韓国のミステリー小説に私が初めて触れたのは、二〇一七年に刊行されたキム・ヨンハ『殺人者の記憶法』と、チョン・ユジョン『七年の夜』でした。このころ韓国文学を紹介していた出版社がミステリーをそれほど取り扱っていなかったこともあり、これらの作品もミステリーというよりは、新しい韓国の文学という流れで紹介されていたように思います。

 その後、これらの作品が高く評価されたことをきっかけに、韓国のミステリー小説をより積極的に紹介しようという流れが生まれました。ピョン・ヘヨン『ホール』(二〇一八年)、チョン・ユジョン『種の起源』、イ・ドゥオン『あの子はもういない』(ともに二〇一九年)、チョン・ヘヨン『誘拐の日』(二〇二一年)、ク・ビョンモ『破果』(二〇二二年)など、欧米のミステリー小説を多く出している出版社からも、韓国のミステリーが数多く紹介されるようになり、いまや韓国のみならず、アジア圏のミステリー小説がほぼ毎月のように紹介されています。とりわけ今年は、韓国発ミステリー作品の刊行が続いており、韓国ミステリーの当たり年とも言えるのではないでしょうか。

 今回は四月に刊行されたイ・コンニム『殺したい子』(矢島暁子訳 アストラハウス)と、今月刊行されたばかりのチョン・ミョンソプ『記憶書店 殺人者を待つ空間』(吉川凪訳 講談社)の二作を取り上げます。

 『殺したい子』は、校舎裏で起こった女子高校生殺害事件を巡る十八の証言と、容疑者周辺の描写で構成された真実探しのサスペンスです。

 容疑者として勾留されることになるジュヨンは、裕福な家に生まれ何不自由なく育ち、また友人からの人気もある、スクールカーストの頂点にいるような子です。そんなジュヨンには、彼女とは何から何まで正反対の境遇にある親友、ソウンがいます。父を事故で亡くし、母親と二人でその日を生きるだけで精一杯という日々を送るソウンとジュヨンの関係は、ソウンに対して常にジュヨンの、主に金銭面での庇護があることを前提として成り立っているものでした。

 ある朝、校舎裏からソウンの遺体が発見されます。その前日、同じ現場から逃げ出すようにして去っていくジュヨンの姿が目撃されていて、かつ凶器とされたレンガからジュヨンの指紋が検出されたことにより、ジュヨンは容疑者として取り調べを受けることになります。ジュヨンはソウンの殺害を否定しますが、一方で校舎裏でソウンと会ったときの状況をまったく覚えておらず、容疑を晴らすことができません。両親が雇った有能な弁護士も、ジュヨンの様子に手を焼くという有様でした。このような勾留中のジュヨンの様子を描く合間に、ジュヨンやソウンのことを知る友人らの証言が差し込まれながら、ストーリーは進んでいきます。

 友人のなかには、二人のことをとても仲のいい親友だと思っている者もいれば、その関係性を額面通りに捉えず「金に物を言わせてソウンを付き従えさせている」とか「ソウンがジュヨンを利用している」などという証言をする者もいます。本当の二人の関係がどうだったのかを、読者がそこから計り知ることはほぼ不可能ですが、その証言のひとつひとつは、証言者それぞれにとっての真実でもあります。ジュヨンとソウン、二人の内面の真実はなにか。そして、そのことがソウンの死にどう絡んでくるのか。そもそもソウンの死の真相はなんなのか。すべてが明らかになったとき、多くの証言によってもたらされた《真実》が、真の事実を少しずつ歪めていくのだということを私たちは理解することになるでしょう。

 私たちが普段見聞きする事柄も、見方が変われば捉え方がまったく変わることがあります。人は同じものを見ていても、それぞれが見たいようにしか見ないし、信じたいものしか信じない。そのような人間の愚かさを改めて感じさせられる作品です。

 チョン・ミョンソプ『記憶書店 殺人者を待つ空間』は、ビブリオマニアの本に対する執着に仮託して、人が持つ執念について描き出した作品です。なにかに取り憑かれた人がどのような行動を取るのか。マニアが持つ執着のようなものに心当たりのある人であれば誰でも、ゾッとすること間違いなしのミステリです。

 テレビでもひっぱりだこの大学教授であり、ビブリオマニアでもあるユ・ミョンウは、自らが出演する古書紹介番組のラストで、大学を辞め、テレビへの出演も終わりにして、自らのコレクションを販売する古書店を開くと発表します。その書店の名は「記憶書店」。十五年前に死別した妻と娘のことを記憶しておくための場所としてこの書店を開くのだとユ・ミョンウは説明するのです。

 しかし、彼が古書店を開く真の目的は別にありました。それは《ハンター》と称される一人の男をおびき出すこと。ユ・ミョンウは、《ハンター》を追うことに残りの人生をかけて「記憶書店」を開くのです。実は《ハンター》は、十五年前、ユ・ミョンウの妻子を殺害した仇なのでした。しかしユ・ミョンウには、《ハンター》に関する情報はなにもなく、ただ《ハンター》が重度のビブリオマニアであろうということしかわかりません。ユ・ミョンウはこの「記憶書店」を、《ハンター》への復讐その一点のためだけに開いたのでした。

 というあらすじを見て、「復讐のためとはいえそこまでやるか?」と思った方がいるかもしれません。しかしあなたがもしビブリオマニアであったとしたら、そして犯人にたどり着く手がかりがその一点にしかなかったとしたら、ひょっとしたら「そこまで」やってしまうかも……と思う人はきっといるでしょう。そんな怖さがこの作品にはあるのです。

 しかしこの作品の読みどころはこれだけではありません。《ハンター》への執着と復讐心に加え、中盤からは《ハンター》探し、いわゆるフーダニットの様相を呈してきます。そして終盤には私たちの予想の遥か斜め上を行く、怒涛の展開を目の当たりにすることになります。この展開、作者の豪胆さに、読者はきっと度肝を抜かれることでしょう。

 ビブリオマニアのみならず、なにかに執着したことのある人ならきっと背筋に冷たいものが走るような思いをする小説です。

 他にもキム・オンス『野獣の血』、イム・ソンスン『暗殺コンサル』など、韓国発のミステリーが目白押しの二〇二三年。後半もまだまだおもしろい作品が出てくるかもしれません。期待して待ちたいと思います。

大木雄一郎(おおき ゆういちろう)
福岡読書会世話人兼読者賞の実行委員。8月6日14時から、全国読書会ライブ配信第15弾「第2回夏の出版社イチオシ祭り」が開催されます。翻訳ミステリーを出版している各社から、この夏オススメの作品を紹介していただくイベントです。アーカイブ配信もありますのでぜひご覧ください!
https://www.youtube.com/watch?v=CJVhBhByGtU

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