海外小説を読む時に、人名地名が頭に入りにくいというのは多くの人が経験していることでしょう。英米の名前や地名は、たとえば“ジョン”とか“ルーシー”などのように頭に入りやすいものもありますが、ヨーロッパ、特に北欧の作品で出てくる人名地名は、“オーケ・ステンストルム”とか“クングスホルムスガータン”とか、いちいち長いし読みにくいものが多く、そのことに苦手意識を感じている人もいるのだろうと思います。私も昔はそうでしたが、読んでいるうちに自然となくなっていきました。読み進めるコツとして言えるのは、名前や地名を「まともに読もうとしない」ことだと思います。まともに読もうとすると必ず引っかかってしまって、読み進める妨げになりかねません。ステンストルムにしてもクングスホルムスガータンにしても、言葉の雰囲気だけ頭に入れておけば大丈夫。頻出する言葉はたとえちゃんと読めなくてもそのうち自然に結びついてきますし、一度きりしか出てこない言葉はそもそも覚える必要もない言葉だと割り切ってしまえばいい。そうしているとあら不思議、北欧のややこしい名前や地名もそれほど気にならなくなってきます。これ、実は日本の小説にも言えることで、人名や地名に難しい漢字があると、間違ってるんだろうなあと思いつつ、つい適当な読みを当ててしまうことがあります。でもそのほうがスムーズに読めてしまうことがほとんどなんですよね。そうやって、適当に読んでいるうちに、物語そのものの魅力に引き込まれ、やがて人名や地名の読みにくさなど気にならなくなってしまっている、そうなればもうしめたもの。海外小説への苦手意識もどこかに消え失せてしまっているのではないでしょうか。

 というわけで今回は、読めばおもしろいはずなのに、どうしてもカタカナ言葉に引っかかっちゃうんだよなあ……そんな理由で海外小説を敬遠しているあなたにぜひ読んでほしい警察小説の金字塔をご紹介します。

 マイ・シューヴァルとペール・ヴァールーのカップルによって書かれた「マルティン・ベックシリーズ」は、現在隆盛を誇るスウェーデンミステリの原点ともいえるシリーズです。1965年の第一作『ロセアンナ』から1975年の『テロリスト』まで、ほぼ年1作のペースで10作品が刊行されました。日本では、1971年より高見浩さんの訳で全作翻訳刊行されましたが、ここしばらくは、エドガー賞を受賞した第四作『笑う警官』しか入手できないという時期が続きました。しかし2012年、スウェーデンで、このマルティン・ベックシリーズ全作が新装版として一挙刊行されたのを機に、日本でも柳沢由実子さんの訳で2013年から新訳版が刊行されることになったのです。現在まで5作品が刊行されており、その刊行順は以下のとおりです。

1)第四作『笑う警官』
2)第一作『ロセアンナ』(旧版では『ロゼアンナ』)
3)第二作『煙に消えた男』(旧版では『蒸発した男』)
4)第三作『バルコニーの男』
5)第五作『消えた消防車』

 エドガー賞受賞作でもある『笑う警官』を劈頭に置き、あとは本国の刊行順に第五作まで刊行されています。ちなみに『消えた消防車』は、今年4月刊行ですので、読者賞の対象にもなってますよ!

 では、第一作から順に紹介をしていきましょう。

『ロセアンナ』(1965年)
<ストーリー紹介>
 観光地ユータ運河にある閘門で女性の全裸死体が発見される。性的暴行を受けたうえで絞殺されたこの女性の身元がなかなか判明せず、行方不明者の問い合わせもないまま3ヶ月が経過し、事件が暗礁に乗り上げようとしていたとき、アメリカからの電報でその身元が明らかになる。単身ヨーロッパに観光に来ていたはずのロセアンナ・マッグローという27歳のアメリカ人女性は、なぜ絞め殺されて運河に投げ込まれることになったのか。誰がこのような残酷な行為をおこなったのか。マルティン・ベックとそのチームの捜査が進む。

 現代の警察小説を読んでいる身からすれば、死体の発見から3ヶ月も身元が明らかにならず、全く捜査が進まないという状況にまず驚きます。この、なにも動かない状況において著者らは、捜査官の行動やそれぞれの交わす会話、あるいはマルティン・ベック自身の私生活を詳細に描き、そのことによって事件の収束への緊張感を盛り上げていきます。

