『アンストッパブル』公開記念! 魅惑の鉄分たっぷり翻訳ミステリー

 皆様、こんにちは。鉄子です。乗り鉄です。鉄道は、摩訶不思議な方向感覚を持つ(つまり Houkou-Onchi)わたしにとって一番確実な移動手段であるばかりか、読んだり寝たり眺めたりと有意義な時間を過ごせますし、旅行のときは食べたり飲んだり語らったりもできて、本当に心強くありがたい存在です。老後は国内外を問わず列車で移動生活を送ろうかなと考えています。題して、「暮らすように乗る」……おしゃれかどうかは別として、座席(と気力と体力と記憶力と思考力)さえあれば翻訳の仕事だって続けられますし、疲れたら途中下車して、温泉に浸かるもよし、ごちそうに舌鼓を打つもよし。まさに極楽ですね。

 さてさて、2001年にオハイオ州で起こった実際の事故を題材にしたという、危険物を積んで暴走する重量貨物列車と普通の男たちの勇姿を描いたトニー・スコット監督の『アンストッパブル』、早くも評判は上々のようです。これからご覧になる方もいらっしゃるでしょうから、内容にはなるべく触れないようにして率直な感想を書きますと、

 ◆デンゼル・ワシントンがいつの間にか渋い熟年男性になってた!

 ◆〈フーターズ〉に行きたい!

 ◆スタントン大曲(急カーブ)は作り物っぽいけど胸が躍るのなんのって!

  お台場を走る「ゆりかもめ」のループ線からレインボーブリッジにかけての部分とか、那覇の「ゆいレール」の奥武山公園〜壺川間に似てなくない?

 機関車や操車場や鉄橋のシーンがてんこもりの、鉄道愛あふれる映画です。そして、運転台と運転指令所の緊迫したやりとりに、あの日本映画を思い浮かべずにはいられませんでした。

 この映画の破壊力ときたら半端ではなく、当時はイギリスやフランスを始めヨーロッパで人気爆発、イギリス人作家によるノベライズまで出現しました。

 ということで、拙訳でなんなんですが、鉄分たっぷり翻訳ミステリーのトップバッターには、この作品を挙げたいと思います。

 乗客を乗せたまま、新幹線「ひかり」が停車できなくなるという前代未聞の人質事件が発生。犯人、国鉄、警察、そして乗客のそれぞれの側から、災難に次ぐ災難の過酷な状況と極限状態に近づく心理を追っていきます。大惨事は果たして防げるのか。身代金の行方は? 昭和の時代の香りを心ゆくまでご堪能ください。「珍品」の呼び声高い逆輸入ミステリです。解説は小山正氏。

 二番手は、鉄道技師から転身したイギリス人作家によるフレンチ警部シリーズから。

 イギリス海峡に面した断崖でおこなわれている複線化工事の現場で、鉄道会社の技師が轢死体で発見されます。やがて第二の犠牲者が出ると、フレンチ警部は地道な捜査で二つの事件を結びつける不正行為を探り当てるのですが、それはまだほんの序の口、本当の謎は最後の最後で明かされます。犯罪の原因となった扱いの難しい事情を、この視点で描いたことに脱帽。転轍機(ポイント)や蒸気機関車や転車台のある機関区の描写(p.139)は、甘美としか言いようがありません。語り手の「機関車を見るのが好きなのだ」という言葉はまさに鉄魂の真髄。彼は鉄道会社で働く鉄ちゃんだったのね。作者クロフツの茶目っ気を感じる瞬間です。

 お次はイギリスから、『ジキル博士とハイド氏』や『宝島』を書いた文豪が継子と合作した、探偵小説をちょっぴり揶揄する独創的で面白おかしい探偵小説を。

 一番長生きした加入者が、長年の運用で莫大な額になった掛け金を独り占めできるという仕組みのトンチン年金。時は流れ、生き残っているのは白髪のおじいさん兄弟二人だけ。そして双方に欲深な相続人が貼りついています。そのうちの一人、モリスは、伯父をなるべく長生きさせようと海辺の保養地へ向かいますが、乗っていた汽車が衝突事故を起こし、意識を取り戻したら線路際に伯父らしき死体が転がっていました。顔は損傷が激しいものの、服や靴はまちがいなく伯父が身につけていたものです。このままでは年金がおじゃん。死体を隠さなくては。かくして不穏な空気のなか、ドタバタ喜劇の開幕とあいなります。駅や汽車のシーンがふんだんに盛り込まれていて、鉄道技術がめざましく発展した十九世紀のイギリスをかいま見るにはもってこいの作品です。

 最後は、オーストラリア大陸横断鉄道を舞台にしたコージー風サスペンスです。

 列車の中でふと目覚めた「わたし」は、記憶を失っていることに気づきます。そばにいた人の話では、寝台から下ろそうとしたトランクで頭を打ったとか。バンドバッグに入っていた写真や身分証からすると、どうやら自分はアメリカ人の女優らしいのですが、なぜ外国を旅しているのかさっぱり思い出せません。しかも、途中の駅から初対面の伯父やその親戚や自称婚約者などが乗ってきて、混乱は増すばかり。そうこうするうちに同室の寝台から女性の死体が発見され、「わたし」は殺人の容疑者にされてしまいます。終点のパースに着くまでに真犯人を突きとめて、身の潔白を証明しなければ!

 この真相は知らなきゃ損。残酷なのや怖いのが苦手な方も安心して読めますし、軌間(ゲージ)のちがいについて登場人物がぶつくさ言う場面に鉄心をくすぐられます。イギリスが口を酸っぱくして注意したにもかかわらず、十九世紀のオーストラリアは軌間を統一しないまま路線の敷設を進め、国内の標準軌化が遅れました。シドニーとメルボルンのあいだをオルバリーでの乗り換えなしで移動できるようになったのは一九六二年のことですから、作品が書かれた当時(一九四四年)はいささか不便だったんですね。

 鉄道とミステリは相性抜群ですので、ほかにも新訳が出たエラリー・クイーンの『Xの悲劇』、ディック・フランシスの『横断』、哀愁がじわりと効いてくるアーサー・メイリングの『ラインゴルト特急の男』など、傑作が目白押しです。上に挙げたクロフツはもちろん、アガサ・クリスティも鉄道を舞台にした作品をいろいろ書いていますし、あのシャーロック・ホームズだって、郊外や田舎へ汽車でしょっちゅう出かけていきますよね。車室でホームズとワトスンが語り合うシーンや、ホームズが車窓を眺めながらふと洩らす言葉に、いつも息づかいが荒くなる鉄子です。

 今回は完全に個人的な好みで突っ走ってしまいましたが、鉄道系翻訳ミステリーの基本を押さえたい、またはもっと深く探求したいという方は、「ミステリマガジン」2006年6月号をお手に取ってみてはいかがでしょうか。「鉄道ミステリの旅」と題した特集には、映画と小説、両サイドからの情報が盛りだくさんですよ!

 最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。

 それではさようなら。ピーーーーーッ!!!(遠ざかっていく警笛のつもり)

駒月 雅子(こまつき まさこ)1962年生まれ。慶応義塾大学文学部卒、英米文学翻訳家。マクロイ『幽霊の2/3』、スティーヴンスン『難破船』、ドラモンド『あなたに不利な証拠として』、リッチー『カーデュラ探偵社』、キイス『預言』ほか多数。

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