前回は訳注について、途中までしか書けなかったので、今回はその続き。(と思ったが、またずるずるになってしまった。反省^^;)

 前回は訳注を本文中に吸収させるという方法を書いた。その時も書いたが、セリフの中では難しいが、地の文の中なら比較的容易なため多用されている方法だ。それでも、どこまで書くかという問題は残る。訳注、というか小説中に登場する名詞等は、その本の、というよりその出版社の読者がどれだけ知識を持っているかによって処理が大いに異なる。

 たとえばスパイ冒険小説の読者であれば、ある程度の軍事や銃器の知識は持っているだろうから、訳注よりもむしろ正確な名称を書くことのほうが重要だ。スパイ冒険でも映画原作であれば、読者は幅広くなるので、ハードルをかなり低く設定したほうがいい。読者は機関銃とサブマシンガンとの違いも知らないのかもしれないから。(ここで気がついた。あなたが今、それを知らないからといって、焦る必要はない。翻訳者であろうと予備軍であろうと、その違いを知る必要がないまま一生過ごせるかもしれないのだから。必要なことは、仕事の上でいざサブマシンガンが出てきた場合に、なんだかよく分からないけど、そのまま訳しておこう、と思わないで、誰か知識のある人間に確認することだ。なんなら、わたしにメールで質問してもいい。即答できないかもしれないが、必ず答えます)また、同じミステリでもコージー・ミステリと本格謎解きでは読者層もその知識もかなり違うだろう。

 わたしが翻訳をはじめて間もない頃、そういうことを痛感させられた出来事があった。故人になってしまったが、かつて文春に松浦氏という名物編集長がいらした。方向性もはっきりせず、出だしで蹴躓いた文春文庫の翻訳部門を立て直した方だ。翻訳者としてはまだ駆け出しで、それほど実績を積んだわけではないわたしが、松浦氏の依頼ではじめて文春文庫を訳したとき、「伝説のゲラチェック」を受けた。これは当時すでに中堅であった吉野美恵子さんや佐々田雅子女史なども受けたことがあって、その地獄の責め苦については広く語られている。

 わたしの場合は、午後一に文春本社に出向くと、初校ゲラと研究社大英和を抱えた松浦氏と会社近くの喫茶店に直行。松浦氏が真っ黒になるくらい鉛筆のチェックを入れた初校ゲラを広げて、膝突き合わせての推敲が始まる。日本語の誤用、誤訳や訳し落としならまだいい(?)。「おっしゃるとおりです。わたしのミスです。申し訳ありません」で済むから。松浦氏の本領はもっと深いところにある。「ここはちょっと文章が硬くないですか?」「この訳文だと別の意味にも取れて読者が誤解しませんか?」「この訳だと作者がわざわざこの単語を使った意味が消えてしまいませんか?」「たしかに辞書にはそう書いてありますが、ここでそれをそのまま書いて読者に理解できますか?」ベテランの編集長が駆け出しの翻訳者相手に、口調は丁寧ながら一発一発骨に響くような指摘をしてくるわけだ。

 こちらはそう言われるたびに、その場で大英和を引き、脂汗を流し、顔を真赤にしながら必死で訳語を考える。その時に言われたことで印象に残った言葉は「早川や創元の読者だと翻訳を読み慣れているからこういう書き方でも理解してもらえるでしょうが、文春の読者だと、生まれてはじめて手にとった翻訳小説がこの本だという場合があります。そういう読者にも違和感なく受け入れてもらえるような文章を望んでいるんです」

 わたしは目からウロコが落ちた思いがした。中学生の頃から早川創元の小説を山ほど読んで、その後の経験もあってすっかり翻訳小説人間になっていたわたしは、自分の世界を鉄槌一振りでぶち壊されたような気がした。本の虫だったわたしの青春時代はなんだったんだろうね?

 それ以降、この言葉を常に肝に銘じて翻訳をすることにしている。ま、あくまで理想としてなのですが。

 そうこうしているうちに、夜になって喫茶店から追い出され、人気の無くなった編集部で推敲の続きをして、ついに終電の時刻になって、慌てて松浦氏と二人で東海道線の最終に飛び乗って……ここまでで推敲が済んだのは半分だけ。翌日、またその続きをして、まる二日かけて一冊分が終わるとこちらは精神的に打ちのめされ、プライドはズタズタになり、心身ともに疲れきって、その心理的ダメージは一カ月近く続いたものだ。本気で、もう翻訳をやめようかとなんども思ったもんね。

