二〇一六年に刊行された、フェルディナント・フォン・シーラッハの戯曲『テロ』(酒寄進一訳 東京創元社)は、七万人が観戦中のサッカースタジアムに旅客機を墜落させようとするテロリストの凶行を未然に防ぐべく独断で撃墜した空軍パイロットの罪を問う法廷劇でした。といっても事実関係を争う裁判ではなく、焦点は「七万人を救うために一六四人(旅客機の乗客数)を殺すのは許されるのか」という一点に絞られているというのが大きな特色です。

 殺人が犯罪である、というのは少なくとも法的な意味においては世界共通の認識だと思います。「人を殺してはいけません」というのは誰から教えられることもなく自然に身につく価値観だと言えるでしょう。『テロ』という戯曲は、その自然に身についた価値観が内包する問題点をピンポイントに突いてきます。「どのような状況にあろうとも命を天秤にかけるのは誤りである」とするのか、それとも《法がモラルの問題をことごとく矛盾なしに解決できる状態にはないことを受け入れる(一三八ページ)》のか。

 観客の投票結果を結末に反映する形式を取っている本作には、有罪・無罪それぞれの結末が用意されています(投票結果に応じて一方のみを上演する)。どちらの結末にも説得力はあるのですが、双方の結末を読み終えてなお、もやもやとした思いを抱えてしまいます。

 さて、今月は同じくシーラッハの戯曲第二弾『神』(酒寄進一訳 東京創元社)を取り上げます。今回のテーマは「安楽死」です。ドイツでは過去の反省から「臨死介助」という言葉が用いられているようですが、ここでは適宜両方の語を用いることにします。

 七八歳の元建築家ゲルトナーは、目下のところ心身ともに健康ではあるものの、最愛の妻に先立たれ生きる気力をなくし、自らを死に至らしめることを決意します。とある団体に致死薬剤の処方を申請し、それが却下されたのち、彼はホームドクターに対して自死の幇助を求めました。この件についてドイツ倫理委員会は討論会を設け、ゲルトナーの主張の是非を討論します。これが本作の舞台設定です。『テロ』で「七万人を生かすために一六四人を犠牲にしてもよいのか」を問うた著者は、本作において新たに二つの問いを投げかけます。すなわち「医師による自死幇助は認められるのか」という問いともうひとつ、「自らが死ぬことを決定するのは誰か」という問いです。

 ドイツでは二〇一五年、業としておこなわれる自死幇助は刑法上の罪に問われるとの決定がなされ、前進しつつあったドイツ国内における自死の自己決定に関する議論に水を差すこととなりました。しかし二〇二〇年二月、ドイツ連邦憲法裁判所がこの二〇一五年の決定を違憲とする判断をします。『神』はこのような状況下で出版されました。

 本作は、法学、医学、神学の分野から招いた参考人に対して、自死幇助を是とするゲルトナー側の代理人弁護士と、それに反対の立場を取る倫理委員による質疑応答によって進んでいきます。さまざまな立場から、多様な応答を繰り広げていくなかでとりわけ注目すべきなのは、神学者との議論であるだろうと考えます。日本で安楽死議論がそれほど活発ではない(少なくとも私の目にはそのように映ります)のは、神という存在が欧米諸国ほどに明確でないからではないでしょうか。だからこそ、本作における神学者との議論は、日本の読者にとって極めて新鮮に映るはずです。人の命は誰からもたらされたのか。欧米の、とりわけキリスト教に帰依する人々にとっては、この点がとても重要なのだということが、本作を読めばよく理解できるでしょう。自死に関する自己決定権を議論するとき、「人の命は神から受けた大きな賜物である」というキリスト教的《常識》は高い障壁となる。欧米において自死幇助を容認していくには、このことをどう突き崩していくかが大きな鍵となるのです。

 本作もまた、『テロ』と同じく、観客による投票がおこなわれる設定になっています。しかしこれは裁判ではないので、判決が用意されているわけでもありません。結末もひとつです。読者のひとりひとり、あるいは観客のひとりひとりが、「死」について熟思すること。そのことこそが、本作が書かれた目的なのかもしれません。

 また本作では、戯曲のなかで繰り広げられている議論を補足する形で、三人の学者による論考が「付録」として収録されています。ジャーナリスト宮下洋一による邦訳版解説も含め、これらの論考は、この戯曲で提示されている問題をより深く理解するうえで、そして日本における「安楽死」を取り巻く状況を理解するうえでも必読です。

 高齢化する日本において、「死」はこれまで以上に私たちの生活に深く、大きく影を落としつつあります。そのようななかで、本作を通じてひとりでも多くの人が「死」を考えるきっかけを作ってもらえたらと思うのです。自分の死は自分自身のものなのか、それとも他の誰かのものなのかを深く考えていくことは、けっしてネガティブなことではないのだということを、ここでは強く断言したいと思います。

 さて、九月一八日に配信しました「衝撃の展開! ホリー・ジャクソン「向かない」三部作、あなたはどう読む? 全国翻訳ミステリー読書会ライブ第16弾前編【ネタバレなし編】」はごらんいただけたでしょうか。ホリー・ジャクソンによる三部作、『自由研究には向かない殺人』『優等生は探偵に向かない』『卒業生には向かない真実』(すべて服部京子訳 創元推理文庫)について、そのおもしろさをネタバレなしで語っております。未読の方も安心して、ぜひごらんください。

 そして十一月一九日には、最終作にして大問題作『卒業生には向かない真実』を中心にネタバレありの読書会を配信する予定ですので、そちらは三作すべてお読みになって、こちらもぜひごらんください! めっちゃ盛り上がる公開読書会になると思います!(たぶん) URL等はのちほどお知らせします。乞うご期待!

大木雄一郎(おおき ゆういちろう)
福岡読書会世話人兼翻訳ミステリー読者賞の実行委員。夏から秋にかけては、各社のイチオシ作品が目白押しなので、割とあたふたと過ごしております。

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