はじめに

 今(2014)年の9月、新潮文庫から田口俊樹訳の『郵便配達は二度ベルを鳴らす』が刊行されました。同文庫で半世紀に亘り売り続けてきた田中西二郎訳に替わる新訳版ということで話題となり、蔦屋書店代官山店ではやはり同書の翻訳を手がけた小鷹信光氏との対談も企画されました。ところで、この新潮文庫版の新訳登場というニュースに、ぼくはある感慨を持って接したのですが、おそらくそういう思いを抱いたのは、田中さんは勿論ですが厚木淳亡き後、ぼくくらいのものだったのではないでしょうか。

 ということで、そのあたりから、この翻訳家交遊録を始めてみたいと思います。

          *

 ぼくは「本の雑誌」で本にまつわる自伝風のエッセイを連載し、編集者になる前の時点までで一休みしています。やがて続きを書くつもりでいましたが、当時はまだ記憶の生々しいところもあり、少し時間を置いてから書こうという気持ちが強かったのです。最近になって、そろそろ機が熟したかな、と思い始めた矢先、越前さんからこちらで書かないか、というお誘いを受けたのでした。

 ぼくは昭和45(1970)年4月、大学卒業後すぐ東京創元社(正確に言うと、当時の社名は東京創元新社でした)に入社し、編集部に配属されました。そして平成24(2012)年末、定年を迎えるまで、42年9か月在社したことになります。その間の大半を翻訳関係の仕事に従事しておりましたので、一緒に仕事をさせていただいた翻訳家の方は100名近くに上るのではないでしょうか。40年超この仕事をしておりましたし、推理文庫以外の「バルザック全集」「ヴィリエ・ド・リラダン全集」「現代社会科学叢書」「ミュージック・ライブラリ」そして「創元選書」といった全集叢書類も手がけましたので、専業翻訳家の大久保康雄をはじめ、英文学者の小池滋、仏文学者の渡辺一夫以下の大家から齋藤磯雄、澁澤龍彦、平井呈一……といった個性的な方々まで、様々な先生方のお仕事に接することができました。

 ここではその中から、印象に残る翻訳家の思い出を綴ってみたいと思います。

■ 東京創元社における翻訳ミステリ出版前史

 田中西二郎訳の『郵便配達は二度ベルを鳴らす』は、東京創元社の「世界名作推理小説大系」の一巻として、昭和36年2月、レイモンド・チャンドラーの『大いなる眠り』『かわいい女』とともに収録されました。田中訳はこの時の訳し下ろしです。

 所謂、岩波、筑摩型の文芸出版社だった東京創元社に、昭和27(1952)年10月、まだ京大に在学中だった厚木淳が入社します。当時の社名は創元社ですが、戦後の昭和23年に大阪本社とは別法人となり、小林茂が代表取締役で、文芸評論家の小林秀雄先生が編集顧問を務めていました(念のため申し添えますが、同姓でも両者の間に血縁はありません)。明治時代から大阪で書籍取次業を創業していた福音社が、大正14年から創元社を併設し図書出版を行うようになり、まもなく東京に支店を開設します。これが東京創元社の前身なのですが、その辺の経緯については「本の雑誌」2014年5月号で書きましたので、そちらを参照して下さい。ところが、昭和29年7月の第1次倒産で小林先生は社外に去ります。ここから厚木が中心になって、ミステリやSF、ホラー、冒険小説といった海外エンターテインメント路線に乗り出すのですが、企画自体は倒産前の会議に提出していたようで、小林先生は「おれはよくわからんが、いいんじゃないか」とおっしゃった、と厚木から聞きました。先生の葬儀の折に、後に小林秀雄全集の編集を担当した新潮社の池田雅延氏からうかがったところによると、職を辞された後も創元社のことを気にしておられた先生から、創元社を潰したのはおれだから、せめてもの罪滅ぼしに推理ものでもやれ、と言い遺して辞めたんだ、とおっしゃっていた、とうかがいました。いかにも小林先生らしい表現だと思います。ともあれ、昭和31(1956)年1月から刊行を始めた「世界推理小説全集」と、同年9月刊行開始の「世界大ロマン全集」を皮切りに、矢継ぎ早にこのジャンルの刊行物が上梓されるようになります。

「世界推理小説全集」は、江戸川乱歩、植草甚一、大岡昇平、吉田健一の4氏が監修者として名を連ねています。当初は第1期28巻でスタートし、全50巻別巻2と発表して、結局は80巻まで拡大します。全巻構成を見ると一目瞭然ですが、刊行当初はポオ、ザングウィルで始まってほぼ編年体に名作を並べているのですが、途中でまたフリーマンに戻り、あとはチェスタトン、ヴァン・ダイン、クイーン、クリスティ(当時の表記はクリスチィ)、クロフツ、カー、ガードナーといったところが繰り返し刊行され、それに新しい作家も加わっていきます。全集と言うより、叢書になっていくんですね。