『煙に消えた男』(1966年)
<ストーリー紹介>
 ストックホルムの群島で1ヶ月の夏休みを過ごすことになったマルティン・ベック。その初日、島に着いた直後に上司のハンマルから至急戻ってくるよう要請が入る。同僚のコルベリかメランダーに押しつけようとするベックだったが、ハンマルは「君にしかできない仕事だ」と言って譲らない。いったいなにが起きたのかわからないまま、ハンマルの指示で外務省へと向かったベックは、あるジャーナリストがブダペストで行方不明になったと聞かされる。東西冷戦の最中、ソビエト連邦支配下にあるハンガリーでスウェーデン人が行方不明になったということが世間に知れたら大騒ぎになるような状況で、マルティン・ベックに課せられたのは、第二のヴァレンベリ事件(※)とならないよう、ジャーナリストの行方を秘密裏に追うことだった。

 身元不明の死体を巡る捜査の模様を延々と描いた『ロセアンナ』は、単純な骨格であってもその一本一本が太ければ読者を十分魅了することができるというお手本のような小説でしたが、本作は身元不明者の捜索というこれもまた単純な事件でありながら、その舞台設定や意外な真相など、『ロセアンナ』と比べるともう少し入り組んだ話になっています。しかしながら、新訳版5作品のなかではいちばん短い話(300ページに満たない)であり、当時の社会情勢も、ベックの警察官としての矜持も、またミステリ小説としての味わいも、すべて余すことなくこの中に描き切っているという意味で、とても凄みのある作品だと思うのです。

※ ラウル・ヴァレンベリは、ラウル・ワレンバーグとして知られているスウェーデンの外交官。第二次大戦中、10万人ものユダヤ人を救ったことで知られるが、1945年1月、ブダペストで行方不明となる。

『バルコニーの男』(1967年)
<ストーリー紹介>
 ストックホルムの公園で、2週間のうちに8件もの強盗事件が発生していた。警察の警備の裏をかいた狡猾な犯行に手を焼いている最中、ある公園の草むらから、9歳ほどの女の子の遺体が発見される。性的暴力を加えられた後の絞殺だった。そのわずか2日後に、また別の公園で少女の遺体が発見される。連続強盗と連続少女暴行殺人、2つの事件の間につながりはあるのだろうか。休暇を取っていたマルティン・ベックは、仲間たちに少し遅れて、この悪夢のような事件の捜査へと踏み込んでいく。

 1971年、日本で刊行が始まったとき、最初に紹介されたのが本作です。連続強盗と連続殺人、2つの事件が平行して進んでいき、これらがどのように絡んでいくのか、警察の捜査がどうこれを解決していくのか、というのが読みどころなのですが、本作のラストで捕まった犯人と警官とのやりとりから伺うことのできる犯人の心理を、旧版刊行当時、日本の読者がどう受け止めたのだろうか、ということを考えました。うっすらと笑みを浮かべながら犯人が言い放つ「そうしなければならなかったから」というセリフで、本作にはサイコミステリーとしてのカラーがプラスされることになるのですが、小説の目線はあくまで警察官からのそれであり、最後までその部分はぶれていません。また、シリーズ中でも強い個性の持ち主として描かれる、グンヴァルド・ラーソンの初登場作でもあります。

『笑う警官』(1968年)
<ストーリー紹介>
 反ベトナム戦争のデモが続くストックホルムの夜、同僚レンナート・コルベリの家でチェスを指したあと帰宅したマルティン・ベックのもとに、夜間運行の市バスで銃乱射事件が起こったとの知らせが入る。そして8人の被害者の中に、同じ殺人捜査課の後輩刑事がいたことも。この数週間特別大きな事件もなく、殺人捜査課全体が暇を持て余していたうえに、彼自身休暇を取っていたにもかかわらず、なぜ銃を手にしたまま夜間バスに乗っていたのか。マルティン・ベックと捜査班の面々は、手がかりを求めて地道な捜査を始めることになる。

 本作はエドガー賞を受賞(1971年長編賞)しているということもあり、シリーズ中もっとも有名な作品だと言えるでしょう。手がかりに乏しいところから辛抱強く捜査を進めて、証言や証拠を少しずつ集め、時間をかけて犯人に迫っていくという捜査小説としての結構は、前3作と大きく違いはありませんが、今回はより、刑事たちそれぞれの人生にスポットを当てるような形になっています。仲間が殺されたということもあり、これまで以上に捜査に力が入っていく一方で、マルティン・ベックの家庭は、寝室を別にしたりするなど、それまで以上に冷えたものとして描かれます。ベトナム戦争を背景とした当時の社会情勢。捜査を離れた時の警官の日常。そしてゆっくりと、しかし確実に事件の真相に迫っていく警官たちの捜査の描写。これらが著者らの手によって一体となった時、私たちはこの物語の驚くべき深みと味わいを知ることになるのです。文句なしの傑作だと思います。

