注意!

 この連載は完全ネタバレですので、ホームズ・シリーズ(正典)を未読の方はご注意ください。

 このコラムでは、映像作品やパスティーシュ、およびコナン・ドイルによる正典以外の作品を除き、全60篇のトリックやストーリーに言及します。(筆者)

■資料の部の原則(このコラム全体で使う略称)

 SH:シャーロック・ホームズ

 JW:ジョン・H・ワトスン

 SY:スコットランド・ヤード

 B=G:ウィリアム・ベアリング=グールド(研究者)

 ACD:アーサー・コナン・ドイル

 BSI:ベイカー・ストリート・イレギュラーズ(団体)

 SHSL:ロンドン・シャーロック・ホームズ協会

 正典:ACDの書いたホームズ・シリーズ(全60篇)

●前回までの訂正

(1) 第4回『四つの署名』その2、「ドイリアーナ的データ」の項

 中ごろに「1889年8月30日の会食(ちなみに、グリニッジにある店で魚料理だったらしい)で執筆契約をしたドイルは」とありますが、この日の会場はロンドンの高級ホテル、ランガム・ホテルでした。

(2) 第5回「ボヘミアの醜聞」、「ドイリアーナ的データ」の項

 年表中、1889.8.30の「『リピンコッツ』誌からロンドンでの昼食に招かれる」は、「昼食」でなく「夕食」でした。

 いずれも私の確認ミスです。お詫びして訂正いたします。なお、(1)を指摘してくださったのは、『シャーロック・ホームズと見るヴィクトリア朝英国の食卓と生活』(原書房)の著者、関矢悦子さんです。ありがとうございました。問題のくだりは拙訳の『コナン・ドイル書簡集』にも当然あるわけで、恐縮至極であります。

■第6回「赤毛組合」■

【1】資料の部

  • 原題……The Red-Headed League(Strand Magazine英・米両版)

  /略称:REDH【世界中で定着しているもの】

  • 主な邦題……「赤毛組合」(創元推理文庫/深町眞理子訳、ちくま文庫、河出文庫、光文社文庫)、「赤毛連盟」(ハヤカワ文庫、角川文庫/石田文子訳、鈴木幸雄訳)、「赤髪組合」(新潮文庫)、「赤髪連盟」(創元推理文庫/阿部知二訳、集英社コンパクト・ブックス)、「赤毛クラブ」(講談社文庫)……その他明治・大正時代の訳に「禿頭俱楽部」「銀行盗賊」「紅髪組合」「若禿組合」「地下室の大賊」などがある。

  /略称:『赤毛』【このサイトでのオリジナル】

  • 初出……Strand Magazine 1891年8月号(英)、Strand Magazine 1891年9月号(米)
  • 初出時の挿絵……シドニー・パジェット
  • 単行本初版……The Adventures of Sherlock Holmes 1892年10月14日(英)、1892年10月15日(米)
  • 事件発生年月……1887年10月29日〜30日【B=G】(1890年10月とする説もあり。ワトスン自身は1890年10月9〜10日と書いている)
  • 主な登場人物(&動物)
    • SH、JW
    • 依頼人……ジェイベズ・ウィルスン(ロンドンの質屋経営者)
    • 被害者……ジェイベズ・ウイルスン、メリウェザー頭取(未遂)
    • 犯人/悪役……ジョン・クレイ/別名ヴィンセント・スポールディング(質屋の店員)
    • 警察官……ピーター・ジョーンズ警部(SY)
    • 若い女性キャラ……なし
    • その他……メリウェザー(シティ・アンド・サバーバン銀行の頭取)、アーチー/別名ダンカン・ロス(赤毛組合の管理人)またはウィリアム・モリス(事務弁護士)
  • 執筆者……JW
  • 事件の種類……強盗未遂および詐欺
  • ワトスンの関与

