私がかつてJUNE洋書ガイドで細々とゲイ小説(時々レズビアン小説も)紹介していた1980~1990年代に比べると、いまやゲイ・ミステリひとつとってもスタンダードなゲイ探偵からM/Mやブロマンスまでジャンルが細分化し、一方最近のCWAやMWAとりわけノンフィクション部門ではほとんど毎回といっていいほどLBGTQ+関連の作品がノミネートされるようになりました。そうした動きをふまえて、日本ではまだ紹介されていない作品を私なりにある程度筋道をたてて紹介してみたいなと思っていたところ、幸いにもスペースを戴けることになりましたので、不定期ではありますが、〈拡大版 わが愛しのゲイ・ミステリ〉をどうぞよろしく!



 というわけで記念すべき第一回は待ちに待ったマイケル・ナーヴァの18年ぶりの新作 Carved in Bone です。デビュー作『このささやかな眠り』(86)からヘンリー・リオスを主人公とするシリーズを七作発表し、Rags and Bones(01)を最後に弁護士としての本業に専念するためにいったん作家業をしりぞいていましたが、2016年に新作Lay Your Sleeping Headで復帰、こちらは『このささやかな眠り』の全面的な改訂版であり、作者本人による長文のあとがき(電子書籍のみ)には、自身の生い立ちや、法曹界におけるゲイの立場、デビュー作品が刊行されるまでの紆余曲折などが語られています(なかでもジョゼフ・ハンセンとの交流が泣かせる!)。そして2019年、ついに18年のブランクを経て待望の新作が発表されました。それが今回ご紹介する Carved in Bone です。
 時系列的には第一作の『このささやかな眠り』(86)と第二作『ゴールデンボーイ』(88)の間に位置するこの物語の舞台は、レーガン政権下のアメリカで、エイズがまだゲイだけの“死病”とされ、恐れられていた時代です。ここでナーヴァが試みたのはひとつの時代を「再構築」し、あの時代に多くのゲイたちが通ってきた道を目撃者=当事者として記録することでした。

『このささやかな眠り』で出会った美しい億万長者のヒュー・パリスを失い、事件を解決したものの再びアルコールに溺れ、リハビリ中のヘンリーは、同じAA仲間の弁護士ラリー・ロスから保険会社の調査員(ジョゼフ・ハンセンへのリスペクトでしょうか?)のアルバイトを持ちかけられます。ゲイの不動産業者であるビル・ライアンがガス事故で就寝中に亡くなり、行方不明になっている保険金受取人である、ルームメイトのニックの行方を探し出してほしいというのが保険会社の依頼でした。ニックは救急車でビルにつきそっていましたが彼の死後忽然と姿を消したまま、ずっと行方不明になっていたのです。大企業のお先棒をかつぐことを最初はためらっていたヘンリーですが、ビルとニックの家主の老婦人が語るふたりの愛のかたちや、彼らをめぐる友人たちに聞き込みを進めるにつれて、ビルの歩んできた人生に深く引き込まれていきます。
 まだ「ゲイ」という言葉すらろくに知られていなかった1970年代に偏狭な田舎町からひとりサンフランシスコにやってきた少年が、成長して社会的成功と、若く美しい恋人を手に入れ、人生の頂点にありながらなぜ不慮の事故死を遂げることになったのか? はたしてビルの死因は単なる事故によるガス中毒死だったのか? かくして1970年代のビル・ライアンの物語と、1980年代のヘンリー・リオスの物語が並行して語られていくうちに、自由を求めての苦闘からエイズ禍へとひとつの時代を生き抜こうとしたひとりの男の半生が明らかになっていきます。

 1971年、ミシガン州の片田舎に住む18歳の少年ビルは、片思いしていた男の子(ヘテロセクシュアル)との行為の最中を父親に見つかり、家族と故郷から追放されるようにしてサンフランシスコにやってきます。初めて「ゲイ」という言葉を知り、大都会でめくるめく自由を手に入れ、愛し、生きていくことを覚えていくビル。しかし、どれだけゲイとしての自由を謳歌しようと、社会的に成功しようと、家族と故郷から追放された心の傷はずっとつきまとい、孤独は一生ついてまわりました。やがてビルは自分にとって失われたすべてを象徴する「家(ホーム)」を作り出すことに情熱を注ぎこむようになります。そしてついにその「家」にふさわしいニック・トレホという年下の青年に出会うのですが……。

 とにかく登場人物ひとりひとりの描写がすばらしい! ビルはもとより、サンフランシスコでゲイ・ワールドへの水先案内人になってくれたオネエのワルド―。男同士のセックスの歓びを教えてくれたピート。ビルやゲイの仲間たちを受け入れてくれた家主のミセス・ドナヒュー。次々にエイズに斃れていく友人たちを見送る仲間たちの哀しみと怒り。ゲイもヘテロも問わず教会で死者たちのために途切れぬ祈りを捧げる人々。そんな時代にビルがすがりつこうとした唯一の光であったニック。そのニックを護ろうとする家族たち。彼らの喜びや痛みがまるでその場にいるかのようにひしひしと伝わってきます。アルコール依存症の痛手から回復したてのヘンリー自身もまだまだ不安定で、この物語ではヘテロの中国系アメリカ人男性に恋してしまうヘンリーの煩悶も同時に描かれていますが、それを通じてアメリカにおける中国人移民の問題にも鋭く切り込んでいます。
 精神的にも肉体的にもお先真っ暗な状態で、ともすれば酒瓶に手を伸ばしてしまいそうになるのを救ってくれたのはまたしても盟友のラリー・ロスでした。ラリーはその感情を法律上の問題と同じように頭で考えて解決しようとするから苦しいのだ、感情は「感じる」ものであり「解放する」ものなのだと教えます。加えて自分がHIV陽性ではないかと怯えるヘンリーに、見えない恐怖にいつまでも怯えているのはやめて、現実と直面し、それと戦えと忠告します。皮肉なことにラリーは物語の最後でHIV陽性であることが判明するのですが、あ然とするヘンリーに「きみはもうアルコールを断ち、HIV陰性だとわかった。きみは人生で第二のチャンスを与えられたのだ」と祝福するのです(なんていいやつなんだ!ラリー)。この作品の最後で、ヘンリーは傷だらけの自分自身を引き受け、自分か自身から逃れるのではなく、自分自身を捕えにいこう」と宣言します。多くのものを失い、負け続けながらも、決してあきらめようとしないヘンリー・リオスの長い戦いはここから始まるのです。
 これまでは作者とほぼ同時に年をとってきた主人公ヘンリー・リオスも、おそらく現時点ではもう六十を超えているはず。トランプ政権下のアメリカでヘンリーが何を思うかをぜひ知りたいところです。

柿沼 瑛子(かきぬま えいこ)
  翻訳家。主訳書にローズ・ピアシー『わが愛しのホームズ』(新書館)、パトリシア・ハイスミス『キャロル』(河出書房新社)、アン・ライス『ヴァンパイア・クロニクルズ』(扶桑社)。共編書に『耽美小説・ゲイ文学ガイドブック』(白夜書房)。元山歩きインストラクター。ロス・マク&マーガレット・ミラー命。埼玉読書会世話人その② 腐萌え読書会影の黒幕。@sinjukueiko




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