シリーズものの美点の一つに、だんだん愛着が湧いてくる、ということがある。最初はあまり好きになれなかったキャラクターに、ある日突然親近感を抱くようになるのだ。そうなったらもう抜け出せない。お気に入りのシリーズに早変わりだ。

 レスリー・メイヤーの〈主婦探偵ルーシー・ストーン〉は、私にとってそういうシリーズである。第一作『メールオーダーはできません』を読んだときの第一印象は、「んー、なんだかどこかで読んだことがあるようなお話」だった。主人公のルーシーは、メイン州南西部のポートランドに近いティンカーズコーヴという小さな町に住んでいる三十代半ばの主婦である。大工の夫ビルとの間に、長男のトビー、長女のエリザベス、次女のセアラという三人の子供がいて、ただいま子育て真っ盛り。上から順番に十歳、七歳、四歳と並んだ子供たちの面倒を見ながら、自分もパートタイムの仕事に出ているのである。その働き先の、通信販売会社社長が自殺死体で発見される、というのが第一作の発端だった。多忙のさなかに好奇心を刺激されたルーシーがしろうと探偵の真似事をして動き始める(ミステリー好きで、愛読書はマーサ・グライムズという描写が作中にある)という展開には、目新しさを感じなかった。

 ちょっといいな、と思ったのが第二作『トウシューズはピンクだけ』である。この作品では、ルーシーとビルの夫婦の危機が裏のテーマになっていた。ビルは、家事を妻に任せきりにするタイプの夫で、ちょっと気が短い。自分の妻が家事の切り盛りだけではなく、年齢の違う子供たちがそれぞれに抱えている課題にふり回されているというのに、少しも理解を示そうとしないのである。ルーシーには、乏しい収入の中で家計をやりくりしていかなければならないという、辛い課題もあるというのに。二人の間で、こんな会話が交わされるようになる。

「なあ、ルーシー、夕食が一日の最大の楽しみだったころもあったよな。フォークで食べていたころが」

「ええ、おぼえているわ」ルーシーはハンバーガーをひっくり返しながら言った。「あのころは子供たちがもっと小さくて、バレエのレッスンやリトルリーグの試合がなかったもの」

「明日はどうかな? マッシュポテトとグレイヴィソースを食べられるかい?」

「いいえ」ルーシーは情けない思いで首を横に振った。

 あるある、と頷いている女性読者は多いんじゃないかな。そうなのです。ルーシーだって別に好きでファストフードやTVディナーを出しているわけじゃない。もろもろ忙しくて、仕方ないのだ。それなのに夫は妻を非難するような視線を送る。自分が少しだけ手を貸してあげれば、ルーシーの気持ちも楽になるのに。そしてついに、こんなことまで言ってしまうのだ。

シャワーを浴びにいきかけたビルが、ドア口のところで足を止めてルーシーを見た。「なあ、ルーシー、このごろえらく図に乗っているぞ」

 うわっ、今日本全国からガンっという音が聞こえてきた。憤慨した読者がテーブルを叩いた音だ。なに、この男。そう思うでしょう。男の私だって、読んだときはそう思った。もちろんビルにだって言い分はあって、不況のため大工の仕事がうまくいっていない、せめて家庭では安らぎがほしい、くつろがせてもらいたい、という願望があるのですね。要は甘えたいわけだ。ところが妻には、そんな夫につきあっている暇はない。互いの不満が宙に渦巻く、ということになるわけだ。

 第一作の訳者あとがきによれば、本シリーズを推薦したジル・チャーチルは「レスリー・メイヤーはわたしが住みたいと思う町と、ぜひ会ってみたい探偵を作りだした」と評したという。チャーチルが好感を持った理由は、ルーシー・ストーンが決して可愛いだけの能天気なキャラクターではなかったからでしょう。家庭の不和もあり、生活の不安もある。だけど家族を愛していて、自分が住む小さな町を愛していて、その中でみんなが幸せになればいいと思っている。そうした大人の分別、人生の甘い味と酸っぱい味の両方を併せ飲むことができる普通さを、買ったのだと思いますね。

 いろいろ大変なことがありながらもルーシーとビルの夫婦は、少しずつ前に進んでいく。ビルの側にもちょっとだけ変化が起きていくのだ。第三作『ハロウィーンに完璧なカボチャ』でビルは、町の景観を保つための歴史地区保存委員に任命され、いやいやながらも仕事以外の形で社会参画を果たしていくことになる。このことが彼の人間としての幅を広げるのだ。第四作『授業の開始に爆弾予告』は、少し心の余裕ができたルーシーが社会人を対象にした大学講座に通い始め、魅力的な大学教授に誘惑されるというエピソードが副筋で語られる。家庭に縛りつけられている自分というものに、彼女は疑問を持ってしまうのである。こんな具合にぎくしゃくしながらも、自分たちがいちばん大事にするべきもの、愛している人を忘れず、最後には収まるところに収まるというのが本シリーズの良い所なのだ。はらはらさせられた分、ルーシーたちに好感を持ってしまう。

 貧困が一つのテーマになっている作品でもある。第一作からずっと、ティンカーズコーヴの町は抜き出しがたい不況の中にある。その中では人の心はさもしくなるし、不必要ないさかいまで起きてしまう。学校で爆破テロ未遂の事件が起き、ルーシーが意外な人物を犯人として疑い始めるというのが主筋の『授業の開始に爆弾予告』でも、犯人と名指しされた人物の背景には貧困ゆえの個人史が描かれるのである。そうした心の貧困の中でも、正しく真っ当な生き方を失わないでいようとする主人公の姿勢に共感を覚える。

 このたび邦訳第五作『バレンタインは雪あそび』が刊行されたが、本国ではすでに十五作が刊行されていて、今夏に第十六作Wicked Witch Murderが出版される予定だ。小品ながら好ましいこのシリーズの翻訳が長く継続されることを祈ります。気になった人は読んでみてね。

 ミシュラン方式の★は以下の通り。

 ストーリー ★★★★

 サプライズ ★★★

 キャラクター★★★★★

 ロマンス  ★★★

 杉江松恋