 捜査と逮捕に同行

  • 捜査の結果

 強盗事件は未然に解決。ウィルスンの詐欺については、最後の1週間分の4ポンドは取り戻せなかった。

  • ホームズの報酬

 ウィルスンからの謝礼は不明。メリウェザー頭取に対し、ホームズは実費を銀行が負担してくれれば、あとはいらないと言っているが、他の例から鑑みて何らかの謝礼は出ていると思われる。

  • ストーリー(あらすじと構成)

  結婚後ベイカー街を離れていたワトスンがホームズを訪ねると、彼は燃えるような赤毛の男ウィルスンと話し込んでいた。質屋を経営するウィルスンは、最近雇った店員のスポールディングにすすめられ、アメリカの億万長者がつくったという扶助団体、「赤毛組合」の欠員に応募して合格した。組合の事務所にこもって大英百科事典を書き写すという仕事をするだけで、週に4ポンドという破格の給料をもらえるのだ。

 ところが、その仕事を始めて8週間後、1週間分の給料をもらおうとウィルスンが事務所へ行ってみると、組合はいきなり解散していた。いったい誰が、なんの目的で、こんな金のかかるいたずらをしたのだろうか。

 質屋の周辺を調べ、店員と話をしたホームズは、たちまち事件の真相をつかんだようだった。その晩、ホームズとワトスンは、ヤードのジョーンズ警部およびシティ・アンド・サバーバン銀行の頭取メリウェザーとともに、シティ支店の地下室で犯人を待ちぶせした。そこには、資金強化の目的で借り入れたナポレオン金貨3万枚が積まれていたのである。

 待つこと1時間あまり。はたして賊はやってきた。地下室の床から現われたのは、ウィルスンが破格の安い賃金で雇ったスポールディング(本名ジョン・クレイ)と、その相棒アーチー。アーチーはウィルスンを合格させた赤毛組合の管理人、ダンカン・ロスだ。難なく二人を逮捕し、ベイカー街に戻ったホームズは、ウィルスンを質屋から遠ざけるトリックとして赤毛組合が考え出されたこと、その間にクレイが質屋の地下室から銀行に向けてトンネルを掘っていたことなど、推理のすじみちをワトスンに話して聞かせるのだった。

  • ストーリー(ショートバージョン、あるいは本音のあらすじ)

「楽して金もうけ」につられ、赤毛組合の事務所へ通う質屋のウィルスン。彼のいないすきにジョン・クレイが質屋の地下室から銀行へトンネルが掘るが、ホームズはそれを見破り、現金強奪を未然に防ぐ。

  • 物語のポイント

「赤毛」は昔から現在まで非常に人気の高い、記憶に残る作品。架空の団体その他をつくって人をある場所から遠ざけ、そのすきにその家で作業をしたり物を持ち出したりするパターンは、その後この作品の題名をもとに、「赤毛トリック」と呼ばれるようになった。ACDはこの「赤毛」のほかにも「株式仲買店員」と「三人のガリデブ」という2短篇で同じパターンを使っている。

