儀礼殺人という言葉を聞いたことがありますか?

 ある儀式にのっとって、人体の一部を得るためにおこなわれる殺人のことをそう呼ぶのだそうです。今より上のポジションを得ようとする権力者や、ライバルを蹴落としてより大きな成功を欲するビジネスマンなど、一定の地位にある者がその地位をより大きく、強固なものにすることを目的としておこなう犯罪で、殺された人は呪術のために体の一部を切り取られてしまいます。

 こう聞くと、おそらくほとんどの人が、そんなことが現実にあってもいいのかという驚きや、今どき呪術に必要だからといって殺人まで犯したりするのか? という疑いを抱くことでしょう。しかし、アフリカでは今もしばしば儀礼殺人らしき事件が起こっていますし、まじないは、医学や科学では説明できない驚くべき効果を人々に与えることもあります。時として私たちは、日常生活の中で身に降りかかったことを、なぜそうなったのか論理的に説明できないまま、偶然や運命によるものということにしてそのまま納得してしまうことがあります。ならばそれらをすべて呪術によるものと結論づける人がいても不思議ではありませんし、そんな人たちにとって、まじないは実に「効果のある行為」ということになります。もちろん、だからといって殺人を犯していいということにはならないわけですが……。

 ユニティ・ダウ『隠された悲鳴』(三辺律子訳 英治出版)は、儀礼殺人をテーマにしたサスペンスです。1994年に実際に起こり、今なお未解決のままになっている儀礼殺人事件を元にしています。

 ボツワナのある村で、権力者による儀礼殺人が極秘裏におこなわれます。ターゲットとなったのは12歳の少女。行方不明になった少女を村じゅうの人が総出で捜索するなか、少女の着ていたと思われる服の一部が見つかります。服には何者かの血がべったりと付着しており、儀礼殺人ではないかという声も上がりますが、警察の捜査でそのことを示唆するものは何も出てこないまま、家族に対しては、ライオンに襲われたのだという説明がなされます。この説明に納得できない家族は、証拠の服をちゃんと調べるよう要請しますが、警察に保管されているはずの服は忽然と消えてしまい、真相は闇に葬られてしまいます。

 それから5年後、国家奉仕プログラムという研修制度で、村の診療所に派遣されてきた22歳の女性、アマントルは、診療所の倉庫を掃除しているときに血の付いた服の入った箱を見つけます。警察から消えてしまったはずの証拠がなぜ村の診療所にあるのか。再び沸き上がる村人たちの怒りを目の当たりにして、アマントルは事件の真相を明らかにすべく、権力に立ち向かっていきます。

 儀礼殺人は、政治家など、地位や権力を持っている者が絡んでいることがほとんどで、それゆえ隠蔽されることも多く、現実の事例でも真相が明らかにならないばかりか、遺族にまともな説明すらされない場合もあると聞きます。本書は、そのような状況を打破するべく、警察にも臆することなく堂々と渡り合い、仲間たちを巻き込んで独自に調査を進めていくアマントルの姿を描きます。その努力は、やがて政府の高官を動かすことになり、事件は5年という歳月を経て、ようやく解決へと動き始めます。身勝手な儀礼の犠牲となった少女のために、遺族のために、そして自らの正義のために行動したアマントルが行き着いた先で、果たして真実はどのような形で明らかになるのでしょうか。

 ユニティ・ダウはボツワナの現職大臣であり、弁護士でもあります。女性や子どもの問題、LGBTやAIDS患者の人権問題に長らく取り組んできました。こんな経歴の人ならば、フィクションという形を取らなくても問題提起の手段はいくらでもあったはずです。それについては、著者自身がこのように言っています。

《フィクションは、著者の意見が明確に見えないぶん、読者が読みながら自分の考えを紡いでいく余地がありますし、自分とは異なる立場にある登場人物の考えを体感できるものだと思ったからです。》(巻末の著者インタビューより)

 ここに描かれているのは、特殊な状況下で起こった特殊な出来事などではなく、私たちの身の回りで常に起こっているかもしれない出来事です。ボツワナの小さな村で起こったことと同様のことが、学校や家庭、職場で起こっているかもしれません。隠蔽という言葉から、ここ数年で報道されたいくつかの出来事を思い起こす人もいらっしゃるでしょう。著者の言う《自分の考えを紡いでいく余地》がここにあります。そのような状況で生きる私たちに、それぞれの場所で、それぞれのやり方で、間違っていることには間違っていると声を発してほしい。そんな願いが本書には込められています。目の前にある悲劇から目を逸らさず、現状を変えるべく声を上げ続けてきた人だからこそ描くことのできる物語。それがこの『隠された悲鳴』なのです。

 

大木雄一郎(おおき ゆういちろう)
福岡市在住。福岡読書会の世話人と読者賞運営を兼任する医療従事者。読者賞のサイトもぼちぼち更新していくのでよろしくお願いします。