失礼いたします。早川書房でSFマガジンの編集に18年ほど携わり、現在は国内フィクション全般を統括する立場にある塩澤と申します。先日、弊社より刊行の東直己氏『バーにかかってきた電話』の映画化「探偵はBARにいる」の試写を観て、「翻訳ハードボイルドの書籍編集を志して早川書房に入社した僕の想いが、ほぼ叶えられてしまった気がしたのは確かです」というツイートをしたためました(@shiozaway)。自分がいかにSF者になりきれていないか、については以前〈本の雑誌〉に書かせていただきましたが(現在は『SF本の雑誌』所収)、今回は自分がいかに必然的に(自然発生的に)ハードボイルド者になりきったか、について書かせていただきたいと思います。
南信州の山奥の文武両道の優等生だった私は、実は陰で角川文庫の片岡義男(赤背)と西村寿行(黒背)を読みふけり(つまりハードボイルド的なものの、聖と俗の両極端)、このような歪んだ人格を形成してしまったわけですが、その片岡氏がたしか〈POPEYE〉の連載コラムで紹介していたロバート・B・パーカーのノンシリーズ作品『愛と名誉のために』が翻訳ミステリを読み始めるきっかけになりました。要約すると「女にふられた男が読書とストレッチで再び振り向かせる」という小説に、なぜそこまで惹かれたのか。たぶんバスケットボール部の大会前、レギュラー5名のうち、いつも、ただ一人だけ女子から何もプレゼントをもらえないという、中学高校時代の恵まれない境遇が関係していたのは間違いありません。
時は、内藤陳氏の『読まずに死ねるか!』が冒険小説&ハードボイルド・ファンのバイブルであり、まもなく『このミステリーがすごい!』が創刊されることになる翻訳ミステリの黄金時代。1986年に池袋の河合塾で一浪した後、87年に四谷の某ミッション系大学への入学を果たした私でしたが、入学後のクラス分け実用英語テスト(!)で見事最下位クラスに振り分けられ、漢字も読めないくせにテニスに勤しむ帰国子女たちの最上位クラスに(精神的に)虐げられて優等生からドロップアウト、入学後3カ月だけ所属したバスケットボールサークルではゲーム中に敵ガードの外人さんからカトリックの勧誘を受けてやる気を喪失、さらによりにもよって大学1年の秋に刊行された『ノルウェイの森』なる厭世的な小説に止めを刺され(僕と直子の最初の散歩は四谷の某ミッション系大学脇の土手から出発したものでした)、コンビニエンスストアでの深夜バイトが公共生活のほぼすべてとなり、勤務明けにレンタルビデオ店でAVを借り(自慢ではありませんが、自宅のボロアパートでバイト仲間たちと大音量でAV視聴中に「あんたたち情けないわよっ!」と隣のおばさんに怒鳴りこまれた経験あり)、あとはたまの名画座、たまの輸入盤ジャズCD漁り以外は翻訳ハードボイルド三昧の日々に嵌まっていくのは、むしろ必然でした。
スペンサー・シリーズから始まって(英語嫌いの私が唯一原書で読んだハードボイルドが Taming a Sea Horse/現役受験で上京したとき池袋芳林堂で買った『キャッツキルの鷲』のハードカバー/そして、いまだに脳裏に焼き付いている新宿紀伊國屋前でタクシーに乗り込む瞬間のパーカーの姿 at 1989年ハヤカワ国際フォーラム)、マット・スカダー(ベストはやっぱり『聖なる酒場の挽歌』)、リューイン(サムスンよりはパウダー)、クラムリー(ミロよりはシュグルー)、グリーンリーフのジョン・タナーあたりは当然として、ポケミスではローレン・D・エスルマンのエイモス・ウォーカー、アーサー・ライアンズのジェイコブ・アッシュ、新潮文庫ではロバート・クレイスのエルヴィス・コール、扶桑社ミステリーではウィリアム・G・タプリーのブレイディ・コイン、角川文庫ではジェイムズ・リー・バークのデイヴ・ロビショー、そしてもちろんトレヴェニアンの『夢果つる街』(いまの私の風貌は就寝前に髭を剃る習慣のラポワント警部補のおかげ)と、おそらく1980年代後半に邦訳出版されたハードボイルドはほぼすべて目を通しているのではないかという偏りっぷりで(一方、ハメットもチャンドラーもロス・マクも数作ずつしか読んでいないという情けなさ)、おそらく小説を読んでいたというよりも、どこか人格が破綻しながら共通する部分を感じて憎めない先輩や遠い親戚に順繰りに会いに行っていた、という感覚だったのでしょう。こんな大学生活を送った人間がまともな社会人になるはずもないのはご想像の通りです。
商社や銀行、ましてや公務員になろうなどという考えが頭に浮かぶはずもなく、ほとんど無意識のうちに、というか呼吸をするように早川書房の入社試験を受けていました(ちなみに他に受けたのは大手取次2社のみ)。現在のC部長に2回もOB訪問をして万全の面接対策を立て(1回目は〈クリスティー〉でサンドイッチを奢ってくれたのに2回目はコーヒーだけだった、というのは未だしつこく話題にして嫌がられるエピソード)、1次面接では頼まれてもいないのに直近1カ月の詳細な読書ノートを提出(当然ハードボイルドのみ)、2次面接では頼まれてもいないのに『ハードボイルド・ハンドブック』の完璧な企画書を提出、あと、たしかジョージ・V・ヒギンズの未訳長篇か何かを何かしようとした記憶がいま突然浮上しました(これがいかに猪口才なことか、いまの若い読者の方々にわかるでしょうか)。天職への道が阻まれるはずはないと200倍の競争率を突破した採用通知を淡々と受け止め、東中野で探偵をやっていた伯父に身元保証人を頼んで(いま考えると出来すぎですが実話)臨んだ入社式。
私は、SFマガジン編集部への配属を告げられたのでした。(続く)
後篇はきょうの夕方に掲載します。(編集部)