  • ホームズの変装
    • なし。
  • 注目すべき推理、トリック
    • 物語の冒頭、ホームズがウィルスンの外見からいくつもの推理をする場面は、有名。質屋の店先でステッキを使って敷石を叩くシーン、スポールディングを見るのでなく彼のズボンの膝を見るためだった、というセリフも。
  • 有名なエピソード、要素など
    • 推理がすんだら逮捕の前にコンサートに行く、という「ホームズ流」が際立っているほか、「パイプ三服ほどの問題だ」と言って推理に没頭する彼の姿——椅子の中で身体を丸め、鷹を思わせるとがった鼻の先へやせた膝を持ち上げて、黒いクレイ・パイプを怪鳥のくちばしのように口から突き出して目を閉じているという姿——は典型的なものであり、グラナダTVのジェレミー・ブレットがこの姿を模倣したことでも有名。
    • また、冒頭でホームズが見せる癖——両手の指先を突き合わせる、考えごとをするときの癖——も、視覚的要素として非常に有名。ホームズらしさの演出においては、服装や付属品(パイプ、拡大鏡、コカイン注射器)のほかに、こうした仕草が重要と言える。
  • 本作に出てくる“語られざる事件”(ホームズが関わったもののみ)
    • 特になし(過去に語られた事件は言及されている)。
  • よく引用される(あるいは後世に残る)ホームズのせりふ
    • 「奇妙な偶然の一致とか変わったできごとを求めるなら、いかなる想像の産物よりもはるかに奔放な、実生活そのもののなかを探さねばならない」
    • 「世にも珍しい事件というのは、大きな犯罪よりはむしろ小さな犯罪に関係していることが多く、時には犯罪が行われたかどうかわからないようなところに関連していることもある」
    • 「ロンドンについて正確な知識を持つのが、ぼくの趣味のひとつなのさ」」
    • 「パイプでたっぷり三服ほどの問題だな」
    • 「ああ、もう退屈が襲ってきたよ。ぼくの人生というのは、平凡な生活から逃れようとする果てしない努力の連続だ」
  • 注目すべき(あるいは有名な)ワトスンのせりふおよび文章
    • 「じつにみごとな推理だ。……(中略)……長い推理の糸が、はじめから終わりまできちんとつながっている」
  • 本作の内容またはタイトルを使ったパスティーシュ(の一部)【随時追加】
    • “The Bone-Headed League” by Lee Child (A Study in Sherlock ed. by Laurie R. King & Leslie S. Klinger, 2011所収)
    • 「新赤髪連盟」鮎川哲也(『日本版ホームズ贋作展覧会(下)』)
    • 「オリジナル版 『赤毛連盟』」テレンス・ファハティ(日暮雅通訳、『ミステリマガジン』2014年9月号)
    • 「赤毛連盟」砂川ひげひさ(『日本版シャーロック・ホームズの災難』)
    • 「ジョン、全裸連盟へ行く」北原尚彦(『ミステリマガジン』2013年4月号)(単行本収録予定)
    • 「ビリー君の赤ひげ連盟事件」北原尚彦(『ミステリマガジン』2011年6月号)
    • 「赤毛サークル」喜国雅彦(『日本版シャーロック・ホームズの災難』)(マンガ)

◆今月の画像

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左:『シャーロック・ホームズの冒険』単行本(1892年)

右:「赤毛組合」挿絵(『ストランド』1891年8月号掲載)

【2】コラムの部

  • 作品の注目点、正典における位置づけ、書誌的なことなど

「物語のポイント」で前述したように、「赤毛」の人気は総じて高い。正典の短篇は短篇集『生還』以降の後期作品の中にも傑作はあるが、やはり『冒険』『回想』のころのほうが後世に残る有名な作品が多いのではないだろうか。

 書誌的な話題は、「ドイリアーナ的データ」の項をご覧いただきたい。

  • 邦題の話題

  資料の部に書いたように、現代の邦題はほぼ似たようなもので、「赤毛」にするか「赤髪」にするか、「組合」にするか「連盟」にするかの選択が変わるだけだ。一方、明治・大正の邦題はすごい。「禿頭俱楽部」や「若禿組合」もさることながら、「銀行盗賊」や「地下室の大賊」では最初からネタバレではないかと、かなり心配になる。

  • シャーロッキアーナ的な側面

 この事件に登場するヤードの刑事ピーター・ジョーンズは、『四つの署名』を担当したアセルニー・ジョーンズと同一人物であろうと言われている。外見的な特徴や、「ショルトー殺しとアグラの財宝事件」つまり『四つの署名』事件に言及している点からだ。生粋のシャーロッキアーナ本であるA Sherlock Holmes Commentaryの著者マーティン・デイキンはもちろん、ドイリアーナに傾いているオックスフォード版全集(邦訳は河出書房版全集)の注釈者リチャード・ランスリン・グリーン(有名な父親の表記にならい、“ランセリン”でなく“ランスリン”にしておく)でさえ、「文脈の流れからすると」同一人物だと書いているのだ。

