本格ミステリー小説の醍醐味はやはり〈密室〉にあるように、本格のSM小説にかかせないものは〈鞭〉だろう。——蘭光生『SM博物館』

 変態本格とは単に変態が登場する本格ミステリではなく、本格ミステリの醍醐味であるトリックやどんでん返しに変態性が深く関係している作品を指す。したがって、サイコスリラー風味の本格ミステリ(アルテ『虎の首』)、変態度は高いが本格味が薄い作品(乱歩『盲獣』)は残念ながら本稿では扱わない。

○ジャック・カーリイ『百番目の男』(文春文庫)

 良くも悪くも処女作で、文章は生硬、プロットはぎくしゃくし、達者とはいいがたい。そんな若書きが日本での評価を決定づけたのは、唖然とするような犯人の動機にある。これをデビューのネタに選んだ勇気に感動し、作者がメッセージの文言を口に出して確認したかと思うと少し笑える。

 第10回本格ミステリ大賞の海外優秀本格ミステリ顕彰を受賞した『デス・コレクターズ』のほうが完成度は高いが、本書の破壊力を個人的には評価する。

○マイケル・スレイド『斬首人の復讐』(文春文庫)

 スレイドもお世辞にも小説がうまいとはいえず、しかもベストセラー小説流の書き方だから、やたら長い。内容もシリアルキラーたちがグロい殺戮を繰り返す話ばかり。あんなに大勢殺人鬼がいて、カナダという国はだいじょうぶなんだろうか。

 本書を選出した理由は、犯人のひとりを読者から隠すトリックにある。基本的発想はありふれているが、この処理のしかたは新しい。おそらく某性具を活用した世界唯一の本格ミステリと思われる。

○スタンリイ・エリン『鏡よ、鏡』(ハヤカワ・ミステリ文庫)

 上記2作はいくぶん怪作気味だけれど、本書は正真正銘の傑作。『第八の地獄』と並ぶエリンの長篇代表作だろう。

 最初、帯封つき代金返却保証で出版されたほどで、1972年当時は驚天動地の結末だったのだろうが、もはやその衝撃はやや弱まっている。本書のような語り手の小説が増えたからだ。

 40年近い時を経ても残るのは、卓越した文章と技巧である(稲葉明雄の訳文の力も大きい)。最後に明かされる真相は、視覚的に思い描けば、滑稽な光景でしかない。しかし、それは同時に悲劇的でもある。エリンは変態の両義性をみごとにとらえている。

○泡坂妻夫『湖底のまつり』(創元推理文庫)

 これまた名作。わたしは本書や『妖女のねむり』『花嫁のさけび』などのロマンティックな単発長篇が最も好きだ。

 中盤で不可能な出来事が提示される。こんなことはあり得ない。しかし、合理的な解決策がひとつだけ存在する。それが変態なのだ! ……本書こそ変態本格の最高峰かもしれない。

 読者を騙すトリックを考えに考えぬいた末に変態に行きついたのか、そもそも作者が変態だから思いつけたのかは、見解が分かれるところだろう。両性具有者が登場する『弓形の月』などを読むと、たぶん後者ではないかとわたしは考えている。

○横溝正史『悪魔の寵児』(角川文庫)

 乱歩と横溝を混同するのは、高畑勲と宮崎駿を混同するのと同じくらい愚かしい。ひと言でいえば、乱歩は暗い兄、横溝は明るい弟である。どんなに「エゲツない」小説を書いても、横溝の場合はあっけらかんとしている。

 本書はわたしにとって思い出深い作品だ。小学生のときに読んだため、注射器によるトリックがまったく理解できなかったのである。いまや日本一の変態本格評論家であるわたしも、かつては純情な少年だったのですよ。

 後年『横溝正史読本』所収のインタビューを読み、心中の案内ハガキを出すくだりが実話と知って、さらにめまいがした。知人の心中事件をネタにするとは、本格ミステリ作家は業が深いものだ。

 以上5作のなかに基本的に同じアイディアの作品がある。まあ、お読みになって確かめてください。

殊能将之公式サイトǝƃɐdǝɯoɥ lɐ遵dɔ遵dɟɟo ʍousʎɔɹǝɯ