書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 もうすでにご存じでしょうか。翻訳ミステリーばかり読んでいる翻訳マン1号こと川出正樹と翻訳マン2号・杉江松恋がトークでその月のお薦め作品を3つ紹介する「翻訳メ~ン」、youtubeで毎月更新しております。よかったら試しに聴いてみてください。毎月末がだいたいの更新日ですので、こちらと同様ご愛顧くださいませ。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

 

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

川出正樹

『乗客ナンバー23の消失』セバスチャン・フィツェック/酒寄進一訳

文藝春秋

 素晴らしい、素晴らしいよ、セバスチャン・フィツェック! 『治療島』で衝撃のデビューを飾りサイコ・スリラーで名を馳せた作者が、〈サイコ〉の三文字を外して発表した『乗客ナンバー23の消失』は、〈閉鎖空間タイムリミット・サスペンス〉としてちょっと類を見ないくらいに面白い。『アイ・コレクター』の翻訳から早六年、待った甲斐がありました。

 舞台は大西洋横断中の豪華クルーズ船〈海のスルタン〉号。文化も社会階層も異なる三千人を超える乗員・乗客が運命を共にするこの〈小都市〉で、五年前に囮捜査官マルティンの妻子が姿を消した。そして今また別の母娘が行方不明となり、八週間後に少女だけが目撃される。彼女はマルティンの息子が大切にしていたテディベアを手にしていた。洋上のクローズド・サークルで一体何が起きているのか?

 待ったなし、逃げ場なし、おまけに警察機構なし。あるのは策謀と欲望、監禁と殺人、そして油断のならない乗員と乗客。騙し絵の中に騙し絵を潜ませ、読者の予測をことごとくかわして、斜め上から驚愕の真相を放つセバスチャン・フィツェックのあざといまでのテクニックとストーリーテリングを思う存分堪能しました。内容に反して、決して暗くないお話しに仕上げている点もグッド。もっとも明るいというのともちょっと違って、あっけらかんとしたえげつなさとでもいいますか。本質的にヒューマニストで実は健全な嗜好の持主なんだろうなあ、セバスチャン・フィツェック。

 今月はマルク・パストルによる、《グラン=ギニョル》のようなビザールかつダークな背徳の犯罪小説『悪女』(創元推理文庫)もお薦め。全知全能の語り手を務める死神の、しれっとした、それでいて不思議な慈悲の漂う語り口がたまりません。

千街晶之

『乗客ナンバー23の消失』セバスチャン・フィツェック/酒寄進一訳

文藝春秋

 船上という閉鎖空間で事件が続発するミステリといえば、アガサ・クリスティーの『ナイルに死す』、ジョン・ディクスン・カーの『盲目の理髪師』、ヘレン・マクロイの『ひとりで歩く女』など数多くの先例が思い浮かぶけれども、「安心して乗っていられない船ナンバーワン」は、『乗客ナンバー23の消失』の舞台となる〈海のスルタン〉号かも知れない。捜査官の妻と息子は船上から消え、行方不明だった少女は二カ月後に突然姿を現し、船長らはその揉み消しを図り、少女の母親は何者かに監禁され、船員がメイドに暴力を振るっているのを泥棒が目撃する……絶対にこの船にだけは乗りたくないという気分になる。多くの登場人物の視点が目まぐるしく切り替わり、章の切れ目ごとに次の章への絶妙の「引き」を用意してサスペンスを盛り上げ、そして結末にはこれでもかと言わんばかりの連続どんでん返し……豪華客船というよりはジェットコースターの乗り心地に近いミステリで、読後ぐったりと疲れるけれども面白さは保証つきだ。

北上次郎

『エヴァンズ家の娘』ヘザー・ヤング/宇佐川晶子訳

ハヤカワ・ミステリ

 今月は、年間ベスト1級のフィツェック『乗客ナンバー23の消失』(文春)があり、この面白さは本当に素晴らしいが、ここでの票を集めると思うので、あえてこちらにしたい。
 本書の良さは、節度だ。直接的な描写を避けていることに留意。現在の話と、64年前の話を交互に描き、こういうのはどこかで繋がるものだが、どこで繋がるんだろうと思っていると、ラスト近くで呆然。ここで繋がるのか。しかしその割に不快感を覚えずに済んだのは、著者の注意深い節度のためである。

吉野仁

『乗客ナンバー23の消失』セバスチャン・フィツェック/酒寄進一訳

文藝春秋

 「乗客の失踪があいつぐ豪華客船」で新たに巻き起こる怪事件。この設定だけで面白さの大半は保証されているのではないか。どこまでも油断できない食わせ物である作者フィツェックならではの「お楽しみとおどろき」がつまっている。それも最後の最後まで。これはもうページをめくって、そこにたどり着いた者しか味わえない。そのほかジム・トンプスン『殺意』は、作者の未訳作のなかでも、もっとも読みたかった一作である。なにしろ全12章の語り手がそれぞれ異なるという試みで書かれているばかりか、舞台となっている町の人口が一二八〇人であるなど、トンプスンの代表作に通じる要素、主題をふんだんに読み取ることができるのだ。ほかに、ニューヨーク市警の汚職警官をめぐる一大絵巻ドン・ウィンズロウ『ダ・フォース』は期待どおりの読み応えだ。

