北上さんは次のように指摘しています。

(以下引用)

「熱い書評」を読んで本を買いに行く読者に対し、「自分自身で傑作を探せよお」と君は言っているのだ。なのに、作家に「熱く語ってもらう」機会を作ることが解決につながるというのは論理的に矛盾していると言わざるを得ない。

「熱い書評」を読んで本を買いに行く読者と、「熱く語る」作家の推薦の弁を聞いて本を買いにいく読者の、どこが違うのですか? これ、論理的には同じですよね。君の論理でいえば、どちらも「自分自身で本を探さない読者」だ。

(引用終わり)

 もちろんわたしの言う「自分自身で傑作を探す読者」というのは理想の話です。実際、刊行する本をできる限り読んでみるような読者はほとんどいないでしょう。

 あとからこれを言い出したのは、なにかことごとく他人任せで、思い通りにならないとすべて誰かに責任があると短絡に考え、自分はまるで被害者きどり、一切リスクを取らない、そういう論者ばかりだということへの意見です。

「本の雑誌」9月号の特集を読むと、海外ミステリーがどん底の状況になったのは、そして書店「深夜プラス1」が閉店に追い込まれたのは、すべて「このミス」海外一位がひどかったせいだ、と主張しているように見えます。その点は北上さんも「異論がある」としているとおりだと思います。

 そもそも「少ない元手で多くの利益を得た者」こそが現代の「高度資本主義の成功者」だと言わんばかりに、ふだんは何も買わず、年末ベストテンの結果にタダ乗りして一冊しか読まず、そのくせ、つまらないと文句をいう人たち。加えてふだんの努力は一切せずそういう連中だのみの情けない書店経営。

 海外ミステリーが売れないという話まで、昨今の非常識クレーマー、モンスター××と同じスタイルで非難されてしまうのか、と。そんな風潮に対する批判(というか怒り)なのです。

 いや、もはや「自分自身で傑作を探す読者をたちどころに増やす魔法のような解決策はない」というのは、わたしだってわかってます。とくに「たちどころに増やす魔法のような解決策」。そんなものはどこにもない。作家に「熱く語ってもらう」機会を作ることが解決につながるなんて、そこまではまったく思ってません。

 実際のところ、海外ミステリーだけでも、年におそらく百冊はこえる本が出ているなか、なにを読んでいいのか分からないというのが一般読者の思いなのでしょう。本に費やせるお金も時間も限られている。でも、できるだけババはつかみたくない、確実に面白い本を手にしたい。となるとベストテンをはじめなんらかの評判だのみとなってしうまうのも無理はありません。

 もうひとつは、これまでまったく海外ミステリーの面白さに触れてこなかったという人が増えている気もします。その面白さがわからない。それは洋楽(海外CD)、洋画に客が集まらず、海外旅行をする若者が激減した現実とも重なっている、という見方もあります。そもそも海外のものに関心がない。

 で、北上さんがくだした結論は、次のとおり。

(引用)

 ただ一つだけ解決策があるとするなら、そういう次代の読者を育てていくこと−−多くの方と話し合って残った結論は、それだった。

(引用終わり)

 これに対してまったく異論はありません。

 北上さんは次のようにも述べてます。

(引用)

 書評家が熱い書評をいくら書こうと、日本作家が翻訳ミステリの面白さをいくら熱く語ろうと、「自分自身で傑作を探す読者」を増やすのは無理であると。この事態を変革するのはそんなにたやすいことではないと、結論せざるを得なかったのである。そんなに簡単に出来るものなら、とっくの昔にやっているのだ。

(引用終わり)

 でもところがしかし、「本の雑誌」9月号で、「たちあがれ、翻訳ミステリー」という特集をやってる。「そんなに簡単に出来るものなら、とっくの昔にやっている」のに、あえて今こういう特集をやっている。

 なぜでしょうか。

 つまり、これ、簡単には出来ない、一挙に何万人もの読者を増やすことはできないけれども、初心者向けと思われる本を紹介するようなことで、十人でも二十人で興味を持ってもらえるかもしれない、それで沈んでいた翻訳ミステリー界がたちあがる(かもしれない)という企画だと思います。

 にもかかわらず、なぜ、まるで「翻訳ミステリーをダメにしたのはこいつらだ!」といった戦犯さがしと吊し上げのような文章が巻頭に載るのでしょう。

 そんなことをしても、なんら「この事態を変革する」ことにはならないのに。

 何年か前の最初の特集のときもそうでした。「翻訳ミステリーをダメにしたのはこいつらだ!」。つまり、それって、売れない「暗黒」のミステリーをアンケートで推し、なんら熱い書評も書いてない、わたしのこと? そうなんでしょうか、北上さん。なにか「本の雑誌」で特集されるたび、一方的に非難され、責められ、第一級戦犯として首つり処刑をされているよな気分です。

 すでに北上さんによって、この問題の「解決策はない」という結論が出たのちもなお、「翻訳ミステリーをダメにしたのはこいつらだ!」という論旨のインタビューをわざわざ巻頭に載せる。なにか明確な意図があるのでしょうか。お前は死ね! ってことかな。