 そのグリーンは、「ピーター・ジョーンズは1877年にスローン・スクウェアの西側で開業したデパートの名前で(も)あった」とだけ書いているのだが、レスリー・クリンガーは The Sherlock Holmes Reference Library の『冒険』の巻および The New Annotated Sherlock Holmes 第1巻の両方の注釈で、「グリーンはさらに、ワトスンの筆がすべったのは“ピーター・ジョーンズ”が1877年にスローン・スクウェアの西側で開業したデパートの名前でもあったことが原因かもしれない、とほのめかして(サジェストして)いる」と書いている。これもまた、シャーロッキアン的な解釈なのだろうか。

 また、ジャック・トレイシーは『シャーロック・ホームズ大百科事典』の中で、そうなると「ピーター・アセルニー=ジョーンズ」という複合姓になるが、それは上流階級を装うものなのでおかしい、と指摘している。

 一方、ちくま文庫版注釈付き全集の編者B=Gは、自著である架空のホームズ伝『シャーロック・ホームズ ガス燈に浮かぶその生涯』(河出文庫)において、このアセルニー・ジョーンズがジャック・ザ・リッパーの正体だと、してしまった。これには前述のデイキンも面くらったらしく、「まあ、こういう突飛な説にも、寛容の笑みを浮かべて大目に見るべきなのだろう」と書いているくらいだ。

 このピーター・ジョーンズの件は、山のようにあるシャーロッキアーナ的疑問のほんの一角にしか過ぎない。いちばん大きなのは事件発生年月日に関する疑問で、ワトスンの記述がいたるところで矛盾に満ちている。赤毛組合の広告が載ったのは「1890年4月27日付け」の新聞で、(組合の解散した今日から)「ちょうど2カ月前」とあるが、赤毛組合の解散宣言は1890年10月9日付け。また、ウィルスンは組合の仕事をして8週間たった日に言ったら解散していた、と言っている。しかもそれぞれの曜日が実際とは違っている……などなどだ。

 これ以外に、シャーロッキアンたちはいったいどんな疑問をこの「赤毛」から抱いたのか、実際に日本の団体が開いた研究会の記録から、紹介してみたい。団体の名は The Black-Headed League(BHL:黒髪連盟)。筆者が創立メンバーのひとりとなった少数団体で、日本シャーロック・ホームズ・クラブに最初にできた支部だ。1992年の「赤毛」議事録には、こんな項目が列挙されている(同じくBHLの創立メンバー、若林孝彦氏の協力による)。

    • ワトスンは開業中で、家はケンジントンにあるが、「たいして忙しくない」と言っている。一方「株式仲買店員」では、ワトスンはメアリと結婚後パディントンに開業して忙しかったとあるが、これをどう考えるべきか。
    • 赤毛組合の募集広告にホームズが気づかなかったとは考えられない。また、フリート街に赤毛の男が大量に集まったのに、新聞記事にならなかったというのもおかしい。
    • ウィルスンは2カ月のものあいだ、地下室へ降りていかなかったのだろうか。
    • 大英百科事典Aの項目を1日4時間、8週間で書き写すのは不可能では?
    • スポールディングはトンネルを掘った土をどう処理したのか?
    • トンネルを掘っているときに質屋に客が来ても、出られない(気づかない)のでは?
    • ホームズたちが質屋に行ったとき、スポールディングのズボンの膝が汚れていたというが、穴を掘っていたら全身が泥だらけでは? また、すでにトンネルが完成していたのだとしたら、汚れていなかったはず。
    • 犯人たちはナポレオン金貨の噂をどこから聞いたのか。
    • 犯人たちは金貨をどう運搬するつもりでいたのか。
    • 銀行がナポレオン金貨を借り入れたまま、支店の地下室に何カ月も置きっぱなしにしておいたとは考えられない。
    • ジェイベズ・ウィルスンはユダヤ人か。
    • ウィルスンが中国へ行ったというのは本当か。日本ではないのか。
    • ウィルスンの魚の入れ墨とは、背中に彫った鯉の滝登りではないか。
    • スポールディング(ジョン・クレイ)は「抜け目のなさではロンドンで4番目、大胆さでは3番目はくだらない」とホームズが言ったが、1番と2番は誰なのか(モリアーティ教授やモラン大佐か?)。
    • スポールディング(ジョン・クレイ)の身体的な特徴(小柄、ひげがない、耳にイヤリング、白い女っぽい手)は女性を思わせるが、これは何を意味するのか。
    • スポールディング(ジョン・クレイ)が貴族の出で、イートン、オックスフォード出身というのは、本当か。モデルはいるのか。
    • 質屋には台所仕事や掃除をする14歳の女の子がいたはずだが、事件に関係あるのではないか(トンネル掘りに気がつかないわけがない)。
    • パイプ三服で50分と言っているが、本当か。

