「ゲイ・ミステリ」のベスト5というお題をいただいた時は、両手両足いっぺんに叩きたくなるほどうれしかったのですが、困ったことに気がつきました。私の大好きな英国女流ミステリ作家たちの『〇〇〇〇の〇〇』とか『〇〇〇〇〇〇〇は〇〇〇た』といった傑作がネタばれになってしまうのでほとんど紹介できない! そしてなんといっても悲しむべきはゲイ・ミステリのほとんどが現在品切れ状態だということですね。探偵役がゲイということで比較的最近話題になったものといえばファージング三部作でしょうが、あれは別にゲイ・ミステリというわけではないし。余談になりますが『英雄たちの朝』の献辞にあったミコール・サドバーグという名前がずっと気になって検索してみたら、なんとピーター・ウィムジーとバンターのご主人さまと執事モノの二次創作サイトというとんでもないものに行きついてしまいました。まさに腐女子に国境はなしですね。

 と、思いきり話がそれましたが、まずはゲイ・ミステリのお手本ともいうべき作品から紹介していくことにします。

『闇に消える』ジョゼフ・ハンセン

 今回唯一入手可能かつ、わたしをこの道(?)に引きずりこんだ張本人であるジョゼフ・ハンセンは、途中で翻訳がストップしてしまうことが多いゲイ探偵シリーズが多い中で、十二作すべてが刊行されたきわめてラッキーな例外ですが、やはりこの第一作が一番傑作だと思います。長年のパートナーを亡くして失意の底に沈む保険調査員デイヴ・ブランドステッターは、嵐の夜、濁流に呑まれて行方不明になった人気カントリーシンガー、フォックス・オルソンの事故調査に携わることになります。アメリカンドリームを地で行くようなオルソンの意外な過去と内面を知るにつれ、デイヴは職業の上でだけでなく、感情的にもいやおうなく巻きこまれていくことになるのですが…。ハンセンの一番の偉業はなんといってもそれまでデザイナーや美容師、もしくは犯罪者としての扱いしか受けてこなかったゲイに、ごく普通の社会生活を営む社会人としての人生を与えたことでしょう。

 実はブランドステッターもののどれかを訳すというのが翻訳家としてのわたしのひそやかなる夢でありましたが、残念ながらかなわず、それでも最終作『終焉の地』に解説を書かせていただいたのも今では懐かしい思い出です。

『夜の片隅で』ジョン・モーガン・ウィルソン

 ジョン・モーガン・ウィルスンの『夜の片隅で』は目配りのいい作品というか、音楽や映画のセレクトの趣味の良さに思わず「にやり」とさせられる逸品です。主人公のジャスティスもやはりパートナーを亡くし、さらにはピューリッツァー賞を獲得した記事が捏造したことがばれて職を追われるという暗い過去を背負っています。そんな彼を見かねた元上司が、資産家のゲイの青年が殺された事件の取材を依頼するところから物語は始まり、カリフォルニアを舞台にロス・マクばりの家族の悲劇、マスコミの裏側、同性愛者たちの悲しみや葛藤を通してひとりの男が再生していく過程が描かれています。この小説が優れているのはただの一人も無駄な人物というものが登場しないことでしょう。個人的には犯人の出し方がやや唐突と思えないこともないのですが、それを補ってあまりあるだけの魅力がこの小説にはあります。犯人と対峙する最後のシーンもとても美しく印象に残ります。全編にみなぎる悲しみと怒り、内に秘めた静謐な力はどことなくマイケル・ナーヴァ『ゴールデンボーイ』をほうふつさせるところがあります。

『真夜中の相棒』テリー・ホワイト

 今回ゲイ・ミステリというものを見直してみて、あらためてハードボイルドやノワールが多いことに今さらながら気がついた次第ですが、ノワールの傑作といえばなんといってもテリー・ホワイト『真夜中の相棒』でしょう。戦争神経症を病む天使のような殺し屋ジョニーとギャンブラー崩れのマック、ベトナム戦争を介して奇妙な友情で結ばれたふたりがどうしようもなく堕ちていく——息苦しいほどの緊張感でアウトサイダーたちの絆を描き出す作風は、アメリカ人よりもむしろフランス人に好まれるようで、この作品も『天使が隣に眠る夜』というタイトルで映画化されました(いまやフランスを代表する俳優・監督・脚本家となったマチュー・カソヴィッツの出世作)。わたし個人としては、むしろフィリップ・ノワレ演じる渋い老殺し屋と、あの巨体でしっぽを振る子犬にしか見えないクリストファー・ランバートの交情を描いた『危険な友情/マックス&ジェレミー』(小説のタイトルは『殺し屋マックスと向こう見ず野郎』)のほうがこの作者の持ち味には近かったような気がします。

