吉野仁氏への質問のつもりが

だんだんズレてしまったが

大事なことなので書いておこう

 ミステリマガジン誌上で「翻訳ミステリ応援団!」という座談会を1年以上にわたってやっていたことがある。これは翻訳家の田口俊樹が、翻訳ミステリー冬の時代を何とかしなければ、と言いだして始まったもので、編集者、翻訳家、書店員、エージェント、出版営業、書評家、大学生と各回三人ずつに集まってもらい、翻訳ミステリーが売れなくなった原因の追求と、打開策の検討、翻訳ミステリの楽しさなど、縦横に語ってもらおうという企画だった。

 オブザーバーとして立ち会ってほしいと田口俊樹から言われたので、まあさして私は役に立たなかったが、最初から最後まで付き合った者として証言しておきたい。というのは、そのときの結論は、

「解決策はない」

 というものだったのである。業界のあらゆる部署の人を呼んだのである。こちらが呼ぶ前から、彼らのほうで知恵を絞り、工夫し、尽力していたのだ。それでも、「自分自身で傑作を探す読者」をたちどころに増やす魔法のような解決策はない、というのがその座談会をやりおえた時の結論であった。

 つまり、書評家が熱い書評をいくら書こうと、日本作家が翻訳ミステリの面白さをいくら熱く語ろうと、「自分自身で傑作を探す読者」を増やすのは無理であると。この事態を変革するのはそんなにたやすいことではないと、結論せざるを得なかったのである。そんなに簡単に出来るものなら、とっくの昔にやっているのだ。

 毎回、ゲストに呼んだ人たちと座談会が終わったあとも酒場に移動して、ではどうしたらいいのか侃々諤々、議論はいつも深夜まで及んだ。そういう中から生まれた認識は、現在の読者の意識を変革するのはもう無理であるということだった。

 しかし諦めるのはまだ早い。いまは無理でも、将来の状況を変革するのは可能なのではないか。つまり、もし打開策が一つだけあるなら、いまの時代の子供たちに、本の楽しさ、翻訳ミステリの面白さを知ってもらうことだ。そういえば我々も、翻訳ミステリを初めて読んだのは多くの場合、大人になる前のことだったではないか。

 ただ一つだけ解決策があるとするなら、そういう次代の読者を育てていくこと−−多くの方と話し合って残った結論は、それだった。

 問題はその子供たちが大きくなるまでの間に、この業界がつぶれてしまっては困ることで、そのための各方面の努力と協力は必要だろう。つまり、熱い書評も(いや熱くなくてもいいんだけど)、作家の推薦も、そのために必要なのだ。それ自体は抜本的な解決策ではなくても、そういう地道な積み重ねが業界の延命策につながっていくという意味で必要だ。

 翻訳ミステリー大賞を田口俊樹が音頭を取って始めたのも(サイト管理人の杉江松恋を始め、みんなが手弁当で協力している)、そういう意味であったと私は理解している。大賞は年に一度なので、普段の活動も大事だと、この翻訳ミステリー大賞シンジケートを始めたのも同じ道筋にある。

 年に一度の翻訳ミステリー大賞も、翻訳ミステリー大賞シンジケートというサイト活動も、そのままイコール「抜本的な解決策」ではないが(いや、そうなればもちろんいいのだが)、むしろ新しい次代の読者が育つまでの間、この業界が疲弊しすぎないようにするための、生き長らえるための活動だと思う。

 その翻訳ミステリー大賞シンジケートで、夏休み特別企画として、18歳以下の人を対象に読書感想文を募集する「U−18レビュワー」を始めたのも、この流れの中で理解したい。保護者への呼びかけがあることからおわかりのように、あれは小学生や中学生までもを視野に入れた、次代の読者を育てたいという彼らの壮大な試みなのである。東京創元社が送り先になっているので、東京創元社の企画かと勘違いする人がいても不思議ではないが、東京創元社は事務方を引き受けてくれたにすぎない。これは、翻訳ミステリー大賞を立ち上げた有志たちの、次代の読者を育てたいという夢の企画なのである。

 前回とは違って今回は全然質問箱になっていないけれど、翻訳ミステリー大賞を始めた彼らの意図について一度、外部から書いておきたかったのである。シンジケートにはこれからも協力していくけれど、それがオブザーバーとしての私の最後の務めであろうと考えたのである。

 彼らの意図と工夫と努力が、本当に次代の読者開拓につながるのかどうか、それはまだわからない。夏休みに読書感想文を募集する今回の企画以外にも、いろいろな手を彼らは考えているはずだが(読書会の開催もその一つだろう)、そういう遠大な計画が本当に新たな読者獲得に繋がるのかどうか。そういう新しい読者が育つまで本当にこの業界がもつのかどうか、それもまだ皆目わからない。彼らの努力に対する評価は、後世の人にまかせよう。しかし版元の枠を越えた有志たちの活動は、必ず実るものと私は信じたい。

 いま壮大な試みが幕を開けたところなのだ。