 他社の仕事が間に入ったりしたが、その文春文庫の仕事が四冊続いた。おもしろいもので、一回そのゲラチェックを受けると、自分なりに頭の中に翻訳理論のようなものがばくぜんと出来上がる。次の仕事の時にはその理論に従って翻訳していくのだが、頭で考えたとおりにはなかなかいかない、そこで実際の翻訳作業をしながら、理論を修正していく。その時に、ああ、翻訳ってこういうことなんだ、と学ぶ喜びみたいなものを再発見してわくわくした覚えがある。悲しいことに、大学の英文科ではそんな喜びを味わったことがなかったね。

 まあ、六年間、翻訳小説の編集者をしていながら、翻訳のことは実は何も分かっていなかったんだというお粗末なんだが。

 松浦氏は伝説の編集者なので別格のところはあるが、翻訳という商売を考えたとき、とにかく編集者というのは第一の読者なのだから、その意見は(たとえずっと年下であろうと、生意気であろうと、うそつきであろうと、中日ファンであろうと)大いに尊重すべきだと思っている。なにより、その出版社の読者層、その本の想定読者を心得ているのは当の編集者なのだから。

 断るまでもないことだが、編集者は決して万能ではないし、司令官でもないのだからその意見に盲目的に従うべきものでもない。翻訳者は出版社の下請けではなく、対等の取引相手なのだから。

 あ、そうそう、知っている人も多いと思うが、わたしは一度、どうにも腹に据えかねる編集者をひとり殺したことがある。

(ここで、次回に続くとやったら、さすがに怒るだろうね)

 本筋からは逸れるし、翻訳とは関係のない話だから、興味のない人はどうぞ他のページを読みに行ってください。この先の文章が、たとえつまらなくても決して文句を言わないように。

 いろいろ差し障りがあるので全て仮名にするが、十数年前、中堅翻訳者のA女史が訴訟を起こすかもしれないと言い出したことがある。聞けば、B出版社のCという編集者がセクハラ的態度をとったというのだ。その行動を腹に据えかねたA女史はCをセクハラで訴えるという。Cの同僚の女性編集者も味方になってくれたそうだ。ただし、わたしはC氏とは面識がなく、すべてA女史から聞いた話である。また、わたしがA女史から個人的に相談を受けたわけではなく、彼女がわたしを含む同業者グループにアドバイスを求めてきたのだ。

 わたしは訴訟には反対した。決して編集者の肩を持つわけではなく、セクハラ訴訟というのは水掛け論になりやすく、労多くして得るものは少ないと思われるからだ。また訴訟の過程で、女性編集者も板挟みになって、その人も気まずい思いをすることになるだろう。時間も手間も大いに浪費されて、たとえ勝っても負けても得にはならないだろう。だから、訴訟は考えずに、とりあえずB社の残った仕事は女性編集者を通して進め、嫌であれば以降B社の仕事は受けないという形を取ること、というのがわたしのアドバイスの概要。(ね、言ったでしょ? わたしは筋金入りのヘタレだ、って)それでも気持ちが収まらないというのであれば、ちょうど今書いている小説の中で、その編集者を思いっきり残虐な方法で殺します、それで我慢してくださいと申し出た。

 そして、ナースの友達(いたのですよ、その時はナースのお友達が)に、一番苦しい死に方はどういう死に方だろうと相談し、小説の中で、さすがにB社の名は出さなかったが、Cという苗字だけそのまま使って、その男を(ただの脇役なのだが)持てる技法の限りを尽くして思いっきり痛くて、おもいっきり苦しくて、おもいっきり苦痛が長引く死に方で殺してやった。

 具体的には、30メートル落下してコンクリートの床に叩きつけられて脊椎が折れ、肋骨も折れて肺を突き破り、大腿部開放骨折、腹腔内出血、多発外傷で意識があって激痛に苛まれながら身動きもできず、出血多量で徐々に死に近づいていくその目の前で時限爆弾がカチカチカチ……。

 専門家のアドバイスを取り入れ、オリジナリティも加味したその殺し方は、件のナースから「分かる人が読んだらたまらないわ」という意味不明の褒め言葉を頂いた。

 わたしの殺し方で気が済んだのか、A女史は訴訟を起こさなかった。C氏がどうなったか、今どうしているかは知らない。

◇鎌田三平(かまたさんぺい)1947年千葉県生れ。明治大学文学部卒業。主な訳書にカミンスキー『CSI:ニューヨーク 焼けつく血』、バトルズ掃除屋クィン 懸賞首の男、クリード『ブラック・ドッグ』、アボット『パニック!』、レヘイン『愛しき者はすべて去りゆく』など。

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