1月29日付の「週刊読書人」に『図説 翻訳文学総合事典』全5巻(大空社)が紹介されていました。人が殺されるような小説ばかり手がけていると、こういう本の出版にはほんとうに頭が下がります。
さて、そのなかで、この事典の編集代表のひとりである川戸道昭氏が、南陽外史「不思議の探偵」の逸話を紹介しています(これは、日本初の『シャーロック・ホームズの冒険』の全訳として有名ですね)。
ご存じのかたもいるかもしれませんが、、The Red-Headed League(「赤毛組合」)が「禿頭倶楽部」と訳されているのだそうです。
オレも10年もたてば入れるかな、悪事の片棒担ぐのはイヤだな、って、そんな話じゃなくて、問題は、なぜ「赤毛」が「禿頭」に変わったのか、です。
誤訳? まさか。
この翻訳が行なわれたのは、1899年。
つまり、当時の日本人には「赤毛」ということ自体がイメージしにかったのですね(いや、英国人すらよく知らない人が多かったかも)。そうなると、せっかくの話のおもしろさが伝わりません。なにしろ、登場人物が「赤毛」であることが物語のカギなのですから。
そこで翻訳者は、読者にもわかりやすいようにと、「赤毛」の設定を「禿頭」に改変してしまったわけです。しかも、原書のイラストに手をくわえ、禿頭に描きかえて載せていたという。
どう思われます?
むかしの人はムチャするね? たしかに。
しかし、異文化を消化・吸収する最前線での、往事の苦労・工夫がしのばれます。
川戸氏が指摘するのは、「赤毛」では読者が作品それ自体を受け入れることができなかっただろうが、それを「禿頭」に変えたことで、大衆文学として多くの読者に楽しまれる結果になった、という点です。
黒岩涙香から戦後のジュヴナイルまで、日本には翻案という流れがあり、それがいまのわたしたちには奇妙に思えることもありますが、歴史的には文化の輸入におおいに寄与したわけです(ミステリーとあなどるなかれ、たくさんの人に読まれるのは影響力が大きいということですからね)。
さらに、翻案には日本の伝統である本歌取りの精神が見られるという話も出て、なるほどと思わされました。
もちろん、いまは事情がちがいます。現在の翻訳出版では、こんなふうに内容を変えてしまうことはありえません。もうわたしたちは、外国についてよく知っていますからね——
と言いたいところですが、しかし、拠って立つ文化がちがうものを相手にしていることはまったく変わっていないのです。
細かい比喩、ある出来事への反応などなど、さまざまな点で、そのまま日本語にしただけでは通じない例は山ほどあり、ときには改変したり補ったりと、翻訳の現場ではおなじ問題に直面しつづけているのです。
ところで、問題のこの作品を「赤髭連盟」と呼んでいる人がけっこう多いんですね。ネット上でもかなりヒットします。お近くにもいませんか?
もしやそんな翻訳があったのか? それは誤訳か翻案か——と思いながら国会図書館のデータベースで調べてみたのですが、「赤髭」と訳している例は見あたりません。
餅は餅屋と思って(失礼!)日暮雅通さんに聞いてみたところ、「赤髭」なんて翻訳は聞いたことがないとのこと。
ということは、たんに思いちがいをしている人が多いということなんでしょうか。みんな「赤ひげ(山本周五郎〜黒澤明)」または「青ひげ(=ジル・ド・レエ)」に引きずられてるのでしょうかねえ。
<執筆者・扶桑社(と)>