 

 

霜月蒼

『ダ・フォース』ドン・ウィンズロウ/田口俊樹訳

ハーパーBOOKS

 ウィンズロウの本作、もう話題作なのでリー・チャイルドの安定の快作『パーソナル』を推そうかと思いかけていたのだが、読んでしまったら『ダ・フォース』を推さないわけにはいかなくなったのである。『犬の力』『ザ・カルテル』では舞台となったメキシコ/米西海岸の激しい陽光を映すように善と悪とが画然とわかれ、それぞれがメキシカンな香辛料のごとき過激さをみせていたが、本作は迷宮のごときニューヨークの光と影を映して、善と悪と正義と不正は渾然とした灰色をなして主人公の刑事マローンという人物に結実している。その味わいがとてもいい。

 仲間への思い、街への思い、刑事としての誇り。それが不正や犯罪としてアウトプットされてしまうマローンの内面にまるで不自然さはない。だから彼が追いつめられてゆく中盤以降は読んでいて胃が痛くなるし、平穏だった頃に刑事たちが悪ガキのように街で浮かれ騒ぐさまが、かけがえのない光とともにこちらの記憶に残るのである。そしてそれゆえに、破滅の恐怖も生々しく浮かび上がる。ニューヨークを描いた都市の小説としても出色の出来であること付記しておく。

酒井貞道

『乗客ナンバー23の消失』セバスチャン・フィツェック/酒寄進一訳

文藝春秋

 海外版伊坂幸太郎とも言うべき『マイロ・スレイドにうってつけの秘密』も素晴らしかったが、あちらはちょっとミステリ度(事件事故度と言ってもいい)が低いので、誰がどう見ても謎と解明があるこちらの作品をチョイスした。

 こちらは、読む前にあまり情報を入れない方がいいタイプの作品である。フィツェックの訳出は久方ぶりな気がするが、心理的な事象の扱いの上手さはそのままに、ミステリ/サスペンスとしての話の盛り上げは随分と熟達した。まず題材が魅力的である。豪華クルーズ船で多発する行方不明客、なんて、これだけで読む気になりませんか。そのうえで、作者は、複数プロットの並行を巧みに手繰って、意外な展開も随所で用意し、蠱惑的な《謎》、手に汗握る《緊張感》、鮮やかな《解明》を華麗に演出してみせる。各種登場人物の「わけあり」設定の有効に活用して、話に深みを持たせているのも◎。読者よ、お楽しみあれ。

杉江松恋

『アベルvsホイト』トマス・ペリー/渡辺義久訳

ハヤカワ文庫NV

 初めに書いておくが、セバスチャン・フィツェック『乗客ナンバー23の消失』は素晴らしい。今月の作品でも別格だと思う。帯の惹句などを見ると衝撃的な結末のほうにばかり目が行ってしまうが、この作品の良さは各章の切れ場の引っ張り方や重要証言の解釈など、細かい技巧がいちいち優れている点にある。新本格と呼ばれた作品群がお好きな方なら間違いなく嵌まる一作だ。話題のドン・ウィンズロウ『ダ・フォース』も、悪徳警官ものをこの長尺で読ませてしまう筆勢に圧倒される。これまた必読の良作。

 個人的に掘り出し物と感じたのはマシュー・ディックス『マイロ・スレイドにうってつけの秘密』で、他人には言えない秘密を抱えた孤独な男が、同じように孤独な女性を救うため一人がんばる話で、ロード・ノヴェルとしてもしみじみおもしろい。「明日に向かって撃て」の結末が変わってくれたらいいのに、と念じながら主人公がビデオを観る場面は、どんな青春小説にも負けない名場面だと思う。あと、遠い町のホテルでネーナの「ロックバルーンは99」をドイツ語で歌うことになる場面も。これだけだとどんな小説だかわからないと思うが、気になったらご一読をお薦めする。

 というわけで結局一推しにするのは、懐かしやトマス・ペリーの犯罪小説である。ベテラン探偵と腕利きの殺し屋、どちらも夫婦でペアを組んでいる同士が一つの事件を巡って死闘を繰り広げる、という内容で、これだけだとありきたりなアクション小説に聞こえてしまうと思う。しかし中盤からトマス・ペリーらしい先を読ませぬ展開が待っており、読者はあらぬ方角へと連れ去られてしまうのである。この感覚が何に似ているのかを言い表すのはとても難しく、下手をするとネタばらしをしてしまうことになる。第九を演奏しているから交響楽団の演奏だと思って聴いていたら、実はフランキー堺とシティ・スリッカーズだった、というような感じか。ちょっと違うか。「サタデー・ナイト・フィーヴァー」だと思って観ていたら「サタデー・ナイト・ライブ」でジョン・ベルーシが出てきました。いや、それも違う。要するに肩すかしが巧く、その後に読者を破顔させずにはいられない一手が待っているのである。好きにならずにはいられない小説であった。二月末の作品だが、あえて推す次第である。

 三つ巴の闘いとなった月でした。二月からもう年間ベスト級の作品という声が上がるなど、昨年にも増して豊作の予感がします。ますます目が離せませんよ。来月もどうぞお楽しみに。(杉)

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