1991年から1993年にかけて、四人のゲイ及びバイセクシュアル男性のバラバラ死体が、それぞれペンシルバニア、ニュージャージー、ニューヨークなどのハイウェイ沿いのゴミ箱から発見されるという事件が起こった。いずれもマンハッタンの閉店間際のピアノバーから誘い出されて数時間後に殺害されていることから、犯人はメディアによって「ラスト・コール・キラー」と名づけられることになる。

 1990年代といえば保守政権下でエイズ禍がもっとも激しかった時代であり、エイズはゲイだけの疫病というデマが流れ、同性愛者に対する差別や暴力がさかんに行われていた時代である。彼らの主要な出会いや社交の場であったディスコやサウナは感染源とみなされて次々に閉鎖され、公園などのハッテン場では襲撃事件が絶えず、人々はより「安全」で「健全」なピアノバーに安息所を求めるようになる。こうしたピアノバーの顧客の多くはエイズによる差別を恐れてゲイであることを隠したまま社会生活を営む、比較的裕福な階層の顧客と、年長の男たちを目当てにやってくる若いゲイたちだった。

 最初の犠牲者ピーター・スティックニー・アンダーソン(54歳)は、レキシントン・アベニューにある〈タウンハウス〉というバーで1991年5月5日に目撃されたのを最後に、翌朝、複数の袋に入れられたバラバラの遺体がペンシルバニアのハイウェイの近くで清掃人によって発見された。アンダーソンの死因は複数の刺傷によるものであり、さらにはペニスが切り取られ、口に突っ込まれていた。身元は当初不明だったが、後に別のハイウェイ沿いから所持品一式が発見され明らかになる。アンダーソンは二度結婚し、子供もいたが現在は離婚していた。身長が低いことにコンプレックスを抱き、猛烈な上昇志向に加えて二重生活の軋轢からアルコール依存症になっていた。当日はゲイ活動家の友人の資金集めディナーパーティに強力するためフィラデルフィアからマンハッタンに出てきたところだった。パーティ当日、ピーターは〈タウンハウス〉に元彼とあらわれたが、ひどく泥酔しており、ついにはバーテンダーから退店を言い渡される。元彼はピーターのためにホテルを予約してやり、タクシーに乗せてやるが、アンダーソンはホテルにはチェックインせずにペン・ステーションへと行先を変更したまま行方不明となっていた。

 続く1992年7月10日ニュージャージー州ウッドランド国道72号線沿いのゴミ箱で、五つに分断されて袋に入れられた男性の遺体が発見される。袋の中には犯行に使ったと思われる回し鋸、ゴム手袋、シャワーカーテン、シーツなどが含まれていた。アンダーソンと同じように死因は複数の刺傷によるものであり、遺体はきれいに洗われていた。被害者はトーマス・リチャード・マルケイ(57歳)、既婚者で四児の父親でもあった。NYに出張していた夫が予定日を越えても帰ってこないことに不安を抱いた妻が、地元警察に問い合わせたところ、彼が死体となって発見されたことが判明する。貧しいアイルランド系移民の息子であり、善き隣人、尊敬される市民であったが、彼もまたアルコール依存症であり、妻は数年前から夫がゲイではないかと察していた。マサチューセッツ州在住のマルケーは商用のために1992年7日NYを訪れていた。クレジットカードの使用記録から、7月8日に〈タウンハウス〉を訪ねていたことがわかった。そこでトムは年長のゲイを好む若者を出会って話をしていたが、トムが別の男に気を取られていることに気づいた若者は彼を残してその場を去った。それが生きている姿を目撃された最後だった。若者によればその男は、ここ五年ほど前からの〈タウンハウス〉の常連だったという。

 三人めの犠牲者アンソニー・エドワード・マレーロ(44歳)はマンハッタンのゲイ専門のセックスワーカーで、その姿が最後に目撃されたのはポート・オーソリティ・バスターミナルだった。彼の遺体はやはりニュージャージー州で発見され、遺体は七つのゴミ袋にわけられ、死因は複数の刺傷によるものだった。最初は身元を証明するものが何もなかったが、被害者に逮捕歴があったことから身元が判明した。逮捕された場所のひとつにマンハッタンのハッテン場として知られるポート・オーソリティ・バスターミナルがあった。定住所を持たないアンソニーは友人宅にしばしば転がりこんでいた。1993年5月5日、ポート・オーソリティで友人に「これからビレッジに稼ぎに行く」といって出ていったのが目撃された最後だった。フィラデルフィアに住む家族によれば、アンソニーはふらりと戻ってきてはまた出ていってしまうのが常で、彼が何で生計をたてているのかうすうす察していたという。かつては結婚経験もあり、フィラデルフィア・フィリーズのピッチャーになるのが夢でトライアウトも受けたことがある。ニューヨークに出て、セックスワーカーになるまでの消息はわからない。