 ……もちろん、これ以外にもたくさんあるだろう。

 いちばん最後の問題については、パイプをたしなむ私ゆえ、多少はわかる。ホームズはパイプの火皿に葉を一回詰めて吸い切るまでを16〜17分と言っているわけだが、これはそれほどおかしな(短かすぎる)数字ではない。ロング・バーニングのコンテストなどでは、1回分を吸い切るまでに1時間くらいかけることが珍しくない。だが、それは火のめぐらせかたに神経を集中して、できるだけ長く吸い続けようと努力するからだ。ホームズの場合は推理に集中しながら無造作にスパスパとやるわけだから、かなり早い燃え方のはず。『バスカヴィル家の犬』で、ワトスンが部屋に戻ってみたらもうもうたる煙の中に……というシーンがあるのを、思い出される方もいるだろう。

 さらに、ホームズは前の日の吸い残りを乾かしてパイプに詰めて吸うという習慣をもっていた。つまり彼にとって、火皿の中にある葉をすべて吸い切らなくてはならないというつもりはなかったわけだ。したがって、ホームズの「一服」時間は通常よりやや短めでも、おかしくないのである。

 これ以上書いていると、「シャーロッキアンは重箱の隅をつつく」云々という揶揄が本当だと思われてしまうので、やめておこう。

  • ドイリアーナ的データ

  作品の冒頭に、ホームズがワトスンに向かって「メアリ・サザーランド嬢が持ち込んだあの単純な事件」と言う場面がある。これは「赤毛」の次に『ストランド』誌に掲載された「花婿の正体」に言及しているわけで、矛盾があるように思えるが、前回「ボヘミア」で「ドイリアーナ的データ」の項に掲載した年表をご覧になれば、わかると思う。ACDは「花婿」の原稿を先に送ったのだが、掲載は「赤毛」が先になってしまったからだ。

 いくつかの伝記と書誌本によれば、ACDは最初の短篇「ボヘミア」を1891年4月3日に脱稿してエージェントに送り、それはすぐに『ストランド』編集部へ送られた。その後、4月10日に「花婿の正体」、4月20日に「赤毛」、4月27日に「ボスコム谷の謎」と、立て続けに脱稿したが、5月4日にインフルエンザにかかってしまう。姉のアネットを1年前に死に追いやったのと同じ悪性インフルエンザである。だが、みごとに復活した彼は5月18日に「オレンジの種五つ」、8月10日に「唇のねじれた男」を脱稿し、初期の約束だった6篇を書き上げる。その少し前、1891年7月に「ボヘミア」が『ストランド』誌に載り、ホームズ短篇の連載が始まったのであった。

 ちなみに、『わが思い出と冒険——コナン・ドイル自伝』(新潮文庫)の第十章で、ACDはこのインフルエンザにかかったときのことを書いている。そこには「3年前に妹のアネットが生涯を家族の犠牲になって、リスボンで死んだばかりだった」とあるのだが、アネットはACDの妹でなく姉であり、亡くなったのは1年前の1890年1月だった。また、同じ段落で「それは1891年8月のことであった」と書いているが、インフルエンザにかかったのは同じ年の5月のことだ。いずれも(「妹」のことを除き)ACDの記憶違いであり、年をとってから記憶に頼って書く自伝がいかに危ういものであるかという、証左と言えるのではないだろうか。

