会心の訳文を書けというお達しが……
いや、リレーエッセイなんですけどね。強制されたわけではなく、みずから謹んでお受けしたのですが、心情的にはお上からのお達しです。
そう言われた瞬間いくつかの文章が頭に浮かび、どれにしようかと頭を悩ませる——というのが理想ですが、わたしの頭に浮かんだ言葉は「そんなもの、ある?」
いやいや、もう一度読みなおしてみれば、意外と自分もがんばっているかもしれない。どうせ直したくなって落ちこむだけなので、自分の訳書を読みなおすことはないし。よし、勇気を出して開いてみるか。「うっ、ここ赤を入れたい。あ、ここも——以下同文」案の定、落ちこみました。
結論。まことに残念ですが、まだ会心の訳文と呼べるものはありません。いつの日か、そう呼べる文章を紡ぎだしたいと、日々精進しております。あしからず。
と、終わってしまうわけにもいかないので、印象に残っている訳語をご紹介します。まずはおデブちゃんたちがダイエットに励む——はずなのに、なんだか食べてばっかりいるような気がするJ・B・スタンリーの〈ダイエット・クラブ〉シリーズから。
毎週食事会を開き、励ましあいながらダイエットをしようとサパークラブを結成した5人。そのクラブの名前がFlab Five——直訳すれば〈ぜい肉ファイブ〉。さて、どうしよう。ファイブはできればこのまま使いたい。ではFlabをどうするか。「太っちょ」「ぷよぷよ」「たぷんたぷん」「ぷくぷく」「ころころ」愛すべきメンバーなので、「ぶよんぶよん」とか「ぶくぶく」とか、不快感を連想させる言葉は使いたくない。とはいえ、メンバーの太り方はぽっちゃりとかいうレベルではない。原文は韻を踏んでいるので、できれば日本語も……デブ! 〈デブ・ファイブ〉だ! 直球でいいじゃん! と一人で大笑い。ちょっとやりすぎかとも思ったが、担当編集者さんも気に入ってくれたのでそのまま採用となりました。
とはいえ後日談。担当編集者さんはシリーズ名にも〈デブ・ファイブ〉を使おうと思ったそうだが、社内の若い女性陣の猛反対を受けたとか。「そんな言葉が表紙に印刷された本なんて、絶対に手にとらない!」と。ああ、笑いをとるところじゃなかったのね。ヤバイ、若いお嬢さんの気持ちが想像つかなくなっている……と、ちょっと遠い目になりました。
調子に乗ってもうひとつ。これが会心か?という感じですが、ついこのあいだうんうんうなってひねりだしたひと言なので。ジョディ・ピコーの『二人だけの約束』から。
状況を説明すると、一週間ほど前に13歳の息子トマスのベッドで《ペントハウス》誌を見つけ、まだ早いのではないかと父親ジョーダンはしかりつけたばかり。気まずさを残したまま、別れた妻の結婚式に出席するためにトマスはパリに行くことに。空港で、機内持ち込み荷物がどうしてこんなに重いんだとトマスに尋ねた場面。
Thomas grinned, his eyes dancing.”Just ten or twelve Penthouses,”he said.”Why?”
It had still been a sore point,something they did not talk about but rubbed sharply against every now and then when passing too close near the refrigerator or sidling out of the bathroom. With relief, Jordan felt the tension of the past week dissolve. “Get out of here” he said, and embraced his son.
トマスはにやりと笑った。目が輝いている。「十冊以上の《ペントハウス》だけど、なんで?」
実はその件はいまだにささくれとなって残っていた。話題にのぼることはないが、冷蔵庫の前やバスルームですぐ近くをすれちがうたびにいやでも思いだす。ここ一週間の緊張感が消えて、ジョーダンはほっとした。「とっとと行け」といって、息子を抱きしめた。
悩んだのはa sore pointでした。ジョーダンは自分の素行もよろしくないので、息子をしかるときも迷いがあり、それがチクリチクリと心を刺したんだろうなぁと。逆撫でされるほどでもないけど、引っかかる感じ。なにかひと言で……トゲというのも強いし……ささくれ! ぴったり! と自画自賛。読者のイメージにもぴったりでありますように。
次回は楚々とした美人なのに中身は男前の駒月雅子さんにお願いしました。どうぞ、お楽しみに。