先月お休みを頂いている間に、最後の翻訳ミステリー大賞が発表となり、毎月楽しみにしていた「翻訳ミステリー長屋・新かわら版」も最終回を迎えました。事務局のみなさまのこれまでの尽力には本当に感謝しかありません。シンジケートのサイトにも、少しずつ終わりの始まりのような雰囲気が感じられはしますが、「読者賞だより」はできるだけ長く続けていきたいと考えていますので、これからも引き続きご愛読いただけるとありがたいです。

 さて、四月以降、傑作の刊行が目立つ翻訳ミステリー界隈、何を読めばよいのか目移りして仕方がないという方も多いのではないでしょうか。とてもじゃないけど全部は読めないよーというみなさまのために、今回は絶対読み逃してはならない二作品を紹介したいと思います。

 まずひとつ目は、巨匠スティーヴン・キングの「作家デビュー50周年記念出版」と銘打たれた傑作『ビリー・サマーズ』(白石朗訳 文藝春秋)。凄腕の殺し屋ビリー・サマーズ最後の仕事、そしてその顛末を描いたクライム・ノベルです。デビュー作『キャリー』の刊行が一九七四年。以降数々の傑作を世に送り出してきた巨匠の、五十周年を飾る作品がホラーじゃないというのは意外な感じがしますが、よく考えればSFやミステリーなど、さまざまなジャンルを股にかけ、しかもどのジャンルにおいても傑作を送り出してきたキングなのですから、その五十周年を記念する作品がホラーじゃないからといって特段驚くこともないのかもしれません。逆に言えば本作は、ホラーが苦手だからキングはいままで避けてきた、というあなたにこそ読んでほしい大傑作なのです。というわけでこの記事は、ずっとキングを敬遠し続けてきたあなたや、あるいはまだキングに全く触れたことのないあなたに届けー!という気持ちで書いております。

 ビリー・サマーズは凄腕の殺し屋ですが、どんな依頼にも、一点だけこれは譲れないという条件をつけます。それは「悪人の殺ししか請け負わない」こと。元海兵隊員であるビリーは、戦場で培った射撃の腕を活かし裏稼業で生きていくうえで、悪人以外殺さないという縛りを自らに課し、多くの依頼を受け、それを完遂してきました。そろそろ引退しようかと考えていた折、彼のもとに報酬二百万ドルというとんでもない大仕事の依頼が舞い込んできます。しかも相手はビリーと同じ殺し屋。最後の仕事としては申し分がないということで、ビリーはその仕事を請け負うことにしました。しかし、ターゲットは現在刑務所に収監されており、殺しを実行するには、ターゲットが裁判所に移送される際のほんの一瞬を狙わなければならない。ビリーは、いつ出てくるとも知れないターゲットを待つために、狙撃地点となる街に、依頼人の用意した身分に扮して潜伏することになります。ビリーに用意された偽装身分はなんと小説家。依頼人らにはちょっとおバカなキャラクターで通っていたビリーでしたが、実はゾラなどを愛読する読書家であり、加えていつか自伝的小説を書きたいとも思っていたのです。ビリーは小説家を偽装するだけでよかったのですが、自らの強い動機に駆られて本当に執筆を始めます。そしてなんと上巻のほとんどは、この執筆に絡む事柄だけで終始するのです。しかしその過程がとてもすばらしい。別の名前と身分で潜伏しているという緊張感はどこへやら、近隣の人々との交流が細かに描かれるのです。ビリーに対して心を開いていく住人たち。とりわけ子どもたちとビリーの交流には心を打たれるものがあります。おいおい、君たちが親しみを持って接しているこの男は、実は殺し屋なんだよと子どもたちに忠告したくもなるわけですが、そのことはビリー自身がいちばんよくわかっています。この関係にはいつか終わりが来る、そう知っていながらも交流をギリギリまで断つことのできないビリーの心中に思いを馳せているうちに、いよいよ殺しを決行するときが近づいてくるのです。

 ここから物語はこちらの予想を遥かに超える形で激しく動いていくのですが、以降の展開については触れません。ただひとつ言っておくならば、ビリーは下巻に入っても小説の執筆を続けており、あなたが本作を最後まで読んだならそのことがどういう仕掛けに……いや、やっぱりやめておきましょう。とにかくこんなにエモーショナルな気持ちで本を閉じたのは久しぶりです。

 また、下巻ではとある過去作との関連も示唆されており、既読の方ならおお!となるわけですが、この記事を読んでいるキング初心者のみなさんにはどうでもいいことなので、無視してもらってかまいません。そんなくすぐりは抜きにしたって、この作品が大傑作であることは間違いないのですから。

 続いては、S・A・コスビー『すべての罪は血を流す』(加賀山卓郎訳 ハーパーBOOKS)です。邦訳としては『黒き荒野の果て』『頬に哀しみを刻め』に続く三作目となる本作の主人公は黒人保安官タイタス。正義の側から描かれる物語というところが、過去二作とは異なるところです。

 舞台はバージニア州チャロン郡。高校で発砲事件発生との報を受けたタイタスは、部下とともに現場に向かいます。銃を持った黒人青年と対峙したタイタスらは、結果的にこの青年を射殺(実際に射殺するのはタイタスではなく白人の保安官補)することになります。被害者は地元民の信望も厚かった白人教師でしたが、捜査していくうちにこの教師には重大な秘密があることが明らかになり、しかもその秘密が、過去に葬り去られたままになっていた犯罪を掘り起こすことになります。一方、現在においてもまた別の殺人が起き……。という、過去と現在の犯罪を追う黒人保安官を描く物語なのだと、本作をひとことで説明するならそういうことになります。しかし、実際にページを繰ってもらえれば、これはそんなにわかりやすい物語ではないということに気づくでしょう。

 アメリカ南部の町に根強く残る黒人差別。そのなかで黒人が保安官として立つことの意味とは。あくまでも法的な正義を貫こうとするタイタスに立ちはだかるのは殺人犯だけではありません。ことあるごとに敵対する白人と黒人。法や正義とは無関係なこの対立がタイタスを苦しめます。しかし、このようなさまざまな制約を課せられながらも一歩一歩犯人に迫っていく。その姿こそが本作のいちばん大きな読みどころでしょう。

 また、読んでいて気づくのは聖書からの引用の多さです。アメリカ南部のキリスト教信仰を色濃く反映しているからか、タイタスと関わる人々(父親や牧師など)との対話のなかにはさまざまな箇所から引用されています。これらはすべて、信仰による正義をタイタスに説くために用いられるわけですが、タイタス自身は母の死をきっかけに信仰を捨てており、彼らの意見にはけっして与しません。あくまで、法による正義を貫く構えを崩さないのです。想像するに、このタイタスの態度にはコスビー自身の考え方が映し出されているのではないかと思います。

 読めば読むほど苦々しさが際立つ、同じクライム・ノベルでありながら『ビリー・サマーズ』とはまったく異なる読み味の作品です。しかし、時を同じくして、この二つの作品が刊行されたというところにこそ、翻訳ミステリーというジャンルの奥深さが表れているのだと思います。どちらも必読。読み逃してはならない作品です。

大木雄一郎(おおき ゆういちろう)
「読書会有志対抗おススメ本バトル」をご覧になったみなさま、ありがとうございました。読者賞はこれからも続けてまいりますので、引き続きみなさまのご支援をよろしくお願いいたします。

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