 これに続いて出た「世界大ロマン全集」も初めは全50巻でスタートし、好評につき28巻を追加すると発表されますが、結局は65巻で完結となります。ここにはデュマに始まりライダー・ハガード(当時の表記はハッガード)、ウェルズ、ヴェルヌからシェンキェヴィッチ、サバチニ、ホープ、呉承恩から牧逸馬の世界怪奇実話まで入っていました。監修者は置かず、大ロマン=面白い小説であれば何でも、という気楽な(という言葉が相応しいかどうかわかりませんが)編集ぶりがうかがえます。厚木の京大の先輩で後に翻訳家・曽根元吉として活躍することになる谷口正元さん、創元社から岩波書店に移った細木さんなどが編集に携わっていたようです。

 つづく「現代推理小説全集」は「世界推理小説全集」に手応えを感じて始めた謂わば同全集の現代編、という位置づけでしょう。昭和32(1957)年8月から翌年5月までの10か月間で刊行しています。全集と同じ監修者を起用し、戦後の1948年からこの刊行の始まる前年1956年までの英米仏伊の最新作300点ほどから厳選したベスト20、と謳いながら結局全15巻となり、残りは次の企画「クライム・クラブ」へと引き継がれます。当然、全巻翻訳権を取得し、刊行されました。前の全集でも、後半には翻訳権を獲得して出したものがありますが、この全集で本格的に翻訳出版に名乗りを上げたという感じですね。東京創元社が「世界推理小説全集」を始める以前の昭和28年に早川書房がやはり江戸川乱歩監修を銘打ってハヤカワ・ポケット・ミステリを始めていて、それに創元社らしい全集叢書類で対抗しよう、という構図が徐々にできあがっていくわけです。

 この「現代推理」とまったく同じ時期に、「エラリー・クイーン作品集」と銘打って最初期の国名シリーズ全9作の刊行を始めます。これも途中でクイーン名義の第10長編The Door Betweenを『ニッポン樫鳥の謎』として国名シリーズに加え、さらに短編集2作を足して全12巻となります。こちらは井上勇さんの個人全訳。訳し下ろしで昭和32年の8月から16か月で12冊出したんですから、凄いものです。井上さんは戦前、新聞記者として欧米で活躍した方ですが、近年、日米の終戦秘話としてその隠れた役割が紹介され、話題を呼びました。朝からウィスキーを片手に翻訳をしていた方で、ぼくも入社早々、井上さんの最後の方のお仕事を担当させていただきましたが、三鷹駅にほど近いお宅の勝手口にはウィスキーの空瓶が何本も置かれていたのを、目にしています。井上勇さんについては、また改めてお話ししたいと思います。

 そして「現代推理小説全集」完結の翌月から、「クライム・クラブ」が始まります。収録作品のコンセプトは「現代推理」と同様ですが、新作を「恒久的に紹介する」ために、全集という形をやめて、イギリスのコリンズ社やアメリカのダブルデイ社で用いられている叢書名を借用し、開始することにした——と謳われています。これは明らかにハヤカワのポケット・ミステリにぶつけた企画だったのでしょう。内容的には前記「現代推理」を引き継ぎ、継続して刊行するつもりだったと思われますが、17か月で29作を刊行し、終了します。「現代推理」には「全集」と同じ4名の監修者が名を連ねていましたが、「全集」の時点から新しい作品のセレクトは植草さんに一任されていた感じが濃厚で、「クライム・クラブ」になると監修者名は明記されていませんが、解説を全巻担当しているところから見ても、植草甚一さんの独壇場と見て間違いないでしょう。

 これが「恒久的」シリーズとならなかったのは、ひとつに自由奔放な植草さんと編集部が徐々に距離を置くようになったことと、新書という判型が思いの外、製作コストが掛かり、定価を抑えられないことに気づき、それなら総合文庫として刊行していた創元文庫に倣って創元推理文庫を創り、このジャンルを継承していこうということになったようです。

(この項つづく)

戸川安宣(とがわ やすのぶ)

1947年長野県生まれ。立教大学文学部史学科卒。1970年東京創元社入社。2012年定年退職。主な著作『少年探偵団読本』(情報センター出版局 共著)。日本推理作家協会、本格ミステリ作家クラブ、SRの会会員。