『消えた消防車』(1969年)
<ストーリー紹介>
 他部署の依頼で、ある男の監視をしていたグンヴァルド・ラーソンは、その男がいた建物が大爆発するという状況に遭遇する。大炎上する建物から、居住者11人のうち8人を救い出したラーソンだったが、監視していた男は焼け跡から遺体となって発見される。その後の調査により、焼死したと思われていたその男は、実は火事の前に一酸化炭素中毒で死亡していたことが明らかになる。火事の原因も、自殺に用いられたガスに引火したものといったんは断定されるものの、焼け跡からあるものが発見されるに至り事態は一変。捜査は継続されることになる。

 これまで、捜査班の嫌われ役を請け負っていた感のあるラーソンですが、今作では大活躍します。特に冒頭の火事の場面、そう長くはないシーンですが、これまでのラーソンに対するイメージを一変させるほどのインパクトがあります。また、今作もベックを始めコルベリ、そして今回から登場するスカッケなど、捜査と直接関係のないプライベートのエピソードもきっちり書き込まれています。特にベックに関しては、家を出て一人暮らしを始めようとしている娘のイングリッドから「どうしてパパはわたしと同じようにしないの?」と問いかけられるシーンがあります。これまでシリーズを通して、妻とのギクシャクする関係が描かれてきたわけですが、このイングリッドのセリフは、ベック自身のプライベートにおける転機を示唆しているようです。そして、『消えた消防車』というタイトルもポイントです。これについては、本編をお読みくださいとしか言いようがありません。ぜひ手に取って確認していただきたいと思います。

 マルティン・ベックシリーズは、冒頭で申し上げたとおり全10作からなるシリーズですが、それぞれが別の作品というわけではなく、10作でひとつの物語を形成しています。それは第二作『煙に消えた男』の巻末に収録されているマイ・シューヴァルのインタビューで言っているとおりです。彼女は、だから『ロセアンナ』から順に読んでほしいとも言っています。このシリーズは、大きなひとつの物語であり、最初から読むことを前提に書かれているからこそ、マルティン・ベックを始めとする警察官の日常が過剰なまでに描かれているのだと思いますし、そのことが、他の警察小説と一線を画する特徴となっているのです。このシリーズが書かれてからすでに50年が経過しているにもかかわらず、まったく古びた印象を感じさせないのは、時代が変わり、技術や知恵が如何に刷新されてゆこうとも、根本的な人の営みはそう簡単に変わるものではないということを、本作から汲み取ることができるからではないでしょうか。その意味では、まさに今こそ読まれるべき作品だと思うのです。

 なぜこのシリーズを、海外小説を敬遠している人にぜひ読んでほしいのか。その理由はもうおわかりだと思います。これこそ最初に申し上げた、“物語そのものの魅力に引き込まれ、やがて人名や地名の読みにくさなど気にならなくなってしまっている”作品だからです。このシリーズにも、もちろん他の北欧ミステリと同様、読みにくい名前や地名が出てきます。でも通して読めば、きっとその魅力に引き込まれます。カタカナ言葉なんか気にならなくなります。かなり本気でそう思っています。そのくらいオススメなんです。

 シリーズは、今回紹介した5作品のあと、『サボイ・ホテルの殺人』『唾棄すべき男』『密室』『警官殺し』『テロリスト』と続きます。マイ・シューヴァルが言うように、10作で1つの作品であるならば、残り5作品もぜひ新訳で、という期待は高まるのですが、『消えた消防車』の訳者あとがきによれば、新訳はこれら5作品でいったん終了ということのようです。このことを残念だと思うならば、ぜひ既刊5作品を手に取っていただきたいと思います。そして後半の5作品もぜひ新訳で! という声を上げてほしい。このシリーズが、以前からのファンにも新しい読者にも、もっともっと多くの人に読まれて、続きが読みたいという切実な声が、作り手に届くことを心から願っています。

 

大木雄一郎(おおき ゆういちろう)
福岡市在住。福岡読書会の世話人と読者賞運営を兼任する医療従事者。読者賞のサイトもぼちぼち更新していくのでよろしくお願いします。