(承前)

 ところが八月になって、この熱き想いをも凌駕するとんでもない傑作が現れた。ドン・ウィンズロウの『犬の力』だ。

 これにはまいった。完全にノック・アウトされた。舞台はアメリカ——メキシコ国境地帯を中心とした中南米諸国。麻薬に憑かれた三人の主人公——DEA(麻薬取締局)捜査官、麻薬王の甥っ子兄弟、アイルランド系の殺し屋——が繰り広げる、三十年にも及ぶ血と暴力と信仰に彩られた三つ巴の愛憎劇のなんと凄まじいことか。その有様は、まるで互いに主導権を取ろうとして噛みつき合う地獄の番犬(ケルベロス)のようだ。文庫上下で1100ページを超える大部ながら、一度読み始めたら巻措く能わざる傑作である。

 あまりに一位と二位が突出しすぎた——なにしろこの二作は、オールタイム・ベスト級だ——おかげで、三位以下の作品が大人しく見えてしまうかも知れないが、なあに、今年が翻訳ミステリの当たり年なのであって、例年ならばいずれももっと上位にくるはずの作品ばかりである。

 第三位の『毒蛇の園』は、『百番目の男』『デス・コレクターズ』に続く、アメリカ深南部アラバマ州を舞台にした〈カーソン・ライダー・シリーズ〉の第三弾。法月綸太郎氏の解説に、「トリッキーな謎解き志向を先鋭化して、両横綱(引用者註:ジェフリー・ディーヴァーとマイクル・コナリーのこと。力強い褒め言葉だ)の地位を脅かしつつある幕内の出世頭」とあるように、現代のアメリカ・ミステリ界で、律儀に古典本格ミステリの文法に則った作品を発表し続けている稀有な存在だ。

 もっとも、同時に『サイコ』の血脈も受け継いでいるので、お行儀の良い本格ミステリとなっていないところがミソ。今回も、名門一族の戸棚の中からゴロゴロ転がり出てくる”頭蓋骨”に幻惑されていると、とんでもないところに伏線や手がかりが配置されていて、解決に至って驚愕させられる。シリーズものだけど、本書から読んでも、まったく問題ありません。むしろ一作ごとに小説が巧くなっているから、体験版としては最適かもしれない。

 続く第四位の『ボックス21』は、一昨年、デビュー作『制裁』で、本邦初お目見えしたコンビ作家の第二弾。『制裁』は「小児レイプ犯は矯正可能か」という深刻なテーマを中心に据えた、暗く、重く、安易な救いのない物語だったが、今回もそのテイストには揺るぎなし。『ミレニアム2 火と戯れる女』と同じく、スウェーデンの人身売買と強制売春というネタを扱っているものの、その味わいは180度異なり、読後、鬱になること必死のイヤーな味わいの犯罪小説だ(どれくらいイヤかと言うと、若松孝二の「日本暴行暗黒史」に匹敵するイヤさ、といえばお好きな方にはお分かりいただけるかと)。

 お次の第五位『サイコブレイカー』は、『治療島』で一部好事家を狂喜乱舞させた、ドイツ発の超新星が放つ、ニューロティック・スリラーの傑作。閉鎖空間——吹雪の山荘だぜ——となった精神病院が舞台の、ダリオ・アルジェントの映画を彷彿させるノンストップ・サスペンス。被害者の精神だけを破壊する〈サイコブレイカー〉の真の狙いが判明する瞬間の驚きといったら! 全編に伏線を張り巡らした、企みに満ちた超絶技巧の逸です。

(つづく)