 以上は「記憶違い」で済まされるものだが、もともと日付に関して無頓着だった彼のせいで(そのことは『コナン・ドイル書簡集』を読むとよくわかる)、これまで受け入れられていた書誌学的情報が怪しいと思われるようになったケースがある。

 先ほど、「ボヘミア」をACDが脱稿したのは1891年4月3日だと書いた。前回「ボヘミア」の年表でも、“1891.4.3「ボヘミア」をリテラリー・エージェントに送稿”としてある。これはリチャード・ランスリン・グリーンとジョン・マイケル・ギブスンによる大著 A Bibliography of A. Conan Doyle の注を使ったのだが、グリーンは前述の河出書房版全集(オックスフォード版注釈付き全集の翻訳)の『冒険』の巻の注釈者でもあり、そこでも彼は“(「ボヘミア」は)1891年4月3日に発送されている”と書いている。ACD自身の「ポケット・ダイアリー」にそう書かれてあったため、この日付が定着してきたらしい。

 ところが、2011年発行の Bohemian Souls という研究書(「ボヘミア」の自筆原稿とその解説を載せた本)への寄稿者ランドール・ストックが、この日付に疑問を投げかけた。ACDが原稿を送った相手はA. P. ワットという作家エージェントで、ニューヨーク公共図書館の“バーグ・コレクション”に、当時ワットがACDに送った手紙が保管されている。その中の、「ボヘミア」の原稿を受け取ったという手紙の日付が、1891年3月31日(火)なのだ。つまり、こちらの日付を信じるなら、「ボヘミア」の脱稿は4月3日でなく3月31日以前ということになる。

 さらに、ACDのポケット・ダイアリーには、4月3日に脱稿したという作品のタイトルが“A Scandal in Bohemia”としるされていた。だが、現存する原稿のタイトルは“A Scandal of Bohemia”であり、“of”が“in”に変更されたのは『ストランド』誌掲載の時点である。脱稿した時点にダイアリーに記録したのなら、このタイトルを使うわけがない。おそらくは、3月30日ないし31日に原稿を送ったがダイアリーに記録するのを忘れ、しばらくたってから改訂されたタイトルと間違った日付(だが同じ週)を書き込んだのではないだろうか……というのが、ストックの考えである。

 話が「赤毛」から逸れて「ボヘミア」に戻ってしまったが、とにかくエージェントのワットは「ボヘミア」「花婿」「赤毛」「ボスコム」「オレンジ」と5篇ため込んだあと、7月になって、ようやく掲載を始めたのだった。月刊ペースでとどこおりなく掲載したいという意図が編集部側にあったかもしれないが、実際に止めていたのはワットであった。この時点でワットは、ホームズもののいくつかをアメリカの新聞用配信企業に売っていたものの、1891年7月より以前にはアメリカでもイギリスでも掲載してはならぬとしていたのだ。実はこれは、ドイル自身のためでもあった。

 詳しい説明は省くが、この年1891年の7月から、アメリカの国際著作権法(通称チェイス法)が発効することになっていた。アメリカとイギリスは、この法律により二国間条約を締結していたので、ようやくイギリスの著作がアメリカでも保護されるようになる。つまり、アメリカからまったく印税をもらえなかった『緋色』『署名』の二の足を踏まなくて済むようになるのである。

 ACDが短篇ホームズ作品で大成功した理由としては、このA. P. ワットとの出会いが非常に大きかったと言えるのではなかろうか。

  • 翻訳に関する話題

  翻訳家を悩ます言葉や言い回しはどの作品にもあるのだが、私自身がずっと追い続けていたのは“artificial knee-caps”。解散した赤毛組合を追う質屋のウィルスンが、教えられた住所に行って見つけた工場が作っているものだ。kneecapはひざがしらだから、直訳すれば「人工膝蓋骨」。だが、人口の膝蓋骨を人間に埋め込むことはないとのことなので、私もかつては「義足や義手」と訳したり、光文社文庫では単に「膝当て」と訳した。

