このところ、ドキュメンタリーを装ったフィクション、いわゆるモキュメンタリーという手法を用いたエンターテインメント作品が人気です。特にホラーの領域では、映像作品から小説まで、媒体を問わない広がりを見せています。この手法自体は昔からあり、映画やドラマの世界ではこの手法を使ったヒット作がいくつもあります。古くは『食人族』や『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』といった作品が思い浮かびますし、最近だとテレビ東京で放映された『このテープもってないですか?』や『イシナガキクエを探しています』などが記憶に新しいところでしょう。『食人族』は、上映当時中学生だったこともあり、親から劇場に行くことを許されず、ポスターやテレビCMから得られる情報だけで友人たちと超盛り上がっていたことを思い出します。なぜ盛り上がっていたのかというと、食人族は実在すると信じてたからなんですね。当時の大人たちがどう思っていたかはわかりませんが、田舎の中学生程度ならころっと騙すことができるほどのクオリティはあったということでしょう。とにかくCMがショッキングだったんですよ。
さて、小説におけるモキュメンタリーといえば、国内ホラー小説でヒットしたタイトルがいくつか思い浮かびますが、海外ミステリとなると、ぱっと思いつくのはジョセフ・ノックス『トゥルー・クライム・ストーリー』(池田真紀子訳 新潮文庫)でしょうか。ある女子大生失踪事件に興味を持った女性作家が、そのドキュメントをまとめるにあたって作家仲間であるジョセフ・ノックスに原稿を読んでもらい、意見を求めるという体で進んでいく作品ですが、冒頭に「第二版刊行に寄せて」と題された文章が入っていたり、著者本人が作中に登場したりと、フェイクドキュメントの要素がふんだんに盛り込まれているのが特色です。しかしながら、この作品以外にモキュメンタリーに近い海外ミステリがあるかというと、少なくとも私の記憶ではなかなか見当たらないなあというのが現状でして、その意味では今回ご紹介する、イライザ・クラーク『ブレグジットの日に少女は死んだ』(満園真木訳 小学館文庫)はまさしく、小説におけるモキュメンタリーの、ひとつの形を示した作品だと言えるでしょう。
二〇一六年六月二四日の早朝、一六歳の少女ジョニは、同じ十代の少女三人に暴行を受けた挙げ句、ガソリンをかけられて全身を焼かれます。救急車で搬送される際、誰からやられたのかを彼女自身が救急隊員に伝えたため、加害者少女らはすぐに逮捕されたのですが、治療の甲斐なく三日後に死亡します。しかしこの事件は大きな話題とはなりませんでした。事件の起きた前日が、イギリスのEU離脱に関する国民投票の日だったからです。こうしてこの事件は誰の目にも止まることがないまま、犯罪実話サイトにひっそりと記事が残っているのみとなっていました。
二〇一八年に、犯罪実話ポッドキャストでこの事件を取り上げますが、それ以外に詳細を記した記事などはなく、犯罪実話ファンが集まるコミュニティでも事件の詳細を望む声が上がっていました。ここに目をつけたのがジャーナリストのカレリです。誰もが忘れ去っていたこの事件がなぜ起こったのか。事件に至る背景を本にしよう。彼はそう思い、関係者への綿密な取材を経て生まれたのが『ブレグジットの日に少女は死んだ』というノンフィクションなのでした。
この作品、最初からページをめくっていくとタイトルや登場人物紹介の次に、以下のような文章が出てきます。
《本書はフィクションです。過去の実際のできごとや実在の人物への言及も、あくまで作品内の虚構として用いられているものであり、その他の登場人物、場所、状況等は注を含めすべて著者による創作です。》
この注記のあと献辞があり、カポーティを引用したエピグラフがあり、そしてそのあとに、
《本書は、二〇一六年に一六歳のジョーン・ウィルソンが同じ学校に通う三人の少女に殺害された事件について記したものです。著者はジャーナリストのアレック・Z・カレリで、原本は二〇二二年三月に出版されました。》
という文章で始まる短い説明が続きます。この説明のなかで、カレリの取材を受けた人らから捏造の声が上がっていることや、カレリによる資料の違法入手があったこと、これらを受けて半年後には販売を中止、回収という措置が取られたことなどが明らかにされています。しかしながら、関連訴訟が終結を迎えたこともあり、出版社の判断によって再出版が決められたとあり、読者はこのような前提にいちいち「?」と思いながら本文に入っていくのです。
改めて言いますと、本書はイライザ・クラークが書いた『ブレグジットの日に少女は死んだ』という小説です。そしてその作中作としてアレック・Z・カレリという人が書いた『ブレグジットの日に少女は死んだ』という作品がまるごと入っており、それ自体がストーリーのメインになります。つまり少女が焼かれるまでの間、加害者と被害者それぞれに起こっていたことを克明に描いたノンフィクションがこの小説の中核になっているのです。この作中作が実によくできている。フィクションとわかって読んでいても実在の事件かと勘違いしそうになるほどの完成度。現実にはないノンフィクション作品をまるまる一つ作り上げるということはつまり、その作品のありとあらゆるところに虚構を張り巡らさなければならないということです。単なる虚構ではなく、あたかも現実と見紛うような虚構を張り巡らしていく。その苦労が、先に挙げた注記に反映されています。ほぼすべての人が、初読時には読み流すであろうこの注記と、そしてカポーティのエピグラフに、イライザ・クラークがやりたかったことのすべてが込められているといってもいいのではないかと思います。
モキュメンタリーの手法を巧みに操りつつ、随所で読者を欺こうとするのはもちろん、ジャーナリズムの本質にまで迫ろうかとする本作。みなさまゆめゆめ騙されないように。あ、そうそう、本書で描かれる十代の子供たちの感情の動きには、フィクションとかどうかを超えて考えさせるものがあったということも付け加えておきます。
さて、来る八月四日(日)の午後二時から、『全国翻訳ミステリー読書会YouTubeライブ第21弾 第3回 夏の出版社イチオシ祭り』がライブ配信されます。翻訳ミステリー関連の出版社が、この夏から秋にかけてのイチオシ作品をプレゼンするという、読書会ライブのなかでも人気の高いイベントです。これから先の読書指針を立てるには格好のイベントとなります。当日タイミングが合わなくても、アーカイブ配信があるので大丈夫。ぜひみなさま、ご覧いただきますようよろしくお願いいたします!
大木雄一郎(おおき ゆういちろう) |
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福岡読書会世話人兼翻訳ミステリー読者賞の実行委員。次回のYouTubeライブでは読者賞に関する発表をする予定です。 |