 四人めの犠牲者はマイケル・J・サカラ(56歳)で、カミングアウトしたゲイ男性だった。1993年7月31日、靴やズボンやシャツなどの着衣や財布の入ったトランクが発見され、警察署に届けられた。それから数時間後、ホットドッグ屋台店のオーナーが、ビニール袋に入れられたサカラの頭と腕を発見し、9日後、同じように切断された遺体の残部がニューヨーク州で見つかった。死体には五か所の刺傷があったが、直接の死因は殴打によるものだった。最後に目撃されたのはグリニッジ・ビレッジのピアノバー〈ファイブ・オークス〉でマークもしくはジョンという名の看護師の男性と一緒に看板ぎりぎりまで飲んでいるところをバーテンダーに目撃されている。七か月前まで恋人と同棲していたが、現在は別れており、仕事が終わってからは週に五回〈ファイブ・オークス〉を訪れていた。妹によれば幼いころのマイクは両親からDVを受けていた。成績優秀で、両親は大学へ行け、カネを稼げるようになれ、早く結婚して子供を作れと息子をせっついていた。彼もまた生きづらい保守的なオハイオの町を逃れて、ゲイ解放運動が進んでいるニューヨークに移住し、そこに住みついた多くのゲイたちの中のひとりだった。

 いずれの犯行現場からも、ビニール袋についた指紋や掌紋、あるいはゴム手袋からDNAが検出されてはいたが、自動指紋照合システム(AFIS)やFBIのデータベースに一致するものはなかった。ただ、遺体の入っていたビニール袋や回し鋸のステッカーなどから、犯人がスタッテンアイランド近辺の住人であり、また死体切断の手際の見事さから医療従事者ではないかと推定された。
 警察や、ゲイ反暴力団体の努力にもかかわらず、確たる手がかりもないまま6年が過ぎたが、VMD(真空蒸着法)という新たに開発された指紋探知法により、犯人の名前が明らかになる。証拠品のゴム手袋やゴミ袋から35の指紋と掌紋が検出され、各州のAFISシステムと照合した結果、ついにメイン州から一致する指紋の回答が来た。指紋の持ち主はリチャード・ロジャーズ。マウント・サイナイ病院の看護師で、1973年に大学生のハウスメイトを撲殺し、殺人の痕跡を隠そうと死体を森に遺棄して逮捕されていた。ロジャーズは相手から殴りかかってきたと正当防衛を主張し、過失致死罪で告発されたが、評決では無罪となっていた。彼の指紋は1973年から保存されていたが、メイン州ではAFISのシステムが2001年になるまでオンライン化されていなかったのだ。ロジャーズは二件の殺人に対して第一級殺人で告発されたが、本人は沈黙をつらぬいたまま犯行への関与を否定している。

 2022年エドガー賞に輝いた本書 The Last Call の著者であるイーロン・グリーンは別件でウェブサーチをしているうちにこの連続殺人に行き当たった。そして、どうしてこれだけの連続殺人が忘れられてしまったのか、どうしてこれらの人々が犠牲者にならなければならなかったのか、どういった経緯で犠牲者たちはその場所に居合わせたのかに強い関心を抱き、その調査は犠牲者たちの家族や友人だけでなく、捜査にかかわった地元警察や、死体を検視した医師たち、バラバラ死体に遭遇することになった清掃人たちにまで及んだ。そこに浮かびあがってくるのは、苦闘を重ねてようやく自由を手に入れたかに見えながらも、エイズ禍のためにふたたび差別と病への恐怖に閉じ込められたゲイたちの姿だった。彼らは文字どおり精神的な崩壊に瀕していた。そうした人々を温かく迎え入れ、ひとときの安息をもたらしたのが〈タウンハウス〉のようなピアノバーだったのである。

柿沼 瑛子(かきぬま えいこ)
  翻訳家。主訳書にローズ・ピアシー『わが愛しのホームズ』(新書館)、パトリシア・ハイスミス『キャロル』『水の墓碑銘』(河出書房新社)、アン・ライス『ヴァンパイア・クロニクルズ』(扶桑社)。共編書に『耽美小説・ゲイ文学ガイドブック』(白夜書房)。元山歩きインストラクター。ロス・マク&マーガレット・ミラー命。埼玉読書会世話人その② 腐萌え読書会影の黒幕。@sinjukueiko



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