(承前)

 今回は、そのような使用にとどまらず、クラシック音楽がもっと魅力的な扱いを受けている作品で、ミステリとしても水準以上の作品を5つ選んでみた。番号は振りますが、順位ではありません。

1ジョン・ガードナー『マエストロ』(創元推理文庫)

2エドマンド・クリスピン『白鳥の歌』(国書刊行会)

3ジョン・フランクリン・バーディン『悪魔に食われろ青尾蠅』(翔泳社)

4シリル・ヘアー『風が吹く時』(ハヤカワ・ミステリ)

5S・J・ローザン『ピアノ・ソナタ』(創元推理文庫)

 自分では全く音を出さないくせに、舞台では一番目立ち、社会的ステータスも妙に高い「指揮者」という存在に、皆さんはどのような印象をお持ちであろうか? 立派であると同時に、ちょっと怪しげなイメージはありませんか? ジョン・ガードナーの『マエストロ』は、その指揮者の胡散臭さに着目した作品である。

 齢九十歳を超えた大指揮者ルイス・パッサウが、何者かに狙われた。元諜報部員のハービー・クルーガーは、彼を助けて隠れ家に匿う。そこに隠れている際、パッサウは波乱と虚飾に満ちた自らの半生をクルーガーに語るのだ。これが滅法面白い。

 パッサウは音楽的には優れた才能の持ち主だが、ナチスやKGBとの関係も噂される人物だ。そんな彼の人生は、まさに二十世紀の生き証人のそれといった塩梅である。アメリカのギャングに、映画の勃興と隆盛、ナチス、大戦、冷戦、モサド等々、魅力的な題材がてんこ盛りで、上下巻計1000ページを超える長さを全く感じさせない。音楽そのものへの言及はあまりないが、ルイス・パッサウの人生は、クラシック音楽もまた現実社会の影響を受けるという当たり前のこと——しかし芸術に関心を向ける人は見落としがちなこと——をはっきりと示している。ここで指摘しておきたいのは、指揮者の仕事場であるオーケストラや歌劇場は「組織」であり、「法人」または「会社」、そして特にヨーロッパでは、非常にしばしば地方自治体や中央省庁の下部組織であるということだ。事と次第によっては、一般市民よりも遥かに、国家や社会の直撃を食らいかねないのである。ゆえに、国際謀略小説に国際的指揮者というのは、結構はまるようだ。

『マエストロ』については以上で終わりだが、実在の指揮者たちの生き様を知りたくなった人のために、『指揮台の神々』をご紹介しておきたい。この書物には、著名指揮者たちのエピソードやゴシップがてんこ盛りである。やや露悪的で趣味も良くない本ではあるが、音楽的な面以外での指揮者の実像がよくわかるだろう。

 エドマンド・クリスピンは本当に多才な人で、何と「クラシックの作曲家」もやっていたのである。私は未所有だし未聴だが、CDも出ていたはずだ。彼はミステリ作家としては珍しく、「クラシック音楽のプロ」としての顔も持っていたわけだ。

 だからだろう、『白鳥の歌』で展開される、ワーグナーのオペラ(正確に言うと楽劇)上演にまつわるトラブルの数々は、コメディ風に戯画化されている分を差っ引けば、細部に至るまでなかなかリアルだ。また本書のストーリーは、作中で上演される《ニュルンベルクのマイスタージンガー》の粗筋と微妙に関係している。これにはニヤリとさせられた。

 しかしクラシック音楽好きとして一番に注目せざるを得ないのは、本書における《マイスタージンガー》上演が、第二次世界大戦後初のイギリスでの上演(1946年1月)だという設定である。

 ご存知の方も多いだろうが、ワーグナーの作品はナチス・ドイツの大プッシュを受け、中でもこの《マイスタージンガー》は特に重視されていた。最終幕でドイツ芸術を称揚する内容の歌詞が出て来るためである。往時、その場面では舞台一面にハーケンクロイツがよく翻っていたらしい。この結果、第二次世界大戦終了後、ワーグナーは少々センシティブな扱いを受けるようになってしまった。

 たとえばイスラエルでは、ワーグナーを演奏しない不文律がある。さらに最近のイギリスでも、たとえばアレグザンダー・マコール・スミスが、エディンバラを舞台とするミステリ『日曜哲学クラブ』で、ドイツのオーケストラが国外でワーグナーを演奏することを、節度を外れた行為だと非難している。しかしワーグナーが死んだのは1883年、ヒトラーが生まれる6年も前である。ナチスの行為にワーグナーが直接の責任を持たないのは明らかで、両者を関連付けてワーグナーを批判するのはほとんどお門違いであろう。ただしユダヤ人を中心に、ナチスによって大きな被害を被った人々の心情は察して余りあり、問題を複雑化している。

 話を『白鳥の歌』に戻すと、この作品は1947年、大戦が終わって間もない頃に発表されている。この時期に、半ばナチスのテーマ音楽と化していた《マイスタージンガー》を、クリスピンはこれほど明るく楽しく、作品の中に取り上げたのだ。音楽への愛情が伝わって来て、微笑ましい限りである。アレグザンダー・マコール・スミスには言いたいことがあるだろう。しかし私は、心情的には断然クリスピン支持派である。

最後に《ニュルンベルクのマイスタージンガー》のソフトとして、イギリスのオペラハウスでのライヴ録音と、アメリカでユダヤ系の指揮者が振った映像を挙げておきます。私個人は、音楽に国境はないし罪もないと思っています。理想家過ぎるかも知れないけれど、これは本音。

(つづく)