ミステリ試写室 film 14 誰よりも狙われた男
今年の2月2日午前のこと、ひとりの俳優の急逝を伝えるニューヨーク発の悲報が、海を越え日本の映画ファンのもとにも届けられた。亡くなったのは、フィリップ・シーモア・ホフマン。『カポーティ』で作家トルーマン・カポーティを演じ、2005年にアカデミー主演男優賞に輝いたのは、誰もがご存じだろう。脇に回ってもいい味があって、『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』、『ダウト(あるカトリック学校で)』、『サ・マスター』と、同賞の助演男優賞部門に繰り返しノミネートされ、ミステリ映画ファンなら、『リプリー』、『レッド・ドラゴン』、『その土曜日、7時58分』などのキーパーソン役が、鮮明に思い出されるに違いない。享年46。あまりに早すぎる死だった。
© A Most Wanted Man Limited / Amusement Park Film GmbH
その彼の最後の主演作が、今回ご紹介する『誰よりも狙われた男』である。原作は、昨年の12月に早川書房から翻訳紹介されたばかりのジョン・ル・カレの同題小説(原著刊行年は2008年)で、『ミッション・ソング』(光文社文庫)と『われらが背きし者』(岩波書店)の間に位置する作品だ。ル・カレの映画化というと、2012年に日本でも公開されて評判をとった『裏切りのサーカス』(原作は『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』)がすぐに思い出されるが、さて今回の出来映えやいかに?
まずは、予告編から。
ドイツ北部の港湾都市ハンブルク。不審な人物に眼を光らせていたギュンター・バッハマン率いる憲法擁護庁(OPC)のテロ対策チームは、海路を経て密入国したひとりのチェチェン出身の青年に目をとめる。痩せこけ、体中に傷を負ったイッサという名の男は、イスラム過激派として国際指名手配中だった。親切なトルコ人一家に匿われながら、彼は人権団体の女性弁護士アナベル・リヒターを介して銀行家のトミー・ブルーと接触する。この国を訪れた目的は医学を学ぶためと語るイッサだったが、ブルーの経営するプライベートバンクに眠る亡き父親の遺産にも深いかかわりがあった。
彼を危険人物と見なし、即刻逮捕を主張するOPCの主流派や、隙あらば介入しようとするCIAベルリン支局を牽制し、ソ連赤軍の大佐でチェチェンを蹂躙した父親の所業を憎むと語るイッサを利用し、バッハマンはある作戦を画策する。目的はイスラムのテロ組織に繋がる資金のルートの摘発で、手段を選ばないバッハマンは、イッサに肩入れするアナベルやブルーを半ば強引にチームに協力させてしまう。
© A Most Wanted Man Limited / Amusement Park Film GmbH
まず押さえておきたいのは、なぜハンブルクなのか、だろう。ベルリンに次ぐこのドイツ第二の都市は、2001年9月のアメリカ同時多発テロの実行犯が、この町の大学に留学生として潜伏していたという情報が取り沙汰され、テロ破壊活動の温床と言われるようになった。本作におけるドイツ諜報機関の神経過敏な反応や、CIAが睨みをきかせている状況も、いまなおこの都市が引き摺る不名誉な過去ゆえのことなのである。
そしてもうひとつ、フィリップ・シーモア・ホフマン演じるバッハマンという主人公の過去である。始まって間もなく、彼にはベイルートでの作戦中にCIAの裏切りに遭い、情報網を壊滅させられた苦い経験があったことが明らかにされる。汚名をそそぐ機会を秘かに狙う彼が、憲法擁護庁内部でも鬼っ子として蔑まれる組織であるテロ対策チームの長に甘んじているのも、そんな過去と無関係ではない。
バッハマンのそんな人物的な背景は、実は映画化にあたっての潤色だが、彼を主人公に据えたことと併せて(小説では、アナベル弁護士や銀行家のブルーらの方が主役に近い)、クライマックスに向けての緊張感の高まりは一層鮮明なものになっている。静謐なるサスペンス映画『ラスト・ターゲット』(原作は、マーティン・ブース『暗闇の蝶』)を手がけたアントン・コービン監督のさすがの仕事ぶりといっていい。
一方、21世紀の混迷する国際社会の情勢を背景に、その裏側に広がる敵と味方、正義と悪の区別すらも曖昧なカオス状態、さらに国家は全体の利益を名目に個人の存在を平気で踏みにじる酷薄な存在でしかないという観察と分析は、紛うことのない原作者のものだろう。ル・カレ自身、この映画の撮影現場を何度も訪れ、出演者やスタッフを激励するという入れ込みようだったそうだが、彼の作品世界をきちんと具現化した映画に仕上がったと思う。
それにしても、バッハマンを演じるホフマンは、父方がドイツ系の血筋ということもあってか、彼の国の諜報機関内における微妙な立場をリアルに演じている。スパイ戦の現場を仕切るという使命を負いながら、チェチェン出身の青年や女弁護士とかかわるうちに、彼は忘れかけた人の心の純粋さを思い起こしていくのである。そんな主人公が、ラストシーンで作戦現場から去っていく後姿は、役者フィリップ・シーモア・ホフマンの退場とダブり、ファンの瞼の裏側からいつまでも消えないものとなるに違いない。映画界は惜しい俳優を失ったものだとつくづく思う。
© A Most Wanted Man Limited / Amusement Park Film GmbH
このほか、女性弁護士のアナベルにレイチェル・マクアダムス、銀行家のブルーにウィレム・デフォー、CIAの女性局員にロビン・ライトと、味のある配役が光る中、バッハマンの補佐役イルナ・フライとして登場する「東ベルリンから来た女」で一躍知られることとなったニーナ・ホスの怜悧な存在感が際立っている。それゆえ、重要な一要素である筈のバッハマンと彼女の関係性(それだけで優に長篇一冊が書かれても不思議はない)が、削ぎ落とされてしまった格好なのは、ル・カレの読者として、ちょっと残念といえなくもない。
10月17日(金)より、全国でロードショー公開。
監督:アントン・コービン 『コントロール』『ラスト・ターゲット』
原作:ジョン・ル・カレ 『誰よりも狙われた男』(早川書房)
出演:フィリップ・シーモア・ホフマン、レイチェル・マクアダムス、ウィレム・デフォー、ロビン・ライト、ニーナ・ホス、ダニエル・ブリュール
2013年/アメリカ・イギリス・ドイツ/英語/カラー/DCP/シネスコ/122分
原題:A MOST WANTED MAN
配給:プレシディオ
協力:TCエンタテインメント
公式HP:http://www.nerawareta-otoko.jp
Twitter:@nerawaretaotoko
Facebook:nerawareta.otoko
(写真提供:アルシネテラン 禁・無断転載)
三橋 曉(mitsuhashi akira) |
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