第十四回翻訳ミステリー大賞受賞者のコメントが届きましたので掲載いたします。リチャード・ラング『彼女は水曜日に死んだ』を翻訳された吉野弘人さんからの、受賞のおことばです。
 贈賞式の壇上でお話しいただいている受賞作の訳者氏のお姿を想像しながら、お読みください。


 このたびは第十四回翻訳ミステリー大賞に拙訳書『彼女は水曜日に死んだ』を選出いただき、ほんとうにありがとうございました。この作品は、自らシノプシスを提出した、いわゆる持ち込みの企画だっただけに、同業の文芸翻訳家のみなさんから高い評価をいただけたことに喜びもひとしおです。
 実は、短編集にはちょっと苦手意識がありました。主人公が同じ、いわゆる連作短編集は好きだったものの、さまざまな作品が一冊になった形の短編集は、どこか全体的なまとまりに欠けるような印象を持っていたのです。もちろん、そういった短編集には、何が出てくるかわからないおもちゃ箱をひっくり返したような愉しさがあるのですが、自分は共通したテーマがあったほうがひとつの作品としての一体感を感じられたのです。
 このリチャード・ラングの短編集『彼女は水曜日に死んだ』は、それぞれまったく別々の話であり、それぞれ別の媒体に掲載された作品であるにもかかわらず、全体に共通したテーマのようなものを感じることができます。さらに順番も意図的に考慮して配置することで、一体感のあるひとつの作品として作り上げられています。そのテーマは、わたしは主人公たちの「生きづらさ」だと思っています。生きづらさを抱えながら、日々の生活を送る主人公たちに、なんらかのイベントが起き、彼ら、彼女らの人生に変化が起きる。よい変化であることもあれば、悪い変化であることもあり、場合によっては変化を望んでいたのに何も変わらないこともある。それでも続いていく人生をときには悲しく、ときにはせつなく、または希望を抱かせる余韻のある読後感で締めくくるのが彼の作品なのです。
 ミステリーというよりは純文学に近い作風という意見もありますが、著者のほかの長編を読むかぎりでは、わたしはリチャード・ラングという作家は明らかにすぐれた犯罪小説の書き手だと思っています。そして生きづらさを抱えた主人公や余韻のある読後感は、彼の長編にも共通しています。今回の短編集の紹介で、リチャード・ラングの紡ぎだす世界観を多くの日本の読者に知ってもらい、ほかの長編を含めた作品の今後の邦訳につなげることができればと思っています。
 ラング氏は、この作風からはちょっと意外かもしれませんが、とても気さくな一面も持っているようです。Twitterでの日本の読者の感想をとても愉しみにしており、読者が読後の感想をつぶやくと、ほぼすべてに「いいね」をつけてくれます。本作を未読の方は是非、お読みいただきTwitterで感想をつぶやいてみてください。きっとその感想はラング氏に届き、とても喜んでもらえると思います。
 受賞を聞いたわずか四日後、この「翻訳ミステリー大賞」が次回の第十五回をもって終了するというニュースが飛び込んできました。当然あると思っていたものが、なくなってしまうことに寂しさを感じずにはいられませんでした。翻訳ミステリー大賞シンジケートが残してくれたものは、この大賞のみならず、各地の読書会、読者賞、そして七福神の書評を始めとする多くの掲載記事など、そのどれもが翻訳ミステリーの発展に大きな貢献をしてくれたものと思っています。これまで運営に携わっていただいたスタッフのご苦労に深く感謝したいと思います。そしてそれらの恩恵をいただいたひとりとして、自分自身も翻訳ミステリー界隈の発展のために今後なんらかの恩返しができたらと思います。まずはよい作品を多くの読者に届けることをこれからも続けていこうと思います。
 最後になりますが、すばらしい作品を世に出していただいた著者のリチャード・ラング氏、東京創元社の編集者佐々木日向子さんはじめとする関係者の方々、またこれまでご指導をいただいた諸先輩方に心からの感謝を伝えたいと思います。そして何よりも翻訳ミステリーの読者の方々へ感謝のことばを伝えるとともに、これからもすてきなミステリーを紹介していくことをお約束したいと思います。ほんとうにありがとうございました。

吉野 弘人(よしの ひろと)
 英米文学翻訳家。山形大学人文学部経済学科卒。主な訳書にロバート・ベイリー『ザ・プロフェッサー』『黒と白のはざま』『ラスト・トライアル』『最後の審判』『ゴルファーズ・キャロル』、グレアム・ムーア『評決の代償』、T・J・ニューマン『フォーリング-墜落-』、デイヴィッド・ヘスカ・ワンブリ・ワイデン『喪失の冬を刻む』などがある。

■第十四回大賞候補作一覧■


彼女は水曜日に死んだ キュレーターの殺人 (ハヤカワ・ミステリ文庫) 辮髪のシャーロック・ホームズ 神探福邇の事件簿 ポピーのためにできること (集英社文庫) われら闇より天を見る

『彼女は水曜日に死んだ』(リチャード・ラング/吉野弘人訳)東京創元社
『キュレーターの殺人』(M・W・クレイヴン/東野さやか訳)早川書房
『辮髪のシャーロック・ホームズ』(莫理斯/舩山むつみ訳)文藝春秋
『ポピーのためにできること』(ジャニス・ハレット/山田蘭訳)集英社文庫
『われら闇より天を見る』(クリス・ウィタカー/鈴木恵訳)早川書房

第十三回大賞受賞作

第十二回大賞受賞作

第十一回大賞受賞作

第十回大賞受賞作

第九回大賞受賞作

第八回大賞受賞作

第七回大賞受賞作

第六回大賞受賞作

第五回大賞受賞作

第四回大賞受賞作

第三回大賞受賞作

第二回大賞受賞作

第一回大賞受賞作

■翻訳ミステリー大賞通信(大賞関係記事一覧)■