前回の〈わが愛しのゲイ・ミステリ・ベスト5〉が思わぬご好評をいただいて、またしても調子に乗って出てきてしまいました。パート1ではどちらかといえば「お手本」となるべきゲイ・ミステリのスタンダードという基準で作品を選びましたが、今回はむしろわたしの好みが入っているといいますか、ゲイをテーマに含んだ広義の意味でのゲイ・ミステリとなっております。残念ながら今回もほとんど品切れ絶版状態のものばかりですが、「ライヘンバッハ・ショック」(笑)を引きずっているみなさんに、ひとときの慰めになれば幸いです。なお作品の並びは順不動です。

『長い夜の果てに』バーバラ・ヴァイン

 バーバラ・ヴァインがルース・レンデルの別名だということは、みなさんご存じだと思いますが、 レンデル名義と比べてヴァイン名義の作品はミステリの枠は残しながらも、より自由というか、普通文学に近いというか……それに比例してなぜか〇〇テーマが増えていくような気が(笑)。

 男にも女にもモテモテな美青年だというのに、なぜか今は海岸の家に世捨て人のごとく住まうティムのもとに届く匿名の怪文書。そしてティムの前にあらわれるかつての恋人イヴォーの亡霊。物語はティムの現在と過去を交互に織り交ぜながら進んでいきます。ティムは古生物学者イヴォーに出会い、ひと目で恋に落ちますが、相思相愛になると今度は相手の存在がうとましくなっていきます。そんなところに運命の女性イザベルがあらわれ、二人の亀裂は決定的なものになり、ついにティムはある犯罪を犯すことになるのですが……。どんどん心が離れていくティムと、その心を知りながらも執着を強めずにはいられないイヴォーとの、真綿でじわじわと喉を締めつけていくような神経戦がたまりません。

 この手の年長のインテリ男を生殺しにする主人公(ティム)ってどこかで読んだことがあるぞと思ったら『孤島の鬼』(江戸川乱歩)の蓑浦だ! 『孤島』の諸戸に比べるとイヴォーはもっと精神的にはSに近いけれど、同じなのはどちらも「先に愛したほうが敗者」だということです。そしてこの物語のもうひとつの主人公ともいえるのが、ティムの「現在」を象徴する心象風景ともいえる荒涼たる海岸の描写。とりわけ冒頭の一頁たるや鳥肌ものです。この作品はBBCでドラマ化されているんですよねえ。ぜひ一度見たいものです。

『長い夜の果てに』が気に入られた方は同じヴァインの『煙突掃除の少年』もおススメ。さらにこちらは女性同士の愛だけど『階段の家』も超おススメです(個人的にはヴァイン作品の中で一番好きかも)。

『ゴールデンボーイ』マイケル・ナーヴァ

 ゲイ・ブームとやらに乗って、いろいろと探してきた本を翻訳紹介させてもらいましたが、そのなかでも心底から翻訳者冥利につきると思った仕事が、ジョゼフ・ハンセン『アラン 真夜中の少年』とこのヘンリー・リオス・シリーズです。前回ご紹介したハンセンのブランドステッター・シリーズの成功で、M・R・ズブロ、リチャード・スティーヴンソン、ネイサン・アルダインといったフォロワーが続々生まれたけれど、ミステリとしてのクオリティ、作家としての力量はやはりナーヴァが断トツだったと思います。なぜ「だった」なのかというと、ナーヴァは現役の弁護士から検事に転身するために作家活動をやめてしまったからです。残念!

『このささやかな眠り』でデビューした探偵役のヘンリー・リオスは、ゲイでありヒスパニックであるという二重のマイノリティを背負った主人公。エイズに冒された旧友のたつての頼みで、ゲイであることを暴露すると脅した同僚を殺した少年弁護を引き受けることになります。自分のセクシュアリティを否定するあまり、孤立無援におちいっていく少年。そんな少年を利用して政治的駆け引きをもくろむ裕福なゲイ、事件を利用してひともうけしようとするハリウッドの奇々怪々な人々。第一作『このささやかな眠り』が失われた恋人への静かなる祈りであったとすれば、続く『ゴールデンボーイ』はむしろもっと熱い、人間の尊厳を踏みにじるものすべて——差別、無理解、エイズに対するふつふつとした怒りを感じさせます。どれだけ負け続け、失い続けようと決して諦めないイオスの姿勢は、どんな逆境にあっても矯めることのできない人間のポテンシャルというものを信じさせてくれます。できれば最後の七作めまで訳したかったのですが、最初の四作だけでも出すことができたのはとラッキーというべきか……。

『首吊りクロゼット』トニー・フェンリー

 前回のゲイ・ミステリ・ベスト5で、どうしてこれを取り上げなかったのかというお声を一番多くいただいたのが、意外にもこの作家でした(笑)。とても原題のまま訳せないお下品な原題の第一作『おかしな奴が多すぎる』もいいのですが、わたしはむしろ二作めの『首吊りクロゼット』が好みです。というのもこの作品にはニューオリンズの描写がたっぷり出てくるんですね。

