アラン・ロブ=グリエの作品を読むと、ついつい解説に目を通してしまいたくなる。読みながら。だって、よくわからなくて心が折れそうになるんだもん。

 そして解説を読むと、「あ、私はいますごく難しいものを読んでいたのだな」と納得することになる。どの解説も「ロブ=グリエさんはすごいんだってばよう!」と必死で伝えようとしてくるからである。

 たとえば講談社文芸文庫の『迷路のなかで』の訳者・平岡篤頼による「解説」。平岡は多数のロブ=グリエ作品を訳しており、もっとも信頼できる読み手の一人である(と、思う)。

 訳してみてわかったことは、そのどちらも(注:前段で出てくる肯定派・否定派の読解)この作品をざっと一回だけ読み、あわてて辻褄合わせをしているだけだということである。繰り返してじっくり読んでみると、ロブ=グリエの文章が織り上げているこの小説の原質とでもいうべきものは、そうした辻褄合わせをわざと誘いながら、実はそれを根本的に覆すようなきわめて遊戯的なものだということがわかる。遊戯というと、語弊があるかもしれないが、細部についていうと、それは演技的であり、全体の構成についていうと、音楽的である。どちらもが排除するのは、なにかすでに存在する実体なり事件なりを描くという観念である。(後略)

 これを読んだときはやはり少しがっかりした。なぜかというと確かに私はそのとき『迷路のなかで』という作品を「ざっと一回だけ読み、あわてて辻褄合わせをしているだけ」の読み方しかできていなかったように思ったからだ。うわっ、ロブ=グリエさんに「辻褄合わせをわざと誘」われちゃったよ!

 小説の中には意味の体系みたいなものが整然と並べられていて、読者の便宜を図ってくれるものが多くある。いわゆるエンターテインメントでそれをしてくれなかったら、作者に対して怒りだす読者も出るかもしれない。小説全体の象徴として何かが置かれたり、隠喩に用いて行間を読ませようとしたりする手法が成立するのも、その意味の体系を読み解くことが読書行為の本質だ、という期待があるからだ。ロブ=グリエはそういう期待を裏切る作家なんですよ、たぶん。

 こんな風に書いていると、ロブ=グリエ作品への敷居を高くしようとしていると思われそうだ。いや、そんなことはないんです。ロブ=グリエを読むのはすこぶるおもしろい体験だと私は思う。そのおもしろさの質を伝え切れなくてもどかしい思いをしているわけである。うーん、と思って探してみたら、『快楽の館』の訳者・若林真の解説に行き当たった。長い引用になってしまうのだが、お許し願いたい。

(前略)『快楽の館』はじつに楽しい小説なのだ。きらびやかなイメージの目まぐるしい転換、流れるような文章のリズム(中略)は、われわれを堪能させるに十分である。この小説を難解と思われる方は、いわゆる辻褄の合った伝統的小説——一つの事件には一つの解釈しか許されず、一人の人物はかならず同一の名前を持ち、いささかのまぎらわしさもないような小説——だけが小説だと思いこんでいらっしゃる方だろう。もしこれが一篇の夢物語だとすれば、深夜われわれの脳髄に訪れる夢が辻褄が合わないのと同じように辻褄が合わないにしても、べつだん異とするにたりないはずである。

 なるほど! 若林解説はまた同作には多様な作品解釈が可能であって、どんな読み方をしてもいっこうにさしつかえない、ということを強調している。そうか、そんな風にいろいろな読み方ができる作品を書くのだとしたら、アラン・ロブ=グリエってすごく読書会向きじゃないの?

 いささか前置きが長くなったが、そういうわけで今回の「読んでから来い」読書会の課題作はアラン・ロブ=グリエ『消しゴム』(光文社古典新訳文庫)なのである。この作品が発表されたのは1953年、なんと60年も昔のことだ。日本では中村真一郎によって1959年に翻訳されている。そのときは純文学としての評価だけではなく、「前衛的な推理小説」としても読書家の注目を集めた。なぜならば本書は、殺人事件を巡る話だからである。ある人物が自宅で狙撃され、病院に搬送された後に死亡した。しかし、その死体はなぜか政府機関によって運び去られたのである。そこにヴァラスという名の捜査官がやってきて、事件の捜査を開始する。

 物語の主役と言って差し支えないのはこのヴァラスという人物である。しかし、ヴァラスが物語を支配しているのかといえば、それはまったく違う。彼は証言を求めて街をうろうろと歩き回り、時折文具店を訪れては高級品の、柔らかな消しゴムを探しているだけなのである。ひとびとの営為・努力とはまった組む関係に小説の中の時間は動いていき、やがて不可避の結末を迎える。

 今回の翻訳者は中条省平である。一読してみて驚いた。大昔にあれだけ苦労して読んだ文章が、すらすらと頭に入ってくる。昔の自分がバカだったということもあるのだろうが、これは翻訳の力が大きいように思う。本書のロブ=グリエはカメラアイを多用し、舞台となる運河の街の上を動き回る登場人物たちを、まるでモノポリー盤を上から眺めるかのような視点で描き出している。おそらくは視覚イメージを読者の印象に刻みこもうとしたのだろうが、その試みは完全に成功している(ように見える)。自分の例で恐縮だが、これは史上最高のロブ=グリエ読書体験だった。おもしろいです。この小説は。

 だが、やはりこの小説はひとつの解釈、一人の読みだけで汲み尽くせるようなものではないと思うのである。たぶん読書会参加者が3人いたら3つ、10人いたら10の解釈が出てくるだろうと思う。100人いたら100通りだ。そんなに会場には入れません。

 なのでぜひ、本を読んで、自分なりの『消しゴム』観をメモしてきてもらいたい。あなたが書いてくれば他の人も書いてきて、それを付き合わせると何かが見えてくるはずだから。この「杉江松恋の読んでから来い」という読書会のルールはひとつだけ。A4用紙1枚分のレジュメを参加者ひとりひとりが書いてくるということである。もちろん書かなくても来ていただいてまったく問題ないのだけど、500円だけ参加費用を余計に頂戴することになる。全員ががんばって、読みながらいろいろ考えて、知恵を出し合いましょうという読書会なのですね。レジュメは文字がそんなたくさん無くてもいい。メモでかまわないし、図示したっていいし、なんならイラスト入りでもいいし、イラストだけだってかまわない。とにかく自分はこういう風に読みました、ということだけ伝えていただければそれでいいのである。

 夏の終りの1日、よかったらみんなで本の話で盛り上がりましょう。なんならそこで話し合ったことを元に読書感想文の宿題を書いてくれてもいいのよ(ロブ=グリエで感想文を書かれたら、国語の先生もびっくりするだろうなあ)。

日時:8/31(土)17:00開始(16:30開場)

場所:荻窪ベルベットサン(荻窪駅南口を出て目の前の線路に沿った道を新宿方面へ徒歩約8分)

地図はこちら→http://www.velvetsun.jp/about.html

課題本:『消しゴム』アラン・ロブ=グリエ著、中条省平訳(光文社古典新訳文庫)

料金:レジュメあり参加の方→500円+1ドリンク、なし参加の方1,000円+1ドリンク

ご予約方法:以下のURLよりご予約ください。

      http://www.velvetsun.jp/schedule.html#8_31