最終回のテキストは、ケン・ブルーエンの『ロンドン・ブールヴァード』。とぼけた会話や、そこはかとないおかしみのある独白が随所にちりばめられ、ブルーエン(ブルーウン)の魅力がもっともストレートに表われた軽妙なクライム・ノベルだ。ブルーエンをまだ読んだことがない人は、ここから入るのがいちばんだろう。

 引用したのは、主人公が自分のあとを尾けてくる妙な男を捕まえて、なんの用かと問いただす場面。ちなみにノートンというのはヤミ金を営む男で、バックにはギャングがついている。

「わたしがアンソニー・トレントです」男は言った。

「そう言えばわかるみたいな言い方だな。おれにはさっぱりだぜ」

「あ、すみません、そうですよね……今あなたが住んでいるフラットに住んでいた者です」

「それが今ごろ……なんの用だ?」

「物を取りにいかせてもらえないかな、と思いまして」

「なんでそんなに慌てて出てったんだ?」

「ノートンさんとまずいことになりまして」

「いくらまずいことになったんだ?」

「一万です」

「じゃ、逃げたわけか?」

「ノートンさんには怖いお仲間がいますから」(中略)

「なあ、アンソニー、それは気の毒な話だが、今度おれのあとを尾けたら、もっと気の毒なことになるぞ」

 これのどこが「会心の訳文」なんだヨ、と思ったあなた。あなたは正しい。会心の訳文なんてのは、たいてい地味なものなのだ。というより、翻訳者の仕事自体が地味。声高に自慢したり、自画自賛したりするような性質のものじゃない。自分では、すごい名訳、オレって天才、なんて悦に入っていても、人はそんなふうに思ってはくれないし、また、思ってもらう必要もない。言わぬが花というものだ。そう、翻訳とは奥ゆかしいものなのである。

 とはいっても、これ、自分ではなかなか気に入っている場面。訳す前に原文を一読し、さて、アンソニーのキャラクター造形をどうしようかと考えたとき、わりとすぐに声が浮かんできた。誰の声かというと、志ん朝。志ん朝の『明烏』の若旦那の声だ。この若旦那というのは本ばかり読んでいる堅物で、町内の札付き二人にだまされてまんまと吉原に連れてこられ、帰りたいと泣きだしてしまう情けない男なのだ。

 ちなみに、声というのはとても大切で、それも外国語の声より日本語の声のほうが断然シャープにピントが合う。キャラの輪郭がくっきりする。だから声が聞こえてきたら、黙ってそれに従えばいい。あとはその声が訳してくれる。そうすると言葉づかいから相手との距離の取り方まで、個々の問題は一挙に解決してしまうことが多い。

 きっかけになった原文は、Mr Norton has some heavy friends. 。heavy friends という言葉はいろいろに訳せるけれど、アンソニーが言うとしたらどんな日本語になるか。それを考えていたら、ふと、「怖いお仲間」という言葉が志ん朝の声で頭に浮かんだのだ。そうそう、そういえばたしかあの噺で、若旦那が「怖いお仲間」という言いまわしを使ってたよな、これこれ、コレいただき!

 声が聞こえればあとは速い。たちまち上のような会話ができあがった(ま、たちまちというのは言葉のアヤですけどね)。たったこれだけの会話で、両者の力関係、置かれている状況、それぞれのキャラクターがよくわかる。でもって、そこはかとなくおかしい(これが肝心)。しかも説明的な描写はいっさいなし。まさにブルーエンだ。

 と、得々とここまで書いてきて、念のため『明烏』を聴きなおしてみた。そしたら困ったことに……そんな台詞はどこにも出てこない。それに類する場面すらない。別の噺だったのだろうか。それともただの勘ちがい? 怪我の功名? まちがいの奇跡? ま、結果オーライなんだけど。やっぱり会心の訳文なんてのは、言わぬが花、訳者の心の中にこっそりしまっておくべきものなのである。

鈴木恵

 翻訳者リレー・エッセイ「会心の訳文」は今回が最終回となります。サイト開設1周年を迎える来週からは、翻訳者による新たな連載がはじまります。どうぞお楽しみに。