 主人公マットはニューオリンズ旧家の出身、インテリアショップを営む誇り高きゲイですが、母親の不動産の処分をめぐって不動産業者と対立、その不動産業者がよりにもよって、下半身むきだしの首吊り死体となって発見されたからさあ大変。生前被害者と言い争っていたところを目撃されていたマットは、持病のてんかんの発作で肝心な部分の記憶がない。というわけで気を失うまでの道筋をたどり、ニューオリンズの通りを巡り歩くのですが、あの街の持つ異国情緒と優雅さと猥雑さが混然一体となった、独特の雰囲気が実によく出ています。フランスの血を引く名家のお坊ちゃまで元検察官でありながら、今はインテリアショップを営み、年下の恋人にふりまわされ、幼なじみの女性に結婚を迫られる(笑)マット・シンクレアは、実にニューオリンズという街にぴったりなキャラクターだったなと思います。

 おりしもこの作品が発表された80年代後半はエイズが猖獗を極め、おちゃらけと悪ふざけの下に、そこはかとなく流れている「滅び」の感覚といいますか、「歓楽極まりて哀感多し」などという漢詩を連想させる無常感が、コミカルなお下劣さと見事な対比をなしています。

『ある奇妙な死』ジョージ・バクスト

  『ある奇妙な死』

  ジョージ・バクスト

  乾信一郎訳

  早川書房(ポケットミステリ1102)

  1970年2月刊 (amazon.co.jp未登録商品)

 こちらもトニー・フェンリーに並んで、どうしてこれを取り上げなかったのかという声が多かった作品です。というのも1967年に発表されたこの『ある奇妙な死』はゲイ・ミステリの嚆矢ともいわれる記念碑的名作だからです。モデル兼俳優(実は男娼)のベン・ベントリーが不審な事故死を遂げ、「いまその美しい顔には死化粧が施されていたが、悪の花はなお、そのすえた臭いで生前関係のあった男女をひきつけている」(裏表紙紹介文より)。事件を担当するのは赤いジャガーに乗った洒落者の黒人刑事ファロウ・ラブ。黒人でゲイというハンディを乗り越えたこの敏腕刑事は、あろうことか容疑者の一人である作家のセスに恋をしてしまうのです。

 容疑者に恋してしまう探偵というシチュエーションは「赤毛のレドメイン」をはじめとしてよく見られる古典的パターンですが、この「探偵の恋が肯定的に描かれている」ということが(必ずしもハッピーになるわけではない)それ以降のゲイ・ミステリにとって非常に重要な「お約束」になっていきます。そうした意味においてもまさにこの作品は嚆矢といっていいでしょう。

 ギリギリねたばれを許してもらえれば、この作品は三部作の第一作であり(残る二作は未訳)、ファロウはこの事件にかかわったばかりに、警察を辞めざるを得なくなり、彼自身も破滅への道をたどることになります。ジョゼフ・ハンセンはこの結末に納得がいかなかったことが、ブランドステッター・シリーズを生み出すきっかけになったとあるインタビューで答えていますが、そう意味においても、まさしくゲイ・ミステリの「原点」的作品でもあります。ちなみにファロウ・ラブは1990年代に突然劇的な復活をはたし、さらにシリーズ二作が上梓されています。

『かくてアドニスは殺された』サラ・コードウェル

 今回このベスト5に選ぶべきかどうか一番悩んだのがこの作品でした。というのはゲイが隠れテーマだと紹介すること自体がネタばれになってしまうケースが、ミステリには結構あるのですね。それでもケイト・チャールズ『災いを秘めた酒』デイヴィッド・ハント『魔術師の物語』を抑えて、どうしてもこれが紹介したくて選ばせてもらいました。

『かくてアドニスは殺された』が日本で翻訳されたのは1981年で、その当時といえばボーイズラブなど影も形もなく、その手の情報は唯一JUNE文学ガイドから仕入れるしかないような暗黒時代でした。それがミステリならたとえネタばれになろうと、みなこぞって情報を紹介し、紹介された側も必死にその本を探し、読みあさったものでした。この作品はいわばその時代のメモリアルでもあるのです。ま、一番の理由はわたしがサラ・コードウェルの熱烈なファンだからなのですが(笑)。

 イタリアへのバカンスに出た若き女性弁護士はジュリアは、アドニスもかくやとばかりの美青年に一目ぼれ、猛烈なアプローチをかけるのですが、なんとその美青年を殺したかどで逮捕されてしまいます。旅先で受難にあった彼女を助けようとするオックスフォード大学のリンカーンズ・イン法曹院に集う若き弁護士たちと指導教授、などというといかにもお固そうですが、わたしは『動物のお医者さん』にあてはめて楽しく読んでいました(天然ボケのジュリアはさしずめ菱沼さん)。みんな頭のいい人たちなのに、佐々木倫子のキャラクターのごとくどこかトンチンカンで、それを締めるのがヒラリー・ティマー教授(性別不明というところがまた憎い)。ユーモアにあふれた会話や手紙のやりとりにくすくす笑っているうちに浮かびあがってくる、秘められた悲しい恋。もうすでに十分ネタばれしているような気もしますが、この先はぜひともご自分の目で読んで確かめてくださいませ。

柿沼 瑛子 (かきぬま えいこ)

1953年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部日本史学科卒業。主な訳書/アン・ライス『ヴァンパイア・クロニクル』シリーズ、エドマント・ホワイト『ある少年の物語』など。共編著に『耽美小説・ゲイ文学ブックガイド』『女性探偵たちの履歴書』など。最近はもっぱらロマンスもの多し。

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