紳士淑女のみなさま、いつも東京創元社刊行物をご愛読たまわり、誠にありがとうございます。このサイトで「冒険小説にはラムネがよく似合う」を執筆しております、東京創元社翻訳ミステリ担当のSと申します。今回は8月10日発売のリンジー・フェイ『ゴッサムの神々——ニューヨーク最初の警官』について、担当編集者としてご紹介したいと思います。
さて。誰しもフィクションのキャラクターに対して、いわゆる「萌え」を感じる設定があると思います。え、ない? ありますよね? 私はあるんですが、いまいち人の理解を得られない萌え要素なんですよー。というのも、「コンプレックス持ちハイスペック男子」という、需要も供給もなさそうなものなのです。ああ、これが「眼鏡萌え」とかだったら、もっと生きるのが楽だったろうに……! しかし神は我を見捨てなかった! 眼鏡男子と違ってそこらじゅうにいるわけではない、「コンプレックス持ちハイスペック男子」に、まさか己の担当書籍で出会えるとは……! 本書の主人公、ティムがまさに「コンプレックス持ちハイスペック男子」なのです。
物語の舞台は1845年のニューヨーク。映画『ギャング・オブ・ニューヨーク』とほぼ同じ時代だと考えてください。主人公のティムはバーテンダーとして地道に金を貯めていました。バーテンダーをやることによってつちかわれた彼の特技は、人間観察。人々の服装やささいな仕草から、彼らの素性や、嘘などをたちどころに見抜いてしまうのです。実は著者のリンジー・フェイは、シャーロッキアン(熱烈なシャーロック・ホームズ愛好家)で、ティムの人物造形にはホームズの影響があります。
ティムは、街を焼き尽くす大火事によって、顔にやけどを負ってしまいます。そして財産も仕事もなくし、できたばかりのニューヨーク市警察の警官になります。本人は稼げるバーテンダーでなくなったことや、顔のやけど、自分がすこしばかり小柄なことを気にしていたります。鋭い観察眼を持っているだけではなく、美男子で頭が良くて紳士で、腕っ節も強い。誰しも認めるハイスペック男子なのに、どうしようもないコンプレックスを抱いている——自分でも理由がよくわからないのですが、そういう人物に弱いのです(真顔)。ため込んだお金がなくなったことで、結婚を考えるほど好きな女性にプロポーズできなくなっちゃったり、自分よりあらゆる意味で自分より“上”な兄貴(こちらも男前)に勝てないと気にしていたり……。いわゆる「ギャップ萌え」の一種だと思うのですが、我ながらろくでもない趣味だなぁ、と自覚はしております。
えーと、ひとりで騒いでいてすみません。でも別に、キャラクターがいいだけの小説ではないのです! 本書の最大の魅力は、歴史ミステリとしての“臨・場・感”です! これ、ほんとうにすごいです。ほとんど馴染みがない時代設定(ニューヨーク市警創設期を舞台にしたミステリというのは、ありそうでなかったと思います)にもかかわらず、まるでその場にいるような気分を味わうことができます。映像が目にうかんでくるだけでなく、においや音までが伝わってくるような……。本書を読み始めたら最後、その世界に没入し、しばらく戻ってこれなくなることうけあいです。翻訳された野口百合子先生のすばらしい文章の力もあって、非常に読みやすいのに、当時の社会背景——カトリックとプロテスタントの宗教対立や、押し寄せるアイルランド系移民の迫害などがきっちり盛り込まれており、読みごたえのある作品に仕上がっています。
そのような臨場感あふれる小説を生み出すことができたのは、ひとえに著者の努力あってのこと。「webミステリーズ!」に掲載しております著者インタビュー、「“傑作”はこのようにして創造される。マイクル・コナリーが著者リンジー・フェイに訊く『ゴッサムの神々——ニューヨーク最初の警官』のつくりかた」では、リンジーさんが当時の社会の雰囲気を掴むために、1845年一年分の新聞〈ニューヨーク・ヘラルド〉誌を全部読んだことなどが語られています。ミステリに興味のある方、作家志望の方は必読ではないでしょうか。
また、謎解きミステリとしての出来もすばらしく、かなり細かい伏線が張られています。血まみれの少女との出会い、そして胴体を十字に切り裂かれた少年の死体の発見……。それらがしだいに街を震撼させる大事件へと発展していってしまうなかで、ティムは警官として、何を為すのか。ミステリ史に刻まれるべき傑作、そして新たなる名探偵の誕生を描く本書をぜひともお見逃しなく!!!