのである。

 ミステリとしての側面についても簡単に触れておく。第二作『事件の後はカプチーノ』が女性を狙った連続猟奇殺人事件の話だったり、第五作『秘密の多いコーヒー豆』が密輸に関する物語だったりと、都会ならではの犯罪が扱われることが多いのも本シリーズの特長である。コージーってあれでしょ、やたらと殺人事件ばかり起きる村の話でしょ、と思っている人の目には本シリーズの風景が新鮮に映るはずだ。クレアの娘ジョイが自分探しをしながら悩んでいるところを描き、作者はさりげなく現代の風俗も取り入れてみせている。〈コクと深みの名推理〉とはうまいシリーズ名をつけたものだ。コーヒーの薫香にも似たふくよかな雰囲気が漂う、大人の小説をぜひ味わってみてもらいたい。

 前回と同じくミシュラン方式で★を紹介しよう。

 ストーリー ★★★★

 サプライズ ★★★

 キャラクター★★★★

 ロマンス  ★★★★

 杉江松恋