 この単語はB=Gの注釈付き全集(邦訳はちくま文庫)でもジャック・トレイシーの『シャーロック・ホームズ大百科事典』でも取り上げていないので、英米の読者にはすぐわかるものなのかと思っていた。だが1990年代に入って刊行されたオックスフォード版全集(邦訳は河出書房版全集)には注釈が付いているし、最近になって英語圏の研究者もこの“artificial knee-caps”を取り上げて説明を試みているので、現代の読者にはやはり馴染みのない言葉なのかもしれない。

 ただ、そのオックスフォード版全集では、「義手・義足の製造業者」と書かれているだけで、詳しい説明はない。レスリー・クリンガーの The Sherlock Holmes Reference Library では、この工場のあるキング・エドワード街の説明があるが、やはり義手や義足の製造業者のことが書いてあるだけだ。

 その後、ホームズや乱歩の研究家・平山雄一氏は、ヴィクトリア朝専門メーリングリストから、「競走馬の膝に巻く包帯の一種」という回答を得た。ノルウェーの翻訳家ニルス・ノルトベルクは、デンマーク語版正典の注に「よろめき気味の馬の脚に巻く特別製の包帯」とあるのを見つけている。そのことを書いた拙著『シャーロッキアン翻訳家最初の挨拶』を読んだ私の翻訳家仲間、加藤洋子氏は、乗馬を趣味とする彼女らしく、すぐに「冠膝(かんしつ)しやすい馬につけるプロテクター」であるというメールを、サイトのURLとともに送ってきてくれた。現代ではknee bootsのほうが一般的な言い方らしい。

 おそらくこの「馬の膝当て」がいちばん近い訳語なのだろうな……と思っていたところに、前述の平山氏が教えてくれたのが、SHSLの機関誌“The Sherlock Holmes Journal”の記事。2013年夏号にこの問題に関する記事があるという。そういえば会員として送ってもらっているのに読むのをサボっていたなぁ、と反省しつつ引っぱり出してみると、確かに“A Manufactory of Artificial Knee-Caps”という短い論文(?)が。馬の膝当てであるという結論だけでなく、四輪馬車を引く馬が膝当てをしている、当時のクリスマスカードまで添えられてあるのだった。

 しかも、この機関誌の少し前、2012年4月には、Historical Sherlock というブログがこのテーマをとりあげ、馬用の膝当ての写真入りで解説していた。

 これで一件落着、としていいのだろうか。ひとつ気になるのは、kneecapだけで「ひざがしら」という意味も馬の「膝当て」という意味もあるのだから、わざわざartificialという形容詞をつけたことに何か意味があるのだろうか、という点だ。

 翻訳家もまた重箱の隅をつつく……などと言われる前に、やめておこう。

★今月の余談に代えて★

 今月も力尽きたので(毎月尽きてるなぁ……)、短いのをひとつ。

「シャーロッキアーナ的な側面」の項では、ワトスンの記述における疑問点や矛盾点を列挙したが、ホームズ・パスティーシュの中に、こうした問題をうまく解決しているものがある。

 たとえば、今回資料の部「パスティーシュ」の項に載せたテレンス・ファハティの「オリジナル版『赤毛連盟』」(『ミステリマガジン』9月号)。ワトスンが書いた最初の原稿はこうだった(あとで彼はかなり加筆訂正しているのだ)、という設定のパスティーシュだが、正典の「赤毛」をうまくアレンジして前述の疑問・矛盾点のいくつかを見事に解消している。この連載ではパスティーシュのネタバレは禁止と決めているので、詳しくは説明できないが、(手前味噌ながら)なかなか面白い作品に仕上がっているとだけ述べておきたい。

日暮 雅通(ひぐらし まさみち)

 1954年千葉市生まれ。翻訳家(主に英→日)、時々ライター。ミステリ関係の仕事からスタートしたが、現在はエンターテインメント小説全般のほか、サイエンス&テクノロジー、超常現象、歴史、飲食、ビジネス、児童書までを翻訳。2014年も十冊ほど訳書が出る予定。

 個人サイト(いわゆるホームページ)を構築中だが、家訓により(笑)SNSとFacebook、Twitterはしない方針。

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