 それはともあれ、ならばもうすこし現実的に、海外ミステリーに手をのばして実際に読んでくれそうな読者がどこにいるのだろうか、ということをわたしは考えたわけです。

 潜在読者がどこにいるか。どの層にアピールすれば効果的か。

 そもそもふだん小説をまったく読まない人よりは、「日本作家はたくさん読むんだけれども、馴染みのない海外ミステリーは食わず嫌いでこれまできた」という人なら、すこしは可能性があるのではないか。

 つまり、自分で探すことはしないないかもしれないけれども、小説を読む能力は充分にある人たち。単に海外ミステリーの魅力に目覚めてないだけ。まずはそういう人たちをターゲットにするのがもっとも現実的ではないか、と。

 それなら「翻訳ミステリーを応援する」という活字の特集があった場合、単に書評家が傑作をすすめるだけの書評欄よりは、効果が大きいのではないと思った次第です。

 で、もうひとつ。

(引用)

 私がひっかかったのは、「書評を読んで本を買いにいく読者」に対して「自分自身で本を探せよぉ」と言いながら、「作家の推薦で本を買いにいく読者」に対しては、なんというか、期待するというか、本来の読者に育つのではないかというニュアンスがあることである。

(引用終わり)

 自分も書評家のはしくれですから、書評を読んで「本来の読者に育つ」ほうがいいに決まってます。でも、その前提として、そもそも多くの人は「書評すら読んでない」のではないか。実際に海外ミステリーの書評欄って、極端に少ない。

 わたしの仕事のひとつに「小説すばる」誌で海外ものの書評をやらせていただいています。でも、当初担当していたのは、国産ミステリーの欄でした。

 ところが、数年前に海外欄の担当者が都合で抜けてしまい、「小説すばる」の誌面に「海外ミステリ」がまったく紹介されなくなってしまった。

 そこで編集者に頼み、国産ミステリー担当から海外ものへと変更してもらったのです。というのも、国産ミステリーを紹介する雑誌の書評はほかにもたくさんあるけど、海外の紹介ページはほとんどないに等しい。

 それこそ、次の北上さんの次の発言と同じ気持ちでした。

(引用)

 そもそも書評などそんなに力を持っていない、ということがある。(中略)

 にもかかわらず、三十五年間ずっと書評を書いてきたのは、たとえごまめの歯ぎしりであっても、少しは報いたいからだ。ベストセラーを生み出すことは不可能でも、一人でも多くの読者にその本の良さを知ってもらいたいからだ。それで一部でも百部でも売れてくれたら(そのくらいの力はあると信じたい)という思いがあるからにほかならない。

(引用終わり)

 なんの力にはならないかもしれないけれども、「この作品はここ(「小説すばる」書評欄)で取り上げられていた」ということで多少でも宣伝の機会を得ることがままあります。ほんとうに微力でしかないでしょうけれども、せめて「こういう海外ミステリーがいま刊行されていて、ひとりの書評家が評価してる」ってことは示せる。だから、わざわざ頼み込んで海外物欄に移らさせてもらったのでした。

 でも、そもそも雑誌を買う読者が少ない(「小説すばる」の実売はいくらか知りませんが、当然何万もないでしょう)。海外ミステリーの書評欄に目に触れる機会など少ない。そういう欄があっても、スルーされるばかりで参考にする人はきわめて少ない。

 おそらく、雑誌の書評欄でいえば、「週刊現代」で関口苑生氏が書いている「特撰ミステリー」や「週刊文春」で池上冬樹氏が担当している「ミステリーレビュー」が多くの人(掲載誌の部数からいえば何十万という単位)の目に触れていると思います。最低、隔週ごとに海外ミステリーがぐーんと売れていいはず。しかし、多くの読者を動かすまでにはいたらないようです。

 残念ながら「そもそも書評などそんなに力を持っていない」のでしょう。

 当然、わたしも海外ミステリーを紹介する書評欄がひとつでも増えることを望んでいます。しかし、増えたところであまりに微力でしかない。それが現実。

 ならば、小説を読む能力は充分にありながら、海外ミステリーの魅力に目覚めていない人たちをターゲットにしてプロモーションしたほうがもっとも現実的に効力があるはず。

 なにも「作家の推薦で本を買いにいく読者」のほうが本来の読者に育つのではないか、と思ってるわけではなく、まずはそうしたどちらかといえば高いリテラシーのある層のほうにアピールしたほうがより実効性が高い、実際に面白いと思ったら次も買って読む、のではないのか。それが考えられるかぎりの、現実的なひとつの手段に思える。

 で、作家がファンに向けて翻訳ミステリーを紹介したほうが効果的ではないか、という意見を述べたのでした。

 これで質問の回答になっているでしょうか。

 蛇足ながら、出版関係者にお願いしたいのは、これからどこかで「翻訳ミステリー応援企画」のようなものをやるとしたら、理由探しと現状分析ではなく、ぜひ具体的で建設的なことをしていただきたい。

 たとえば、「日本のものは読むけれども、翻訳物はほとんど未体験」な人たちに翻訳ミステリーを何冊か読んでもらって、どういう小説がいちばん気にいるか、初心者でも抵抗がなくもっと翻訳物を読んでみようと思わせる作品か、リサーチするとか。

 特効薬にはならなくとも、明日のためになる企画はあるはずです。