翻訳家の村上博基氏が、4月30日(土)長野県で逝去されました。享年80。葬儀は密葬にて執り行なわれました。村上さんは1936年3月24日生まれ、東京外国語大学ドイツ語科卒業後、映画字幕翻訳にたずさわったのちに英米文学翻訳家として長年第一線で活躍されつづけました。

 ゆうに百冊を越える数多い訳書のなかには、ジョン・ル・カレの『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ〔新訳版〕』にはじまる〈スマイリー三部作〉やアリステア・マクリーン『女王陛下のユリシーズ号』、ウィリアム・アイリッシュ『夜は千の眼を持つ』、C・W・ニコル『勇魚』などがあり、また近年ではオレン・スタインハウアー『ツーリスト 沈みゆく帝国のスパイ』のような新時代のスパイ小説を手がけるかたわら、ロバート・ルイス・スティーヴンスン『宝島』『ジーキル博士とハイド氏』の新訳も上梓されました。

 ここに故人のご冥福をお祈りし、当サイト愛読者の方々に謹んでお知らせ申し上げます。

(事務局)  

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(村上さんの数多い訳書のごく一部/写真:事務局)

村上博基さんのこと(文藝春秋 永嶋俊一郎)

 村上博基さん逝去の報は非常なショックでした。ほんのひと月ほど前の小鷹信光さんを偲ぶ会でお会いしいたときにはいつもどおりお元気そうで、ちかぢか東京創元社からJ・G・バラードの『ハイ−ライズ』が復刊されるお話などをさせていただいたばかりでしたから……。

 僕は村上博基さんとお仕事をしたのは、まだ駆け出しの翻訳書編集者だった20代の終わり、C・W・ニコルさんの『勇魚』サーガの2作目『盟約』が最初でした。もう20年ほど前になりますが、村上さんは当時も今も洒脱な方で、僕のような小僧にも同じ目線で接してくれました。仕事をさせていただいたのはそれが最初でしたが、氏の訳文に触れたのは中学2年生の頃でした。僕を海外エンタテインメントの世界に引きずり込んだ一握りの傑作のひとつ、アリステア・マクリーンの『女王陛下のユリシーズ号』です。だから当然、はじめてお目にかかったときには『ユリシーズ号』のことを氏に熱く語ったものでした。

 一緒にお仕事をさせていただきながら、編集者として氏の訳文を原文と対照しながら精読していくうちに、氏の訳文における日本語の凛とした美しさを再発見することになりました。『盟約』は、いわばC・W・ニコル版『坂の上の雲』のような作品で、あの時代の(ニコルさんらしくいくぶん破天荒な)海軍の青年・三郎が主人公です。三郎の台詞や内的独白などを綴る日本語の、古風さと洒脱さを絶妙にブレンドした日本語とそのリズムの見事さに舌を巻いたのです。あれは小手先の技巧で生まれるものではなくて、もっと日本語本来のリズムに由来して、それを咀嚼したうえで出てくるグルーヴの身体性みたいなものを感じました。

 ときどき、氏と本の話をすることもありました。氏がいつも言っていたのは、ふだんは日本の作家しか読まないということでした。それは近代文学とかそういうクラシカルなものではなくて、よく名前が挙がったのが北方謙三さんや志水辰夫さんで、ほかにも——『女王陛下のユリシーズ号』が起爆剤となった——いわゆる「冒険小説」の作家たちをよくお読みだったと記憶しています。それは単なる趣味ではなく、そういった現在活動中の日本のエンタテインメント小説の文体を訳文に反映すべくご自身のなかに蓄積していたようです。

 そんな「日本の小説から養分を吸った訳文」として、やはり村上博基翻訳の代表作と言えるのは『勇魚』でしょう。海外作家が日本を舞台にして、日本人ばかりを登場させた小説の日本語訳というのはなかなか厄介なものです。ましてそれが歴史小説/時代小説の分野に属するものであるとなおさらです。『勇魚』をすこしひもといていただけば、「日本の時代小説」の語りが心地よくうねっていることがおわかりになると思います。村上博基氏が、この小説の訳文づくりにあたって参照したのは、柴田錬三郎なのだそうです。これを聞いたときには「なるほど!」と膝を打ったものです。軽快な娯楽性と凛とした緊迫感をたたえたシバレン時代小説の文体が『勇魚』の語りの根底にあるものだったのです。

 いくらか飛び道具気味ですが、個人的に好きな村上博基訳に、ミッキー・スピレインのマイク・ハマーもの『女体愛好クラブ』があります。開巻劈頭の献辞、「こいつは長らくお待ちかねの/ボブ・シファーに捧げる」という小気味よいアナウンスではじまって、

薄い夜霧を裂く悲鳴をきいて、車を歩道のふちにガクンととめた。この都会に悲鳴がめずらしいわけじゃないが、ニューヨークもこのあたり、どしどしとりこわされてあたらしいスカイラインを描いている地帯では、ちと場違いなのだ。三ブロックがとこは、ほとんど見るかげもなく解体されたビルと、瓦礫の山のほかになにもない。値のつくものは最後のひとかけらまでとうにはこび去られ、だれもほしがらないがらくただけが置きすてられている。

 そんな名調子で語り出されてゆく。マイク・ハマーものはもともと幾らか劇画的(という古い言葉がよく似合います)なところのある痛快パルプ小説ですから、これが実に気持ちよく合うのですね。この文体もシバレンなのだと氏に教えられました。もっと娯楽に振りきったときのシバレン文体ですね。たしかこれは『勇魚』の文体がシバレンである、という話をうかがったときに、氏が楽しげに「じつはこれも」という調子で話したことだったと思います。そういうときの氏の笑顔の魅力的だったこと! 多少の含羞と、一種の共犯意識みたいなものの混ざり合った、でもすこしも陰のない微笑み、とでもいえばいいでしょうか。これは氏の根底にある洒落っけに由来するものだったのでしょう。僕のなかで村上博基さんは「洒落者」のイメージが強くあります。パーティーなどで顔を合わせるときはいつも、ぱりっと決めておられるのでした。ざっくりしたツイードのジャケット——氏は細身なのでジャケットも細身——に暗めの緑のシャツと深い赤系のネクタイを合わせた姿が印象に残っています。退屈なワイシャツを着ていたところは見たことがありません。帽子もよくかぶっておられたのではなかったか。ご本人は「横山やすしみたいだなんて言われてね」などと楽しげに笑っておられましたが、ぱっと見に鮮烈で、でもそれがきっちり様になっている老紳士はなかなかいないものです。

 いま気づいたことですが、そういえば自分は、村上博基さんのことを「先生」という二人称で呼んでいました。オレン・スタインハウアー『極限捜査』などでお仕事ができて幸いでした。村上先生のご冥福をお祈りします。追悼に『女王陛下のユリシーズ号』を読もうかなといま思っています。武骨さと歯切れのよさとグルーヴをかねそなえた日本語で綴られる、カポック・キッドの「台なしにしてくれたな」、扉を閉めるピーターセンの大きな影、副長ターナーの放送、ラルストンの雷撃など思い出しただけでもう泣きそうだ。

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