 ホワイトの小説の最大の特徴は「追われる者」「追う者」がともにペアであるというところにあります。ふたつのペアが出会うまでの息詰まるような展開、そしてふたつのペアが衝突するラストのカタストロフまで読者は一気に引きずりこまれてしまいます。どの作品にも最後には必ず不思議な浄化にも似た余韻が残るのは、やはり作者が女性だからでしょうか。

『マンチェスター・フラッシュバック』ニコラス・ブリンコウ

 ノワールということならニコラス・ブリンコウ『マンチェスター・フラッシュバック』も忘れがたい余韻を残す佳作です。今はカジノのマネージャーとして羽振りをきかせるジェイクはかつてマンチェスターで男娼をしていた過去がありました。ある事件がもとでマンチェスターを出奔した彼の前に突然、当時の担当警官が姿をあらわし、男娼時代の仲間が殺されたので、一緒に戻って捜査に協力するように要請されます。彼が捨ててきた過去——それはデヴィッド・ボウイやイギー・ポップを神と崇め、メイクをしてハイヒールをはいた少年たちが闊歩していた一九八〇年代のマンチェスターでした。セックスとドラッグ、愛と裏切りにあけくれる少年たちの生きざまはちっともグラマラスではなく、その奢りと愚かしさゆえに自滅していくさまがひたすら痛々しい。あの時代にしか存在しないマンチェスターの空気がこの小説には確かに息づいているのです。この作品のテーマはたぶん作品中にも出てくるデヴィッド・ボウイの『ボーイズ・キープ・スウィンギング』だと思うのですが、わたしの頭の中ではやはりマンチェスター出身のモリッシーの『ピカデリー・パラーレ』がずっと響きわたっていました。

『わが愛しのホームズ』ロヘイズ・ピアシー

 実はこの作品とバーバラ・ヴァイン『長い夜の果てに』のどちらにするか最後まで悩んだのですが、恥ずかしながら拙訳書を選ばせていただきました。ホームズとワトソンをそのような邪まな関係にあてはめるなんぞ絶対に許さん!とおっしゃるむきもあるでしょうが、あのH・R・Fキーティング氏も「救い難い下衆の勘ぐりに身をついやして、ベーカー街二二一B番での二人の生活について、怪しげな邪推をしてみたくなるに違いない」と述べておられるように、ホームズのベールに包まれた愛情生活についてはこれまで実にさまざまな憶測がなされてきました。本作品は『四つの署名』で述べられている「セシル・フォレスター夫人の小さな内輪のもめごと」を下敷きに、ワトソンとメアリーの結婚、そしてホームズがラインバッハで失踪し、「空家の冒険」(『シャーロック・ホームズの帰還』所収)で再登場するまでの、いわば裏のストーリーともいうべきものです。報われない愛とビクトリア朝の社会倫理の板挟みに苦悩するワトソン、ホームズのワトソンに対する本当の感情——などというとまるでBL小説みたいですが、ふたりとも実に意固地なまでにストイックで人間的です。雑誌に連載当時はロンドン遊学中で、ホームズゆかりの場所をあちこち訪ね歩きながら訳した、個人的はとても思い出深い作品です。坂田靖子さんのイラストが実によくマッチしていてこれがまた感涙ものなのです。

柿沼瑛子(かきぬま えいこ)1953年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部日本史学科卒業。主な訳書/アン・ライス『ヴァンパイア・クロニクル』シリーズ、エドマント・ホワイト『ある少年の物語』など。共編著に『耽美小説・ゲイ文学ブックガイド』『女性探偵たちの履歴書』など。最近はもっぱらロマンスもの多し。

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