第2回翻訳ミステリー大賞受賞作『古書の来歴』(ジェラルディン・ブルックス)の訳者、森嶋マリさんと、同書担当編集者の染田屋茂さん(武田ランダムハウスジャパン)から喜びの声がとどきました!

■受賞のことば (森嶋マリ)■

『古書の来歴』——その原書 People of the Book に私は惚れこんだ。恋愛にたとえるなら、心に秘めた恋ではなくて、人目もはばからず「大好き!」と叫ばずにいられない恋、そういうことになる。翻訳をしながらも「いま、訳している本はすごいんだ」と誰かれかまず言ってまわり、訳し終えて刊行を待つあいだは「もうすぐいい本が出るよ」、出版されてからは「とにかくおもしろいから読んでみて」と吹聴しまくった。まるで、ひとつ覚えの、のぼせた九官鳥。その頃、頻繁に顔を合わせていた友人は、同じような話を何度も聞かされて、さぞかしうんざりしたことだろう。

 それなのに、昨年12月、翻訳ミステリー大賞の最終候補5作品に選ばれると、とたんに何も言えなくなった。同業者に拙訳書を読まれる、しかも評価するためにじっくり目をとおされる——そう思うと、全身がひやりとするほど緊張した。かくして、のぼせあがった九官鳥は、陽光を避けて地中深くにもぐりこむモグラになった。昨日までは宣伝しまくっていたくせに、ふいに“もうそっとしておいて”とばかりに部屋にこもって、頭からすっぽり布団をかぶった。

 そうして迎えた2011年4月20日。翻訳ミステリー大賞発表の日。運命の日。いや、“運命の”というのは大げさだけれど、私にとって一生に一度あるかないかの日なのはまちがいない。

 その日は朝から浮き足立っていた。会場へ向かう電車の中でも落ち着かず、こんなに緊張したままでは身が持たないと、大賞とは関係ないことを考えようとした。けれど、無理やり何かを考えても、思いはあっという間に結果発表に戻っている。ならばと、半ばやけくそで、『古書の来歴』について真正面から考えることにした。毒を食らわば皿までの気分で、i-podに入ったままの原書のオーディオブックもスイッチオン。

 本のタイトルにもなっている古書は500年前に作られたユダヤ教の本ハガダー。それが貴重である所以は、500年前のものであるのもさることながら、ユダヤの戒律に反して、細密画が描かれているからだ。虐殺、焚書、弾圧、追放といったユダヤ教徒にふりかかった災難を、その本がどのようにして切り抜けたのか、なぜ細密画が描かれたのかという謎が、時代をさかのぼり、最後には明らかになるというお話。第二次世界大戦中のサラエボ、19世紀末のウィーン、1600年代初頭のヴェネチア、500年前のスペインと、各地を転々としながら過去へとさかのぼっていく物語は圧巻だ。原書を読んだときにも、それぞれの時代に生きた人の姿が鮮やかに思い浮かんだ。訳しているときも、頭のなかに次々と登場する光景、場面、人物を必死に文章にしていく、そんな感覚を抱いた。もちろん、歴史的背景や舞台となっている国については、一から調べなければならなかったけれど。

 訳しにくかったのはむしろ現代の場面だった。現代の主人公である古書の保存修復家ハンナは、ハーバード大学出の才媛で、性格は頑固でやや陰性、優秀な外科医である母親と反目しあっている。要するに、三十路を過ぎてもティーンエイジャーじみた反発心を抱く、鼻持ちならない女と言えなくもない。訳しながらも、「ハンナって性格悪い」と感じることもままあった。けれど、翻訳作業の数カ月間、主人公とじっくりつきあっていると、いいところだってちゃんとあると思えてくる。ならば、私はハンナのどこがいいと思ったのか……。

 電車の中でそんなことを考えていたちょうどそのとき、聞いていた原書のオーディオブックから、“I love my work”ということばが流れてきた。ハンナが自身の仕事への思いを語っている場面。そう、これだ! と思いだした。私はハンナの仕事にかける情熱に強く共感したのだった。そこはしっかり訳したつもりだが、果たして読者の心に届いただろうか……。

 そんな思いを抱きながら、大賞発表の会場に到着したものの、宙に浮いているような感覚は相変わらずで、開票がはじまっても、得票数を示すポーの生首が並んでいくさまを、呆然と見つめているしかなかった。

 数日が経って、これを書いているいま、じわじわと喜びがこみあげている。『古書の来歴』に登場するハガダーと運命に翻弄された人々との関わり方とは比べものにならないけれど、愛すべき一冊の本と関われたことは私にとって一生の宝だとあらためて感じている。

 最後になってしまったけれど、翻訳ミステリー大賞を運営されている翻訳シンジケート事務局のみなさまにお礼を申しあげます。日本が想像を絶する大震災に見舞われて、企画していた授賞式とイベントを中止せざるをえなかったのに、代替となる式典をごく短期間で準備して、実現してくださったこと、ほんとうに頭が下がります。

 ひよっこ訳者とすばらしい本を引き合わせてくださった編集者の染田屋茂氏をはじめ、拙訳書を温かい目で見てくださった翻訳家の方々にも心から感謝します。

 そして何よりも、この本を読んでくださったすべての方に最大の感謝。ありがとうございました!

■受賞御礼 (染田屋茂)■

 第2回翻訳ミステリー大賞をいただき、望外の喜びです。正直なところ、純粋なミステリーではないこと、また候補作のなかで唯一の定価が2000円を超えるハードカバーであることなどマイナス要因があったために受賞できるとは予想しておりませんでした。この作品を強く押してくださった方々には、深く感謝いたします。

 おそらく、いただいた賞状とトロフィーを送ったら、著者のジェラルディン・ブルックスは戸惑うことでしょう。「私の小説がミステリー?」と言われるかもしれません。事実、本書以外の著者の小説はほとんどミステリー的要素のないものです。

とはいえ、『若草物語』を下敷きにしたピューリッツァー賞受賞作『マーチ家の父』(小社刊)を例にとれば、原典にほとんど出てこない四姉妹の父親は果たして何をしていたのだろうという疑問をもとに、緻密な論理性と豊かな想像力で一篇の作品に仕立てあげたものです。魅力的な謎の提出、豊かな想像力と巧みなストーリーテリングによる展開、読者を納得させる論理性——良質なミステリーの必須要素は、もしかしたら多くの良質な非ミステリー小説と重なるものなのかもしれません。

 開票&受賞式の第2部で行われた対談のなかで法月綸太郎さんがおっしゃっていたように、いまジャンル小説は曲がり角にあると思います。ジャンルという枠があれば、そのなかで切磋琢磨して高度な作品が生まれる利点がありますが、逆に枠に安住し、ついてきてくれる読者にもたれかかった作品が出てくる危険があります。翻訳ミステリーの不振も、一つにはそのあたりが原因かもしれません。英米以外の国のミステリー作家が新鮮で元気に思えるのは、ジャンルの枠を踏み越える勇気と志の高さが感じられるからとも言えるでしょう。

 今回の受賞で、良い作品は必ず良い評価が得られる、という思いが実証され意を強くしました。今後はさらに勇気をもって粘り強く、ジャンルの枠にとらわれない良質なミステリー、面白い小説を選んで、森嶋さんのような優れた翻訳で出版していきたいと思っております。引き続き、お力添えとご鞭撻をお願いいたします。

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【賞状、トロフィー、副賞を手にする森嶋マリさん(右)と染田屋茂さん】