去年の暮れ近くだったかな、杉江(松恋)さんに「翻訳ミステリ大賞シンジケートのサイトになんか書いてくださいね」って言われたのは。

 それで、これはもう、ネットなんだから大丈夫、30年分の“溜まってるもの”書いちゃえ、「こんな(翻訳)出版界に誰がした」とか、大森(望)さんみたいにメッタ切りにしちゃえ……って思ったんですわ。でも今回の依頼は「なんでもベスト5」。おまけに月刊誌の修羅場が終わったワタクシの心は(ほぼ)平静状態。いや、崖の上の不動尊(@中島らも)ならぬ崖っぷっちの平常心のワタクシでも、修羅場のあいだはいろいろ狂って過去の恨み辛みが噴き出してくるわけでして。そんなわけで、「こんな出版界に誰がした」はまたの機会にね。

 ではさようなら。

 ……じゃなかった、「なんでもベスト5」でした。

「日暮がやるんじゃどうせホームズ・パスティーシュ・ベストだろう」って思ったでしょう。いいですよ、翻訳ミステリ界じゃその程度の認知度しかないんだから。でもね……いや、愚痴こぼしてると前振りだけでこのコラムが終わっちゃうから、それも別の機会に。 今回は僕が目下いちばん気になってるモノをテーマにします。何かというと、3月に公開されるワーナーの映画『シャーロック・ホームズ』(ほらみろホームズだ、と言わないように)。運良くニューヨークで観たけれど、これが予想以上に面白い。楽しめる要素のキーワードは「ルパン三世と峰不二子」。「二人ホームズ」。まあ、観てのお楽しみというわけで読者さんの大半には申し訳ないものの、これは原作とかけ離れているのに楽しいという映画の、典型。マンガでもそうですね。マンガをアニメや実写にした場合、原作と同じだから面白いものもあるし、原作とかけ離れてるから面白いものもある。昔のアニメ版鉄腕アトムは前者、去年のアメリカ・アニメ『アトム(アストロボーイ)』は後者でした。

 それでやっと本題。「原作も映画もどっちも出来がいい不滅の翻訳ミステリー、極私的ベスト5」(長いね)をやってみようというわけです(順位はつけないけど)。原作とかけ離れてるかどうかは別問題、としてね。

 あ、映画マニアの人はお手柔らかにお願いします。僕は映画に詳しいわけじゃないので。。

『薔薇の名前』

ウンベルト・エーコ著、河島英昭訳

 映画が日本公開されてからもなかなか翻訳が出なかったので、どうしても「読んでから観る」になってしまった傑作。英語で読めばよかったじゃんと言われても、すぐに翻訳が読めると思っていたんだから、そんなめんどうなことをするわけもない。

 で、映画で狂喜乱舞して原作を読んだら、これがまた大傑作。1990年に出た翻訳は当時のベストテンリストを総なめにしたという覚えがある。中世を扱ったミステリは最近多いが、私的にはこれがベスト。

 エーコは本来のミステリ作家というわけではないけれど、一般読者には「一発屋」的なイメージをもたれているんじゃないだろうか。かわいそう。小説としての二作目『フーコーの振り子』も、哲学や歴史その他のネタを注ぎ込んで面白くはなっているのに、エンターテインメントとしてのサービスが少なかったのか、いまひとつだった。三作目の『前日島』になると、ミステリでもなくなっているような気がするし。

 映画のほうはショーン・コネリーを使ったからこそ成功したのだと思う。ジェームズ・ボンドのコネリーよりもこの時代になってからの彼のほうが数倍いい。そういえば、マイケル・ケインも歳をとってミステリものをやって、すごくよくなった……。

『マルタの鷹』

ダシール・ハメット著(訳は小鷹信光など)

 ハードボイルドは古いほうが好き。煙草と酒と女と拳銃。そういえば最近の風潮は何? 舞台劇で役者に煙草を吸わせないとか、爺さんがパイプを吸うシーンの多い絵本が描き直しをさせられるとか……。そのうち、喫煙のシーンが多い小説はボツなんてことになったら、文化の破壊どころじゃないと思うけど。

 もちろんこれ以外にも映画化されたハードボイルド・ミステリーは多数あって、傑作もあるのだが、若いころに読んで最も印象が強く最も影響を与えられたのが、この作品。

 映画のほうは三度目に映画化したジョン・ヒューストン監督、ボガート主演が不滅の作品になったわけだ。

『太陽がいっぱい』または『リプリー』

パトリシア・ハイスミス著(訳は佐宗鈴夫、青田勝など)

 確か2000年に『リプリー』として再映画化されたけれど、やっぱり1960年のルネ・クレマンとアラン・ドロンだよね。

 不合理な展開や不安感を描くっていうハイスミスの特徴は、作品の傾向としては僕に合うわけじゃないんだけれど、映画の出来に引きずられてベスト入り。いや、もちろんこの原作も傑作だと思う。日本では映画の 原作者くらいにしか思われていなかったところへ、90年代になって未訳作品がどんどん出たので、ハイスミスも浮かばれたのではなかろうか。

『検察側の証人』』

アガサ・クリスティー著(訳は加藤恭平、厚木淳など)

 クリスティーといえばポアロ、でしょうか。いや、でも僕としてはこの作品をイチオシ。

 もちろんポアロも好きですよ。トミーとタペンスも高校時代に読んでいまだに好き。ポアロの映画といえば『オリエント急行殺人事件』をはじめいろいろあるし。

 でもやっぱり、映画『情婦』の衝撃とクリスティーの原作のうまさの両方を考えると、これがベスト入りなんだなぁ。原作のほうはミステリファンはあまり高く評価しないという声もあるけれど(アンフェアだとか)、それを言ったらクリスティーそのものの否定になっちゃうんじゃないかと……。『太陽がいっぱい』もそうだけど、『スルース』が大好きな僕は、「どんでん返し」に惹かれるたちなのかも。

『シャーロック・ホームズの冒険』

アーサー・コナン・ドイル著(訳は日暮雅通など)

 すいません。手前味噌で。

 でもひとつだけ。私的にはジェレミー・ブレットでもバジル・ラスボーンでもなく、ビリー・ワイルダーの『シャーロック・ホームズの冒険』のロバート・スティーヴンス。公開時に高校生だった僕は、あれと『ミステリマガジン』のおかげで一気にシャーロッキアンへの道を突き進んだという気がする……。

【番外】

『ミザリー』……どっちかというとホラー。

『サイコ』……恐いのいや。

『007ジェイムズ・ボンド・シリーズ』……好きだけどね。

『スルース』……原作ものじゃないと思う。

『ドラキュラ』……ホラーだし。

『刑事コロンボ』……原作にもっとがんばってほしかった。

『ダ・ヴィンチ・コード』……個人的にはいまひとつ乗れなかった。

『羊たちの沈黙』……映画半分しか観てないし。

 というわけで、結局、古典ミステリ案内になってしまったかな? でもさすがに全点、絶版にもならずに新版が出たりして生き残ってますね。

 最近の映画が悪いっていうわけじゃないけれど、このところいいミステリが映画になっても面白くなかったり、ひどいのになると帯に「映画化決定!」と書いてあるのにいつまでたっても映画ができない(もしくは日本で公開されない)とか、多すぎるんじゃないでしょうかね。翻訳権エージェントが「映画化のオプションを誰々がとりました」と言ってくる程度じゃ、日本の出版社は動かない……そんなふうになってから久しいんじゃないだろうかと思います。

 日暮雅通